思惑

「ふう」


 セシルは水が入った瓶を壁際の卓に置くと、小さくため息を漏らした。侍従姿でいるため、酒の追加やら色々と仕事を振られてしまう。それがやっとひと段落したところだった。


 視線の先ではクエルがふらつく様にしながら、酒のグラスに手を伸ばしているのが見える。


 その前方には見栄えが良い男達にかしずかれているフリーダの姿があった。それを若い男女が固唾をのんで見守っている。


 セシルはそこに集う若者たちを眺めると、「フン」と鼻を鳴らして見せた。


「我が知らぬうちに世の中は変わったことよ。あの者たちが人形師? 世界樹の化身たるその実の何たるかを、全く分かっておらぬ奴らばかりだ」


 しかし男に傅かれて困った顔をしているフリーダを見ると、今度は唇の端を持ち上げてニヤリと笑った。


「誰でも良い。さっさとその赤毛を連れて帰れ。だが中々の人気者よな。我も少しは胸を大きくしてみるべきか?」


 セシルはまだ膨らみかけの胸を眺めた。


「大きければ良いと言うものでもないな」


 そう呟いたセシルが胸から顔を上げると、クエルがグラスの中身を一気に開けようとしている。


「それよりもあれを鍛える方が先だ。不便極まりない」


 そしてすぐ二杯目のグラスへ手を伸ばす姿に、目を細めて見せた。


「マスター、心配するな。我がお前の傷ついた心をじっくりと慰めてやろう」


 セシルは再び口元に怪しげな笑みを浮かべて見せたが、跪く三人を無視して、フリーダがクエルの方へ駆け寄って来るのを見ると、それを不機嫌そうなものへ変えた。


 グラスを落としたクエルの服をフリーダが布で拭くと、さらに機嫌の悪そうな顔をする。


「おのれ赤毛、それは侍従たる我の役目だぞ!」


 そう怒りの声を上げたセシルは、少し離れた場所から、二人を満足そうに眺めるリンダを睨みつけた。


 そしてフリーダの背後で呆気にとられた顔をしている三人の男を見ると、諦めたようにため息をつく。


「なるほどそう言う筋書きか。今回はしてやられたな。やはりあのものには知性がある」


 だが跪いていた男の一人が立ち上がって、クエルとフリーダの方へ近づいてくるのを見ると、その表情を少し険しいものへ変えた。


「なんだ? 半端者のくせに、なんぞよからぬものが取り憑いておる」


 セシルは小さく首を傾げると、クエルの方へ足を踏み出そうとした。しかしセシルの目の前に何者かが立ちはだかる。


「そこの女!」


 大きな体をした若い男が、セシルに声をかけてきた。見れば金の刺繍の縁取りが入った、いかにも高そうな礼服を着ている。それに酒がだいぶ入っているのか、その顔は赤く染まっていた。


「はい、お客様。なにか御用でしょうか?」


 そう告げて侍従服の裾を上げたセシルを、男は酒に濁った眼で、頭のてっぺんから足先までを舐め回すように眺めた。


「休憩室まで一緒に来い」


「御気分でも悪くされましたか? それならお水をお持ちいたします」


 セシルは男に対し、傍らに置いた水が入った瓶を持ち上げて見せた。


「水? 水などいらぬ。お前はこの様な場所で働いているにしては、少しばかり見栄えがいいな。気に入ったぞ」


「はい。お褒めいただきましてありがとうございます。ですが、お客様にはお水を差し上げた方が良いかと思います」


「お前の給金の二倍は払ってやるから安心しろ」


 そう言うと、男はセシルが給仕服ではなく、侍従服を着ているのを見て、首を傾げて見せた。


「お前は侍従なのか? ならば侍従の勤めぐらい分かっているはずだ。いや、その年から侍従をしているのだ。むしろそれが専門だろう。俺が十分にかわいがってやる」


「申し訳ございませんが、遠慮させていただきます。それに主人の許可なしには勝手なことはできません」


「主人は誰だ? 必要なら話をつけて、俺が身請けしてやる」


 男の言葉にセシルはため息をついた。


「お戯れもほどほどにお願いします。本日はフリーダお嬢様のお誕生日会でございます」


「何がフリーダお嬢様のお誕生日会だ。たかが末席の人形師の家の話だろう」


 そう言うと、男は再びセシルの方へ手を伸ばす。しかしいつの間にか、目の前からセシルの姿は消えていた。


「何処へ行った!?」


 男が振り返ろうとする前に、その後頭部からゴンと言う鈍い音が響く。そして男の体は床へと崩れ落ちた。それを冷ややかに見下ろすセシルの手には、水が入った瓶が握られている。


「我の知らぬ間に人は獣へと退化したのか? 我にそれを要求できるのも、我がそれを受け入れるのも、この世界にただ一人だけだ。それはお前ではない」


 そう言うと、セシルはさりげなく男の腹に蹴りを入れた。男は「グッ」と低いうめき声を上げると、全く動かなくなる。


 セシルはもう一度足を振り上げようとしたが、誰かがこちらへ駆け寄ってくるのを見ると、さも心配そうな顔をして男の側へ膝をついた。


「お客様、大丈夫でしょうか?」


 倒れている男を目にして、給仕や客が集まってくる。


「ミゲルじゃないか? 一体どうしたんだ?」


 セシルの背後に立った客が、床に横たわる男を見て声をあげた。


「はい。どうやらお酒を飲みすぎたみたいです。こちらに歩いてくる時から、足元がだいぶ怪しそうでした」


「すぐに休憩室へ運ぶんだ」


 店の給仕の一人がセシルに声をかけた。


「あれ、君は?」


「はい。本日の付添人のクエル様の侍従で、そのお世話のために、リンダ奥様から特別に末席に加えていただきました」


「失礼致しました!」


 給仕役はセシルが使用人とはいえ、この誕生日会の招待客の一人だと分かると、急に態度を改めた。そして男を運ぶ為の人手を集めに奥へと去っていく。


 客たちも単に酔っ払っただけだと分かると、話をしながら自分達のテーブルの方へと戻っていった。


「良かったな。休憩室とやらへ行けるぞ」


 そう口にしたセシルの耳に、フリーダの話す声が聞こえてきた。


「エンリケおじさんは関係ありません。クエルはクエルとして、私は私として人形師の道を目指します」


 そこではフリーダがクエルの前に立ち、背の高い黒髪の男へ啖呵を切っている。それを見たセシルが苛立たしげに鼻を鳴らした。


「お前のせいで、赤毛にいいところを全て持っていかれたではないか!」


 セシルは床に倒れている男の顔を思いっきり踏みつけた。さらに瓶を頭の上へと掲げたが、そこで手を止める。


「まあ良い。今日は特別な日だからこれで許してやる。誕生日か。我もマスターに祝ってもらう為に、自分の誕生日を決めねばならぬな」


 そう独り言を漏らすと、セシルはクエルの踊りを見るために、広間の中央へと向かう。そこからは二人のための調べが響き始めていた。




「ギュスターブさん、お疲れ様でした」


 リンダは広間の中央で踊る二人を見ながら、夫のギュスターブに声をかけた。


「それなりの恋敵を探せとのお達しだったからな、かなり骨を折ったよ」


「錚々たる顔ぶれを揃えていただきまして、ありがとうございました」


「ああ、うちの娘はとても評判らしく、絞り込むのが大変だった」


 ギュスターブのいかにも大変だったと言う顔に、リンダが小さく含み笑いを漏らして見せる。


「だがやりすぎではないのか?」


 ギュスターブの問いかけに、リンダが首を横に振って見せた。


「近過ぎる関係というのも良し悪しですね。これぐらいの障害を用意しないと盛り上がりません。それに相手はあのクエルさんです」


「まあ、引っ込み思案で奥手のところは、父親譲りそのものだな」


 そう言うと、今度はギュスターブが小さく含み笑いを漏らした。


「そうです。彼はとても手強いのです。この後の段取りは大丈夫でしょうか?」


「大丈夫だ。用意は全て出来ている」


「それは良かった。私たちに残された時間は少ないのよ」


 音楽が終わり、二人に盛大な拍手が上がる。ギュスターヴとリンダも踊り終わった二人に拍手を送った。


 リンダはフリーダに向かって大きく手を振ってみせながら、ギュスターブの耳元へ口を寄せた。


「人形も現れました。最初の封印は解けたという事です」


 ギュスターヴは反対側でクエルとフリーダを見つめる、侍従服姿の少女へ視線を向けた。


 だがギュスターヴがリンダに何かを答える前に、踊り終わって顔を上気させたフリーダが、クエルの体を引きずる様にしながら駆けてくる。


「お父さん、お母さん、どうだった!」


 リンダは駆け寄って来たフリーダの呼びかけに、にっこりと微笑んだ。


「もちろん最高でしたよ。二人の踊りですもの。最高に決まっています」

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