訪問
「お母さん、ただいま! クエルを連れてきたよ!」
フリーダの元気な声が隣家に響いた。
「お帰りなさい」
フリーダの母親のリンダが、玄関口まで顔を出す。
「リンダおばさん、お邪魔します」
「クエルさん、体の具合は大丈夫なの? 昨日の夜は来なかったから、フリーダがとても心配していたわよ」
「心配していたのはお母さんでしょう? 私は別にクエルが野垂れ死にしようが……」
フリーダが母親に向かって口を尖らせる。それを見たリンダが、小さく首を傾げて見せた。
「そうかしら。それよりももうお腹は空いている? もうすぐパンが焼きあがるから、先に紅茶でも飲んで待っていてくれないかしら」
「お母さん、それよりも聞いて!」
「フリーダ、話は後にして頂戴。オーブンは待ってくれないの。マリエさん、紅茶の用意をお願いします」
そう言うと、リンダは足早に台所の方へと去って行く。
「もう、早くしてね!」
そう思うのなら、自分も手伝ったらいいのではないかと思うが、リンダの料理が絶品すぎるせいか、フリーダは料理に関してからきしだ。と言うか、諦めている節がある。
ともかく調味料の入れ方に、加減と言うものを知らない。それは味見をしながら、慎重に入れるべきものだということを分かっていないのだ。
「先に二人で紅茶を頂きましょう」
そう言うと、フリーダは一階の奥にある食堂へとクエルを誘った。フリーダの家はクエルの家と違って、よく客人を招くせいか広い。
南の庭に面した食堂は、ガラス戸から入ってくる日の光に溢れていて、とても居心地の良い場所だった。
「マリエさん、ありがとうございます」
クエルはポットからティーカップに紅茶を注いでくれた、お手伝いのマリエさんに声をかけた。
年齢はだいぶ上だが、以前は大貴族の家に勤めていたらしいその姿からは、何か気品の様なものが感じられる。人の振りをしている、なんちゃって侍従人形とは大違いだ。
「クエルさん、いらっしゃいませ。お嬢様、奥様の手伝いに行きますので、後はお願いしてもいいでしょうか?」
「もちろんよ。まかせておいて」
既に注がれた紅茶を前に、フリーダが胸を張って見せる。これ以上何もすることはないように見えるが、何を任せておいてなのだろう。
「それで、どうしてあの子を侍従にしたの?」
食堂の椅子に座るや否や、フリーダがクエルに問いただした。
「ちゃんと責任を取れるんでしょうね?」
「せ、責任って!?」
クエルの額から汗が流れる。まるで裁判における被告人だ。
「人を雇う事の責任よ!」
「そっちね……」
クエルは思わず安堵のため息をついた。責任をとって、あの人形と結婚しろとか言われたら大変だ。人形と結婚だなんて、ただの変態になってしまう。
「そっちって、どう言うこと?」
「何でもありません!」
「頼りないわね。やっぱりお母さんにお願いして、うちで雇えないか相談しようかな……」
「できればそうして欲しい」
クエルの口から思わず本音が漏れた。
「なんか言った!?」
「何でもないです!」
どうやらフリーダはセシルの事を真剣に心配しているらしい。クエルよりはるかに多いフリーダの友達は、フリーダの事をとても親切で優しいと言っているが、クエルにとってはそうではない。
どちらかと言うと口うるさく、すぐ人の事を馬鹿にするところがある。だがこうして見ると、その評価は正しいように思えた。
もしかしたら、フリーダは自分にだけやたらと厳しいのではないか? クエルは今更ながらそんな事を考えた。
「お待たせしました」
台所の方からリンダの声が響いた。リンダとマリエが大きな皿を持って食堂へと入ってくる。二人がもつ皿からは、とても香ばしい匂いが漂ってきた。
「わ~、美味しそう!」
クエルの前に座るフリーダが、まるで子供みたいな歓声をあげる。
「お腹ペコペコで死にそうよ!」
その台詞に、クエルも昨日の夜から何も食べていないことを思い出した。
「それはそうでしょう。ろくに朝ごはんも食べないで、クエルさんのところへ行くんですもの」
「そ、それは誕生日で着るドレスがキツくならない様に……」
フリーダが口ごもりながら答える。胸以外もでかくなったのか? クエルは思わずそんな事を考えたが、すぐに打ち払った。
クエルに関するフリーダの感はとても鋭い。たとえリンダおばさんの前でも、バレたら大変な事になる。
「はい、はい。でもお昼はちゃんと食べなさいね」
そう言うと、リンダは皿をクエル達の前へ差し出した。そこには焼きたてのパンが乗っていて、その上にはオーブンで焼かれた、チーズやトマトにキャベツが盛り付けられている。
別の皿には冷水にさらされたらしい、シャキッとした生野菜と、良い香りのする果物が乗せられていた。
「もしかして、約束を忘れていたの?」
リンダがクエルの皿にパンを取り分けながら聞いてきた。フリーダはというと、既に大きな口を開いてパンにかじりついている。
「せっかくご招待いただいていたのに、すいません」
クエルはリンダに頭を下げた。
「私はいいのだけど、フリーダの機嫌がとっても悪くなって困ったわ。ギュスターブさんは、そのとばっちりをだいぶ受けたみたいだけど」
「本当にすいません」
「お母さん、そんなことはありません!」
「そうかしら。それに食べながら喋るのははしたないですよ。今日は忘れずに誕生日会のドレスを見て行ってあげてね。それを見せるのを楽しみにしていたみたいだから」
「だからそんな事はありませんって言ったでしょう! それよりも、お母さん聞いて!」
「口にものを入れてしゃべるのは……」
リンダはそう言ってたしなめたが、フリーダはそれを無視して口を開いた。
「クエルの家に侍従さんが来たの!」
フリーダの言葉に、リンダが当惑した顔をする。
「侍従さん? どなたか紹介してくれた方でもいたのかしら?」
「昨日の夜に、橋の下で拾ってきたそうよ」
リンダが驚いた顔をしてクエルの方を見る。そして野菜を取り分けていたマリエと、互いに顔を見合わせた。
「クエルさん、本当なの?」
「えっ、はい。お腹を空かせていまして、かわいそうだなと思いました。とりあえず一晩保護してやろうと思いましたら、いつの間にかそんな話に……」
クエルは子供の頃に子犬を拾った時を思い出しつつ話をつないだ。その犬は隣のマジェ爺さんのところで飼われており、今では立派な老犬となって、マジェ爺さんと日々惰眠を貪っている。
「とっても可愛くて、それにとっても行儀がいいお嬢さんよ」
「お嬢さん?」
リンダがさらに当惑した顔をする。
「おいくつの方なのかしら?」
「どうかな、13から14歳ぐらいの間だと思う。クエル、本当は何歳なの?」
「多分そのぐらいだと思うよ」
「ちょっと適当過ぎない? 雇い主でしょう!」
「なるほど。クエルさんに妹ができたようなものね」
「妹? 確かにそうよね。まだ妹よね!」
リンダの言葉に、フリーダは急に納得したようにうんうんと頷いて見せた。
「よかったら、今度のフリーダの誕生日に、その侍従さんもご招待させていただけないかしら?」
「お邪魔になりますし……」
リンダの誘いに、クエルは必死に手を横に振った。あんなのを連れて歩くこと自体が危険極まりない。ましてやフリーダの誕生日会に連れていくなんて、自殺行為だ。
「それは心配しなくてもいいわ。何せ今回は17歳の誕生日で、ギュスターブさんの知り合いの方なども招待しています。それで別の場所を借りましたから、何人か増えても大丈夫よ。お隣さんですからね。ぜひ一度お話しをさせてください」
リンダは組んだ手の上に顎を乗せると、クエルにそう提案した。リンダがこの仕草をしたときには逆らってはいけない。幼い時からの付き合いで、クエルはそれをよく理解していた。
そう言う点で、フリーダと母親のリンダはよく似ている。基本的には逆らってはいけない人達なのだ。
「そうよ。私の17歳の誕生日なんだから、セシルちゃんも絶対に連れてきて!」
フリーダもクエルにそう告げる。
『17歳の誕生日か……』
クエルは心の中でつぶやいた。少しまともな家にとって、娘の17歳の誕生日は特別な意味を持っている。それは世間に対する娘のお披露目も兼ねているのだ。そこで色々な家に紹介すると同時に、縁談へもつながっていく。
最もそれは建前で、貴族を始めとする多くの有力な家では、娘が生まれた時点で許嫁が決まっていることが多い。なので、そのほとんどは婚約発表の場になっている。
だけどフリーダに許嫁はいない。リンダが夫のギュスターブの知り合いも呼んでいると言うことは、フリーダに対する縁談の紹介の場でもあるのだろう。
クエルは幼い時からずっと一緒だったフリーダが、遠い存在になりつつあるように思えた。
「それにクエルの侍従さんじゃなく、私の妹としてみんなに紹介しましょう!」
クエルの気分とは裏腹に、フリーダはとっても盛り上がっている。最もフリーダが知っているセシルは真のセシルではない。本当のセシルは人形のふりをした悪魔だ。いや、人のふりをして、さらに人形のふりをしている悪魔か?
クエルが絶対に止めてくれとお願いしようとした時だ。フリーダが少し真面目な顔をしてリンダの方を向いた。
「でもお母さん、私の誕生日なんかより、もっと大事な話があるの」
「大事な話?」
リンダが再び当惑の表情を浮かべる。
「クエルが人形師になると決めたのよ!」
「クエルさんが?」
リンダがクエルの顔を見つめた。
「決心したのね」
「国家選抜も近いし、父さんにも話しをして、心構えとか、色々と助言をしてもらった方がいいと思うの」
「そうね。それはいい考えね。でもクエルさんはエンリケさんの子供ですもの、ギュスターブさんの助言なんかなくても、きっとお父さんの様な立派な人形師になれると思うわ」
「お母さん、それは違うと思う」
フリーダは普段リンダと話す時の甘える感じとは異なる、はっきりとした口調で答えた。
「エンリケおじさんは立派な人形師だったかもしれないけど、クエルはクエルよ。クエルとして人形師になるの」
フリーダはそう言い切ると、リンダを、そしてクエルをじっと見つめた。
「そうね。私の言い方が悪かったわね。クエルさんはクエルさんとして、立派な人形師になれるわ」
「そうよ。あれだけピエロが上手に操れるんですもの、絶対に立派な人形師になれるわ!」
フリーダがリンダに断言して見せる。クエルは心の中でそれは全く違うものだと思ったが、すぐにその考えを振り払った。フリーダは自分を信じてくれている。それで十分だ。
「あら、お話が過ぎましたね。パンを冷めないうちにどうぞ」
リンダはそう二人に告げると、満足そうに微笑んでみせた。
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