巨鳥

 夕刻に近い午後の日差しが、木々の紅葉を黄金色に染め上げている。


 大きな石の上に腰をかけたマクシミリアンは、その湖面の輝きに目を細めると、吹き始めた風に僅かに乱れた黒髪をかき上げた。


 湖畔の反対側では、招待客を乗せた馬車が、王都に向かって走り去っていくのが見える。


 それを興味なさげに眺めながら、マクシミリアンは横に控える、自分の御目付役でもある従者のミゲルに声をかけた。


「ミゲル、その顔はどうした?」


 ミゲルはマクシミリアンの呼びかけに顔を歪めた。その右目には大きな痣が出来ている。


「ちょっと飲みすぎて、手洗いでな」


「手洗い?」


 ミゲルの答えに、マクシミリアンは少し怪訝そうな顔をして見せた。


「お前のことだ、婢女はしための尻でも追いかけていたのではないのか?」


 その言葉に、ミゲルは右目を隠す様にしながら、マクシミリアンの視線を外した。どうやら図星らしい。マクシミリアンは心の中でため息をついた。


「人の趣味をとやかく言う気はないが、お前の婢女好きも大概だな」


「そう言うお前はどうなんだ? ギュスターブの赤毛から袖にされたと聞いたぞ。だが俺の聞き間違いだろうな。お前が女に振られるなどあり得ない話だ」


「その通りだ。見事に袖にされたよ」


 その答えに、ミゲルが右目を隠すのも忘れて驚いた顔をする。


「何だって!? 相手は末席も末席の家の小娘だぞ! このままにしておくつもりか?」


「そうどなるな。これでもかなり傷ついているのだ」


 そう言うと、マクシミリアンは片手をあげつつ、ミゲルに向かって朗らかに笑って見せた。


「お前も飲み過ぎたのか? なんだか嬉しそうにしか見えないぞ」


「お前じゃない。だけどお前の言う通りでもある。兄上から噂の赤毛を連れてこいだなんて、面倒ごとを押し付けられたと思っていたが、これで俄然おもしろくなった」


「どういうことだ?」


「兄上の暇つぶしの相手としてはお転婆すぎる。外見はともかく、中身は間違いなく兄上の好みではないな。俺がもらっても文句は出ないだろう。それに蠅みたいにうるさく寄ってくる女たちにも、少しうんざりしていたところだ」


 その台詞にミゲルが当惑した顔をした。


「ちょ、ちょっと待て。末席も末席、初めて宮廷人形師になったところの家の小娘だぞ。ローレンツの紋章に泥を塗るつもりか?」


「まさか。だが末席であるから、兄上同様に、少し遊んだ後に捨てたところで、何の差し障りもないだろう?」


「それはそうだな」


 マクシミリアンの言葉にミゲルも同意する。


「まさに末席の娘に相応しい末路だ」


「だがローレンツの紋章に泥という点では、今日の恋敵君の方こそ、そのままにしていいかどうかは微妙なところだ。エンリケの息子に先に踊られただなんて、兄上の耳に入ると面倒な事になる」


 そう言うと、マクシミリアンは意味深げにミゲルの方を見た。


「どうすればいい?」


「早ければ明日、遅くても二日後にはアルマイヤー卿がこの辺りの掃除をするそうだ」


「掃除?」


「東領からの流民が問題になっているのは知っているだろう? 王都で強盗も起きている。そいつらがこの辺りに流れ込んでいるという話だ。元々ここは郊外だし、帰り客は十分な注意が必要だな」


 マクシミリアンの台詞に、ミゲルは納得した様に頷いた。


「帰って婢女どもを少し調教してやろうかとも思っていたが、ここでひと暴れするのも悪くはない。せっかくここまで来たんだ。アドマイヤー卿の手伝いをすることにしよう」


「違うぞミゲル。国家選抜に向けての鍛錬というやつだ」


「もちろんだ。あのエンリケがいなくなった今こそ、我らの手にあれを取り戻すのだからな」


 ミゲルの言葉に、マクシミリアンも頷いて見せる。


「それはそうと、ここの御者はよく道を間違えるらしい。どうやら王都とは反対側の狩猟の森の方へ向かうそうだ」


「相変わらずお前のやることには隙がないな」


「ミゲル、それも間違いだ。あくまで噂に過ぎない」


 そう告げると、マクシミリアンは左耳の水晶に軽く手を当てた。座っていた石が小刻みに震え、その全体に金色の紋様が浮かび上がってくる。


 そして先ほどまで石にしか見えなかったものから、白い羽が、続いて鋭いくちばしに、長く伸びた尾羽も姿を現した。


「ガルーダ。帰るぞ」


 低く鈍い羽ばたき音が辺りに響く。湖畔に現れた巨鳥は、黄金色の翼を夕日にきらめかせながら、マクシミリアンをその背に乗せ、秋の空へと高く舞い上がって行った。

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