衝動

「疲れただろう?」


 フリーダは父親のギュスターブの言葉に、首を横に振って見せた。


 体が疲れているかと言われれば疲れているのだろうけど、今日あった色々な事への感動に心が一杯で、今はそれを感じたりはしない。


 だがドレスを着るための、腰の周りを締め付ける下着類だけは苦しかった。


「大丈夫よ。それにあの拷問のような下着はもう脱いだしね」


 そう言うと、フリーダはギュスターブに、いつものベージュ色のスカートの裾を持ち上げて見せた。


「フリーダさん、はしたないですよ。もう大人なんですから、言葉に気をつけなさい」


「はーい!」


 フリーダはお茶を持ってきてくれたリンダに元気よく答えると、窓の外へ目をやった。


 西の空は夕暮れに真っ赤に染まり、東の空には黄色く光る月が昇ってきている。


 フリーダはその下に見える隣家の居間を見つめた。その窓からは漏れる光もなく、ひっそりとしている。


『もう寝たのかな?』


 クエルはお礼にすぐに尋ねてくると言っていたが、それがとても待ち遠しく思えた。


 一緒に馬車へ乗ったことや踊りもそうだが、これから人形師になるためのことや、国家選抜へ向けての準備など、話したい事は山ほどある。


「フリーダ、お前に見せたいものがある」


 考え事をしながら外を見ていたフリーダに、ギュスターブが声をかけた。


「ギュスターブさん、だいぶ暗くなりましたから、明日でもよくはありませんか?」


「それはそうだが、必ず誕生日に間に合わせると言って、相当に努力したらしい。それを無碍にする訳にもいかないだろう」


「それもそうですね」


 ギュスターブの台詞にリンダも頷いた。


「えっ、なに? 何の話なの?」


 そう問いかけたフリーダに、二人が笑みを浮かべて見せる。


「フリーダ、私たちからお前への誕生日のプレゼントだ」


「えっ! 今日のお誕生日会以外にもプレゼントがあるの?」


「もちろんだ。17歳の誕生日だぞ!」


 ギュスターブがまるで悪戯っ子の様に片目をつむって見せる。フリーダは居間の中を見回した。その何処にも大きな箱のようなものは見当たらない。


「リンダ。冷めてしまうが、お茶は後でもいいかな?」


「仕方ありませんね。ギュスターブさんもフリーダも待てないでしょうし、外が暗くなってしまいます」


 リンダの言葉に、ギュスターブが苦笑してみせた。


「おいで、こっちだ」


 ギュスターブは立ち上がると、庭へ出る扉を開けた。フリーダがポニーテールの髪を跳ね上げながらそれに続く。見ると庭の片隅に、白い布で覆われた何かが置いてある。


 フリーダはその大きさと存在感に驚いた。フリーダの背の二倍はありそうな大きさだ。


「これって、もしかして……」


 ギュスターブはフリーダに答える代わりに、白い厚手の布に手をかけた。それはするりと地面へ落ちると、背後に隠していたものを露わにする。


「そうだ、『ギガンティス』お前の人形だ」


 フリーダの目の前に、おとぎ噺の石の巨人さながらの姿があった。大きな頭に大きな肩。そこから伸びる腕は、まるで大木の幹の太さだ。


 その全てから人形の持つ力強さが、そして何者の打撃にも負けない堅牢さが感じられた。


 それでいて、折り畳まれた足の膝の部分と手首の部分には、円盤状の車輪もついており、それが単に巨人の姿をしているだけではないことも示している。


 フリーダは数歩前に進むと、ギュスターブが「ギガンティス」と告げたその人形にそっと触れた。


 それは石の様に冷たかったが、それでいて単なる無機質なものではない、内に秘めた何かを感じさせる。フリーダはすぐに分かった。


『これはまださなぎなんだ……』


 変わるための何かを、私を待っている。


「アルツ師の最高傑作だよ。私はそう思っている。世界樹の実は私の方で既に備えつけてあるから、後はお前の準備が出来次第、結合を試みられる」


「お父さん!」


 フリーダは振り返ると、ギュスターブの元へ駆け寄った。


「ありがとう! 本当にありがとう!」


 そして父親の胸にぎゅっと抱きつく。その姿を見たリンダが、口元に手を当てて小さく笑った。


「フリーダ、もう貴方は大人なんですよ。ギュスターブさんが困っています」


「お母さん、何を言っているのよ。いくつになっても私はお父さんの娘よ。それよりも、すぐにクエルに『ギガンティス』を見せてあげなきゃ」


 フリーダの言葉に、ギュスターブとリンダは互いに顔を見合わせた。


「そしてクエルの前で結合をするの。そうすればクエルが結合をする時の参考になるでしょう?」


「えっ!」


 ギュスターブの口から驚きの声が漏れる。


「もう遅い時間だよ。それにクエル君だって、今日は色々とあって疲れているだろう」


「そんなことないわ!」


 そう言うと、フリーダは居間の中へ駆け戻った。今日は自分の誕生日だ。結合をするのに今日以外はあり得ない。もちろんクエルには付き合ってもらう。絶対にだ!


 ギガンティス、私の人形! クエルと一緒に国家人形師になるための人形! フリーダの頭の中で、色々な考えや思いが交錯する。


 背後からギュスターブとリンダのたしなめる声が上がった気がしたが、フリーダはそれを無視した。これを我慢するなんて絶対に出来ない。


 それにクエルも間違いなく一緒に喜んでくれる。何よりクエルが側にいてくれれば、恐れるものなど何もない。絶対に結合は成功する。


 フリーダは自分の家の玄関を抜けると、そのままクエルの家の玄関まで駆けた。そしてその扉を叩く。だが屋敷の中からは何の返事もない。やはり疲れてもう寝ているのだろうか?


「もう、せっかく私が呼びにきているというのに、いったい何様のつもり!?」


 フリーダは口を尖らせながら、建物の横手へと回った。そして勝手口の扉を開く。それはきしみ音を立てると、あっけなく開いた。


「もう、本当に不用心なんだから!」


 そう言いながらも、フリーダは遠慮なく家の中へと入っていった。中は明かりもなく真っ暗だが、何の問題もない。フリーダにとってここは、自分の家と同じぐらい勝手知ったる家だ。


「クエル!」


 フリーダはそう声を上げながら、台所を抜けて階段へと向かった。そう言えばセシルはどうしただろう?


 彼女も疲れて寝てしまっているのだろうか? そんな事を考えながら、フリーダは階段を登った。


「返事ぐらいしなさいよね!」


 そう呼びかけてから居間の扉を叩く。やはり何の反応もない。


「クエル?」


 フリーダは居間の扉を開けて中を覗き込んだが、椅子と卓があるだけだ。家の中からは物音一つしない。フリーダは居間の扉を閉めると、クエルの私室の扉を叩いた。


 やはり中からは何の反応もない。少し悪いとは思ったが、フリーダは思い切ってその扉を開けた。


 だがそこももぬけの空だ。朝に礼服に着替えた時に脱いだらしい服が、椅子の背にかけたままになっている。


 フリーダは戸を閉めると、廊下の明かり窓を見上げた。その先では既に濃紺の空が広がろうとしている。


『まだ戻ってきていない?』


 一体どう言う事だろう。クエルは自分たちよりも先にあの館を出ているはずだ。それがまだ戻ってきていないなんてあり得るだろうか?


 フリーダはギュスターブが家へ戻る際に告げた言葉を思いだした。


『狩猟の森には東領からの流民が流れ込んでいる。警戒は依頼してあるので、大丈夫だとは思うが、明るいうちに戻るべきだろうな』


 間違いない。クエルに何かあった!


 フリーダはクエルの家の階段を駆け降りると、勝手口から庭へと回った。そして塀の一部を足で蹴っ飛ばす。


 昔子供の頃に作った秘密の出入り口だ。フリーダは自分の服の裾に土がつくのも構わずにその穴を抜けた。


 目の前には芝生があり、その先にギガンティスの大きな体が見える。フリーダはそこへ向かって走った。


『貴方の力が必要なの。私に力を貸して!』


 フリーダは自分の呼びかけに、ギガンティスの中に据えられた何かが反応するのを感じた。


 それはギガンティスの中で銀色に光り、明るく脈打っている。フリーダはその光に向けて、心の中で手を伸ばした。


 それはさらに眩い光を放つと、何かがフリーダの心へと伸びてくる。フリーダはそれを受け入れた。ギガンティスの中にある核が、自分と結合しようとしている。


『お願い、私の大事な人を一緒に救いに行って!』


『我は汝に従いし人形なり……』


「ギガンティス!」


 フリーダの呼び声に人形が動いた。その巨体に生気が満ちていき、腕や足を動かす。そして岩みたいな手をフリーダへと差し出した。フリーダは無言で頷くと、その手の上へと乗る。


 ギガンティスはフリーダの体を持ち上げると、肩へと乗せた。


「待て、フリーダ。何をするつもりだ!」


 フリーダの背後から、ギュスターブの慌てた声が響く。


「お父さん、クエルがまだ戻ってきていないの。絶対に何かあったのよ。だから私はギガンティスと一緒にクエルを助けに行く!」


「待て、お前はその人形と結合したばかりだぞ! ともかく一度降りなさい。クエル君の件については私が――」


 だがフリーダはギュスターブの言葉を待たずに、首を横にふった。待ってなどいられない!


「行くよ、ギガンティス。クエルを助けに行く!」


 ギガンティスはフリーダの心の言葉に従って、その体を半回転させると、そのまま一気に加速する。そして庭の塀を弾き飛ばし、そのまま夜のとばりが落ち始めた街路を突き進んだ。


「いきなり人形を動かすとは、我が娘ながら……」


「ギュスターブさん!」


 ギュスターブの背後でリンダの声が上がった。


「そんな事より、クエルさんとフリーダの事を!」


「そうだ。こうしてはいられない。狩猟の森にはアルマイヤー卿の王都守護隊が展開しているはずだ。私は二人の保護と、彼らがそこにいる件について話をつけてくる。リンダ、二人の事はお前に任せる」


 そうリンダに告げると、ギュスターブは左耳の水晶に手を添えた。どこかから何かがこちらへ向かってくる音が響く。


「はい。ギュスターブさん、お任せください」


 何かが通り過ぎ、リンダの目の前からギュスターブの体が消える。


 リンダは東の月の方に小さな黒い影があるのを確認すると、自分の左耳にそっと手を添えた。

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