「本日はお忙しいところを、ありがとうございました」


 館の出口の所で、フリーダにギュスターブ、そしてリンダが来客に丁寧にお礼の挨拶をし、肩を抱き合う姿があった。


 クエルが踊り終わった後も、誕生日会は和やかに続き、フリーダは多くの来賓の男性達と踊った。そのどれもが流石としか言えない見事な踊りだった。


 自分の踊りをあまり思い出せない事に、クエルは安堵のため息をつく。もし思い出せるのなら、ここに立ってなどいられない。何処かへ走って逃げ出したい気分だっただろう。


 もう来客の姿はない。残りはフリーダの親戚筋の人達だ。来賓の客の相手が終わったフリーダが、こちらへ駆け寄ってくるのが見えた。


「クエル、今日は本当にありがとう!」


「ともかく足を踏まなくて良かったよ」


「もう、何を言っているのよ。ちゃんと踊れていました。あれだけ皆が拍手してくれたでしょう?」


 そう言うと、フリーダは少し拗ねたような顔をした。クエルから言わせれば自分は何もしていない。フリーダが上手に自分を導いてくれただけだ。だがフリーダが満足したのであればそれでいい。


「でも今日は踊りばかりで、クエルの操り人形を披露する時間がなかったのは残念。あれを見ないと、誕生日が来たという気がしないのよね」


「あれだけの人数を相手だと、ちょっと難しいかな。それよりも帰りは?」


「さっきお母さんに聞いたのだけど、片付けと館への支払いがあるから、私たちはもうちょっとここにいるそうよ。申し訳ないけど、クエルは先に戻ってもらってもいいかな? 馬車は館が手配したのを使って頂戴だって」


 そう言うと、フリーダは本当に残念そうな顔をしてみせた。


「本当は帰りも一緒に帰りたかったんだけど。だってクエルは今日一日、私の付添人でしょう?」


「そうだね。だけどフリーダはもう大人だから、我儘はなしだろう?」


「何よ偉そうに! でもお父さんとお母さんをおいて帰る訳にもいかないわね」


「ギュスターブおじさんとリンダおばさんには一応は挨拶したから、僕はこのまま家に戻るよ。後でまたお礼を言いにお邪魔させてもらう」


「うん、分かった。遠慮せずにすぐ訪ねてきて。そして今日の話をいっぱいしましょう!」


「フリーダちゃん!」


 フリーダを呼ぶ声が聞こえる。クエルの視線の先では、リンダと初老に手が掛かった女性が、フリーダに向かって手を振っているのが見えた。


「エミリーおばさん! クエル、気をつけて帰ってね。絶対にすぐに訪ねて来るのよ」


 フリーダはクエルへ手を振りながら、親戚たちの輪の方へ駆け戻って行く。そこでは親戚たちと談笑する、ギュスターブとリンダの姿もあった。


「素敵! 私、エミリーおばさんのりんごパイは大好物よ!」


 そこに混じって歓声を上げるフリーダの声も聞こえてくる。どうやらお手製の祝いをもらったらしい。


 クエルはその姿を微笑ましく眺めながら、館の外へ向かって歩き始めた。だが不意にその裾を誰かに引っ張られる。


「マスター、まさかお前は我の事を忘れているのではないだろうな?」


 その声にクエルは我に返った。振り返ると、セシルがかなり機嫌の悪そうな顔をして立っている。


「も、もちろん忘れてなんかないよ」


「どうだか……」


 そうつぶやくと、疑わしそうにクエルを見つめた。


「それよりもさっさと家に帰ろう。今日は場違いな所に居たから、流石にくたびれたよ」


「それもどうだか……」


 セシルがさらに疑わしそうな目つきでクエルをじっと見る。


「我が見た限りでは、相当に楽しんでいた様に見えたぞ。それよりも気分はどうだ? あの見栄えがいい男達を差し置いて、赤毛と踊った気分は?」


「えっ!」


「さぞ気分が良かったであろう。皆お前の事を羨望の眼差しで見ていたぞ」


 その言葉にクエルは驚いた。ともかくフリーダの足を踏まないように気をつけるのが背一杯で、周りなど見ていない。


「そうは思っていないよ。自分の事で背一杯だ」


「それで良い。あの赤毛と踊ったぐらいで有頂天になっている様では、我のマスターとしては情けない。それよりもさっさと帰るのであろう?」


 そう告げると、セシルはクエルの腕を引っ張った。そのまま操り人形の様にセシルに引っ張られていく。これではどちらが人形なのか分からない。


 玄関を抜けると、そこにあるのは既に夕刻の日差しだ。吹き抜ける風は爽やかというより、少し肌寒さを覚えるぐらいになっている。


 それはクエルの酒に火照った体と、フリーダとの踊りの名残に高鳴る心を冷ますには、丁度いいぐらいに思えた。


「どうやって帰るのだ?」


 招待客のほとんどは既に帰ってしまったらしく、馬車溜まりにはポツンと一台、これと言って特徴のない馬車が停まっている。


 フリーダは館が馬車を手配しているから、それに乗れと言っていた。これがその馬車なのだろう。


「館の手配した馬車に乗って帰る。あれだと思うよ」


 クエルはセシルにその特徴のない馬車を指し示した。


「そうか」


 セシルは馬車の方へ駆けていくと、御者台へ座る、黒いコートに黒い帽子を着た男に声をかけた。


「失礼致します。こちらは王都までの馬車でしょうか?」


 セシルの呼びかけに、御者は無言で頷いて見せると、振り返りもせずに、手にした鞭で馬車の乗り口を示した。


 どうやら自分で開けて勝手に乗れと言う事らしい。招待客は全て帰ったと思っているのだろう。周りに館の送迎係の姿はない。


 クエルが馬車の扉に手をかけようとすると、扉が先に開いた。


「ご主人様、お待たせ致しました」


 いつの間にか先回りしたセシルが、クエルの為に扉を開けている。


「ありがとう」


 クエルは頭を下げると、セシルに声をかけて馬車に乗った。続いて乗ったセシルが扉を閉めると、手綱の音と共に馬車が走り始める。


「ど、どうしたのかな?」


 クエルの横では、セシルが膨れっ面をして座っていた。


「マスター、どうしてお前が我に頭を下げるのだ」


「はあ?」


「お前は我の主人だぞ。そして我はお前の侍従だ。主人は主人らしく、もっと堂々としていろ」


「だって、お礼ぐらい……」


「だっても何もない!」


 セシルが馬車の床を足で、ドンと踏み鳴らした。


「主人のお前がおろおろすれば、それは全て侍従たる我の不手際に見えるであろう!」


「えっ、そう言うものなの?」


「そう言うものだ!」


 そう宣言したセシルの迫力に、クエルは思わずおののきそうになる。こいつは本当に人形なのだろうか?


 やはり地獄の底から、自分を破滅させるために這い上がって来た、悪魔の類いなのではないだろうか?


「そもそもお前はあの赤毛に対しても、ペコペコと頭を下げすぎだ。お前は我のマスターとしての自覚はあるのか?」


 セシルが眼光をさらに鋭くしてクエルの方を見る。


「昔からの習慣と言うか、逆らうと色々とめんどくさいと言うか……」


 ガタン!


 石でも踏んだのか、馬車が大きく揺れる。やはり来た時の貴人用の馬車とは違う。そう思いながら、クエルは足だけではなく、両手も使って必死に耐えた。


「どうなんだ!」


 セシルは揺れる馬車などお構い無しに、クエルの方へ人差し指を突き出してくる。


 ガタン!


 再び馬車が大きく揺れた。いくら馬車が普通だからと言っても揺れ過ぎだ。


「ちょ、ちょっと待ってくれ。今喋ったら舌を噛む。舌を噛んで死んでしまう!」


 クエルの言葉に、セシルはフンと鼻を鳴らすと、腕を下ろした。


「マスター……」


「だから、この件については家に帰ってから――」


「我らは王都に戻るので、間違いはないな?」


「そうだけど」


「だとすれば光の向きが違う。それにこれは我らがあの館に向かった道とも違うようだ」


「本当に覚えているの? それに近道じゃないのか?」


「全くの反対方向に進む近道などあるか? それにお前は我をなんだと思っている。我は人形だぞ。忘れるなどあり得ない」


「えっ、そうなの?」


「もちろんだ。お前が我にした口づけの一つ一つも、お前の舌の動きからその吐息の熱さまで、全て覚えているぞ」


 セシルはそう告げると、意味ありげにその赤い唇を舌で舐め回して見せる。


「出来ればそれは全て忘れて――」


 ギィギギィ――――!


 だが馬車が急制動をかけて止まった勢いで、クエルの体は座席から弾き飛ばされた。それを受け止めたセシルの胸に、顔を埋めるように倒れ込む。


「マスター、馬車の中で迫ってくるとは、お前も少しは主人らしくなってきたな」


「あのな!」


 クエルは慌ててセシルの胸から顔を起こした。人形のはずなのに、セシルの胸からは甘く、そしてなぜか懐かしい香りを感じる。


 ドン、ドタドタドタ……。


 何かが地面へ降りて、遠ざかって行く音が聞こえた。


「御者が馬車を降りたぞ」


「だいぶ冷えてきたからね。それでじゃないの?」


 セシルはクエルの言葉を無視すると、じっと外の気配を窺った。クエルも鎧戸の隙間から外を伺おうとしたが、セシルに腕を引っ張られる。


「マスター、我が合図したら、開けた扉から外へ飛び出せ。出たら脇目も振らずに、森の中へ逃げ込むのだ」


「おい、一体何を――」


 そう口にしたところで、クエルは言葉を飲み込んだ。


「どうやら我らは誰かの罠に落ちたようだ」


 そう告げたセシルの顔は、クエルにこれまで見せたことのない真剣な表情だった。

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