遭遇
居間の扉が吹き飛ぶ様な勢いで開いた。同時に赤毛の少女が部屋の中へ飛び込んでくる。
「クエル、心配してわざわざ家まで訪ねてきてあげたと言うのに、さっきの態度は何?」
「フ、フリーダ、どこから入ってきたの?」
「もちろん勝手口よ。いつも鍵を閉めるのを忘れているでしょう。大体クエルは不用心すぎるの。父さんが去年に続いて今年も不作で、東領から流民が流れ込んできているから、用心しなさいと言っていたわよ。実際に表通りの商家で、何軒か流民がらみの泥棒が……」
「泥棒がどうかしたの?」
クエルはフリーダに問いかけた。しゃべっているフリーダが、自分から話を止めるなんてのは滅多にないことだ。気付けばフリーダの視線は、明らかにクエルの方を見ていない。
「クエル、その人は誰?」
そう告げたフリーダが、クエルの背後へと指を向けた。恐る恐る背後を振り返ると、そこには侍従服を着た、まだ大人とは言えない年齢の少女が立っている。
それを見て、クエルは大きくため息をついた。人形というのは、人形師の意識に従う物ではなかったのか!?
「フリーダ様、お初にお目にかかります。この家の侍従をさせていただく事になりました、セシルと申します」
セシルは侍従服の裾を持ち上げると、フリーダに対して丁寧に礼をして見せた。
「じ、侍従? この子が? クエルの侍従?」
フリーダが混乱した顔でクエルの方を見る。
「はい。今後ともよろしくお願いいたします」
「は、はい。クエル、ちょっとあなたに話があるんだけど」
混乱から立ち直ったらしいフリーダが、クエルの方をジロリと睨んだ。その拳が固く握られているのが見える。
「な、な、何の話かな?」
「もしかして、私を玄関先で追い返したのはこの子のせい? それに昨日うちに夕飯を食べに来なかったのも、この子がいたから?」
「えっ、それは違う。全く違う。大体この子と会ったのは……」
何を言えばいいんだ? クエルの背中を冷たい汗が流れていく。
「はい。昨晩、セシルはクエル様に拾っていただきました」
「ひ、拾った!?」
フリーダの口から素っ頓狂な声が漏れた。
「はい。両親には先立たれ、天涯孤独の身でございます。東領の不作で流民となり、村の者たちと王都へ流れてきたのですが、その者たちともはぐれてしまいました。足手まといなので、置いて行かれたのだと思います」
「それで、どうしたの?」
「行くあてもなく、橋の下でお腹を空かせておりました。このまま生きていても何の希望もない。思わず川に身を投げようとしたところを、クエル様に救っていただきました」
「クエルがあなたを?」
「はい。侍従としてこの家に置いていただく事にもなりました。拾って頂きましたクエル様には、感謝の言葉しかございません」
その説明を聞いたフリーダが、怪訝そうな顔をした。
「昨日の夜に橋の下からクエルに拾われて、今日から侍従として働き始めたという理解であっている?」
「はい。フリーダ様、その通りでございます」
それを聞いたフリーダが右手を額へと当てた。まずい。これはかなりまずい。こんな与太話を信じるやつなどいないし、有り得ない。
青タンの一つや二つで済めば、その幸運を神に感謝すべき類のものだ。やはりこいつは自分を破滅に追いやるべく、地獄の誰かがつかわした悪魔に違いない。
フリーダはと言うと、下を向いて肩を震わせている。このひどすぎる作り話を笑っているのだろうか?
それとも怒りに震えているのだろうか? いずれにせよ、これで自分の人生は終わった。17年間の短い生だった。
「セシルちゃん、それは大変だったわね」
顔を上げたフリーダが、セシルにそう声をかけた。気のせいだろうか? その目はうるんでいる様にも見える。
フリーダはクエルの体を弾き飛ばして、セシルの元へ駆け寄ると、その手を固く握った。
「私なんか想像できないぐらいの苦労をしてきたのね。ちゃんと食べさせてもらっている? もし食べさせてもらえていないなら、私の家にきて。あなた一人ぐらい何とか出来ると思うわ。それにクエルだって、一応は男だから危険よ」
そう声をかけると、クエルの方を疑わしげに見る。
「はい。クエル様には大変良くしていただいております。ご心配は不要です」
「クエル、セシルちゃんに何か変なことをしてみなさい。私があなたを地獄に送ってあげる。いや、生まれてきたことを後悔させてやるから、そのつもりでいなさい!」
フリーダの言葉に、クエルは壊れた人形みたいに顔を上下に振った。
「ちゃんと返事をする!」
「は、はい!」
「よろしい。あら、掃除中だったの?」
「はい。粉の袋が破れてしまいまして、それが屋敷中に散ってしまったようです」
「掃除なんて、クエルにやらせればいいのよ。クエルもこんな子にやらせちゃだめでしょう!」
「えっ!」
主人が侍従人形のために掃除する? そうは思ったが、決して逆らったりはしない。クエルは椅子に立てかけてあった箒を手にとった。セシルがクエルの手からそれを素早く奪う。
「フリーダ様、それは侍従である私の仕事でございます。それよりも、クエル様とお昼ご飯の件について、何かお話をされていませんでしたでしょうか?」
「あっ、もうすぐお昼になるのね。興奮していて忘れるところだった。そうだ。セシルちゃんもうちにお昼を食べにきて。うちのお母さんの料理はとってもおいしいのよ」
「大変ありがたいお言葉ですが、本日はこの屋敷の掃除を優先すべきかと思います。それに出来れば、クエル様を早めに連れて行って頂けませんでしょうか? 先程から塵を舞い上がらせては、こちらの掃除の妨げになっております」
「うんうん、そうだよね。色々なことの妨げだよね」
「一体何の話だ?」
「クエルの事に決まっているでしょう。分かった。この役立たずは私の方でつれていくね。今度また招待させていただくから、その時は絶対にきて」
「はい、フリーダ様。喜んでお伺いさせていただきます」
セシルの返答に、フリーダがにっこりと微笑む。クエルは「お前は騙されている!」と心の中で叫んだが、これを口にしたところで、フリーダに責められるのは間違いなく自分の方だ。
「ほら、さっさと行くよ。それと何かされたら、すぐに私に相談してね。ケチョンケチョンにしてやるから!」
「い、痛い。フリーダ、耳を、耳を引っ張らないでくれ」
二人の足音と声が廊下をすぎ、そして階段の下へと降りていく。
「ふむ」
それを確認したセシルは、本物の人間同様に小さくため息をついた。そして自分の背後にある椅子を手に取ると、それをひょいと動かす。
バタン!
椅子は一度宙に軽く浮くと、少しばかり大きな音を立てて横に動いた。そこにはクエルが掃除をサボったせいで溜まった埃に混じって、茶色く萎びた何かがある。
「ここにあったのか……」
セシルはそれを拾い上げると、目の前へ掲げた。その萎びた表面の皺には、苦悶の表情らしきものが浮かんでいる。
「身の程知らずが。人のものに手を出すからだ」
セシルはそれをチリ取りの中へ放り込むと、床にある粉を眺めた。
「先ずは掃除が大変だな。次元振動防御とは、あの男も面倒なものを仕掛けてくれる」
そう独り言を漏らすと、何やら調子外れの歌を歌いつつ、手にした箒をせっせと動かし始めた。
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