虜囚
「こっちは金目のものはないみたいですよ」
「なんだ、文無しか?」
うっすらと開けた目に、黄色い光が右に左へ動くのが見えた。そして誰かの話し声も聞こえてくる。その発音には訛りがあって聞きづらい。
クエルは自分が気が付いた事を悟られないように、薄目で辺りを見回した。覆いを落としたランタンを手に、男たちが小声で話をしている。
両手両足は紐で縛られており、動かすことが出来ない。クエルは自分が彼らに捕まっている事を悟った。
横にはもう一人、黒い帽子を被り黒いコートを着た人物が、木の幹を背に座っている。その姿にクエルは見覚えがあった。自分たちを乗せてきた馬車の御者だ。
しかし気を失っているのか、全く動こうとはしない。
「侍従人形付きのこのボンボンの金を、こっちの御者が奪って逃げる途中だったんじゃないんですかね?」
「だとすると、もっていた金がちょっと多すぎやしないか?」
聞こえてきた侍従人形という言葉に、クエルは我に返った。
『セレンはどうした?』
頭を動かせる範囲で周りを見回す。だがそれらしい姿はどこにも見当たらない。覚えているのは、世界樹の実を縛る黄金の鎖がはじけ飛んだ所までだ。
その後どうしてこの男たちに捕まっているのかも、セレンがどうなったのかも、クエルには分からない。
「人形はどうします? バラして解体屋に売れば、少しは金になりませんかね?」
『解体屋!?』
クエルはあせった。どうやらセレンは自分からは見えないどこかにいるらしい。クエルは後ろ手に縛られた手を、何とか前へ持ってこれないかと必死に体を曲げた。
だが隣にいる御者が邪魔で、体を動かすことが出来ない。無理やり動こうとしたところで、御者が被っていた帽子が地面へ落ちた。
「ひっ!」
御者の顔を見たクエルの口から悲鳴が漏れる。木の間から差し込んでくる月明りに露わになった目は、大きく見開かれてはいたが、何も見ていない。間違いなく死んでいる。
「ちょっと待て。何か聞こえたぞ」
その声と共に、数人の薄汚れた服をきた男達が、油灯を手にクエルを見下ろした。男たちの表情からは、クエルに対する悪意しか伝わってこない。
「小僧が目を覚ましたみたいですよ!」
男たちはクエルからはよく見えない誰かに告げると、クエルの髪を掴んで顔を持ち上げた。
「王都の坊ちゃん、手を縛られて地面に転がされる気分はどうだ? 少しは庶民っていうやつを味わえたか?」
そう呟くと、男の一人がクエルの顔に「ぺっ!」と唾を吹きかけた。その背後から、誰かがこちらへ近づいてくる気配がする。彼らのリーダーだろうか?
「誤解です――」
クエルはその人物に、自分が敵対する者ではないことを説明しようとした。だがクエルがそれを告げ終わる前に、腹につま先がめり込む。
「グェ!」
その衝撃に胃がキュッと縮まり、焼けるような何かが胃から口へと上がってきた。
「少しは我が故郷の苦しみを知れ」
続けて背中に足が振り下ろされる。その痛みにクエルは息が止まり、込み上げてきた胃液に、喉が詰まりそうになった。
「そのぐらいにしておかないと、本当に殺しちまいますよ」
「この王都でぬくぬくと暮らしている人形師達の一味だ。せめて我ら東の民の受けた苦痛の、百分の一でも味合わせてから殺してやる!」
『殺す?』
その言葉に、クエルの全身から血の気が引いた。ともかく何とかしないと、このまま殺されてしまう。クエルは蹴られ続けながらも、なんとか説明しようと顔を上げた。
「フリーダ?」
相手の顔を見たクエルの口から、思わずその名が漏れる。そこにはフリーダそっくりの顔をした少女が、こちらを冷たい目で見下ろしていた。
しかし髪の色は赤毛ではなく黒髪だ。それに顔にはフリーダの持つ朗らかさとは異なり、ほの暗い何かを浮かべている。
「ぼ、僕は……」
だが少女はクエルの呼びかけに反応することなく、再び足を振り上げると、それをクエルの腹へめりこませた。
「グ、グェ――」
クエルの口から再び苦悶の声が上がる。少女はさらに足を振り上げたが、誰かがクエルの前へ立ちはだかった。
「お嬢さん、ちょっと待ってください。侍従人形を使える家の子弟ですよ。生かしておけば、身代金を取れるかもしれないじゃないですか?」
少し猫背をした年かさの男が、少女に向かって両手を広げて見せた。
「ブスカ、我々の目的は金ではない」
「私たちは追われる身ですよ。私を名前で呼ばないでください!」
猫背の男の台詞が、少女の怒りにさらに油を注いだらしい。少女はクエルを殺気を込めた目で見つめた。
「どうせ殺すのだ。関係ない!」
「関係ありますよ。それに殺すかどうかも、あの人が戻ってきてから決めるべきじゃないですか?」
「ヘラルドさんも、間違いなくそう言うに決まっている!」
「そうですかね? ヘラルドさんこそ、身代金をとるべきだと言うと思いますよ」
少女が猫背の男に向かって怒気を露にする。
「ブスカ、ヘラルドさんを侮辱するのか!」
男は少女に向かって肩をすくめて見せた。
「だから、私を名前で呼ばないでください。それに人形だって、この子が生きていればこそ、使い道があるというものです」
「やつらの人形など、全て殲滅だ!」
少女は苛立たし気にそう吐き捨てると、背後を振り返った。
「エーリク!」
「はい。マーヤ様」
そこではクエルとそう年の変わらなさそうな少年が、まるで貴婦人にでも仕えるように少女に
「先ずはこいつの人形を破壊しろ。目の前でバラバラにしてやるんだ!」
次の瞬間、クエルの体はいきなり上へと持ち上げられた。足が地面を求めてさまよう。
振り返ると、クエルの体は灰色の騎士の姿をした人形に襟首を掴まれて、少女の前へと突き出されていた。
「私たちと同じ思いをしながら、地獄へ落ちろ!」
少女はクエルにそう告げると、傍らの木の根元を指さした。そこには打ち捨てられるように、仰向けに倒れている侍従人形の姿がある。
それを見たクエルは、自分が殺されかけていることを忘れた。
「お前たち、セシルに何をした!」
クエルは少女に向かって叫んだ。その腹に拳がめり込む。
「マーヤ様に対する礼がなっていない」
足をばたつかせて苦悶するクエルに対して、少年の感情を感じさせぬ声が響いた。少年は灰色の目でクエルを眺めると、騎士姿の人形で、クエルの体を引きずっていく。
クエルの目の前には泥で汚れた侍従服をまとい、糸が切れた操り人形みたいに地面へ横たわるセシルがいる。
「セシル?」
クエルはセシルに声をかけた。だが何の答えも返ってこない。クエルの目から涙がこぼれ落ちる。
そうだ。同期だ。居間で動かずにいた時もそうだった。セシルに口づけをして、同期をしてやればいい。
襟首を掴まれたまま、クエルは必死に体を動かした。シャツの襟で首がしまり、気が遠くなりそうになる。それでもクエルは必死に体を動かし続けた。
「おい、その人形はお前の恋人か何かか?」
「王都の連中はみんないかれた奴ばかりだ。生身の女より、人形の方がいい変態野郎なんだろう」
「ハハハ、違いない!」
クエルに対する嘲笑の声が上がる。
「エーリク、せめてもの情けだ。人形と一緒に貫いてやれ」
少女がそう告げると、クエルの体は地面へと投げ出された。その衝撃に、クエルの両腕に激痛が走る。
だがクエルはそれを無視すると、体を回転させ、芋虫が這うようにセシルの元へとにじり寄った。
『あと少しだ……』
クエルはセシルの生気の失せた顔へ、己の顔を近づけた。しかしとてつもない力で地面へ押さえつけられ、身動きが取れなくなる。
見上げると、灰色の目を持つ少年が、自分を冷ややかに見下す姿と、彼が操る灰色の騎士の姿があった。
「マーヤ様への無礼を、死を持って詫びるがいい」
騎士人形がその腕と一体になっている馬上槍を掲げる。クエルはそれを避けようと体を動かし続けた。たとえもうすぐ自分の命が尽きるとしても、自分にはまだやらねばならない事がある。
自分が人形師として、あまりにも無知で無能だった事をセシルに、そしてセレンに謝らなければならない。だが銀色に輝く槍はすぐ背後へと迫っている。
『すまない……』
クエルは心の中でセレンに懺悔した。自分のせいだ。彼女は必死に止めていたのに、それを無視した自分のせいだ。
ホ――!
どこかでフクロウが鳴いている。その鳴き声を耳にしながら、クエルは己の死を覚悟した。
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