侍従人形

「何処だ?」


 音の出どころを探ろうと耳を澄ます。だが玄関前にいるフリーダの怒声しか聞こえてこない。


『そうだ、地下室だ!』


 何か起きているとしたら、それはあの地下室以外にあり得ない。クエルの喉がゴクリと鳴った。あの悪夢を思い出そうとするだけで、体が芯から震えそうになる。


 それでもクエルは廊下の突き当たりへ進むと、その先を慎重に覗き込んだ。暗くてよくは見えないが、何か変わった点がある様には思えない。


 クエルは一段一段、勇気を振り絞って階段を降り切った。そこで様子をうかがうが、奥からは何の音も聞こえてこない。


 震える手を必死に押さえながら、手すりの先にぶら下がっているランタンに火を着けた。


「えっ!?」


 辺りを見回したクエルの口から、驚きの声が上がる。正面には父の工房の入り口を塞ぐ、あの黒い石板が変わることなく立っていた。


 クエルは石板の前へ駆け寄ると、恐る恐るそれに手を伸ばす。それは石板を通り抜けることなく、冷んやりとした感触を指先に伝えてきた。


「やっぱり夢だったのかな?」


 クエルのつぶやきが壁に反響する。慎重に辺りを見回しても、何も変わったところはない。


 さっきのよく分からない埃も、父の資材袋か何かが破けて、それが家の中に散ってしまっただけなのだろう。操り人形も無意識に使って、それを何処かに置き忘れただけだ。


「ハハハハ!」


 クエルの口から乾いた笑いが漏れた。色々とビビリまくっていた自分に対する自虐の笑いだ。


 同時に色々なものが馬鹿馬鹿しくもなって来る。人形師になろうなんて思ったことも、全ては笑い事だ。


「ハハハ、ハハハハ、ハハハハハ!」


 あまりのみじめさに耐え切れなくなったクエルは、腹を抱える様にして笑いはじめた。その動きに、手にしたランタンが大きく揺れる。


 これを落としてしまったら、火傷ぐらいでは済まない。クエルはランタンを足元へ置こうとした。だがそこで床に奇妙なものがあるのに気づく。


「何だこれは?」


 慌ててランタンを手に振り返ると、うっすらと白く積もるチリの上に、自分の足跡が見えた。だがそこにある足跡はそれだけではない。


 もっと小さな足跡が、石板の前から階段の上へと続いている。


 ガタン!


 さっき玄関で聞いた音が再び響いた。クエルはその小さな足跡を追って、階段を駆け上がる。足跡は一階を通り過ぎ、二階の居間の前で消えた。その先にある扉は閉まっている。


 おかしい。さっきフリーダを出迎へに行った時に、開けっぱなしにしたはずだ。クエルは一瞬躊躇したが、思い切って居間の扉を開けた。


「な、なななな……」


 クエルの視線の先では、頭に白いカチューシャをし、白いレースの縁取りのついた侍従服を纏った少女が、箒とチリ取りを手に、部屋の中の掃除をしている。


 少女は長椅子の一つを持ち上げると、その下を箒で掃いた。


 ガタン!


 少女が長椅子から手を離すと、椅子が床に落ちて音を立てる。


「だ、誰だ!?」


 クエルは居間の中へ駆け込むと、謎の侍従に向かって叫んだ。


「走るな。塵が舞うだろう」


 少女は背中を向いたままクエルに答えた。そして箒とチリ取りを手にしたまま、ゆっくりとクエルの方を振り返る。


 それは闇の様に黒い髪と、深い紫色の目を持つ少女だった。肌は紙の様に白いが、その唇は朱を引いているかの様に赤い。


「き、君は!?」


 クエルの呼びかけに、少女が首を傾げて見せる。


「無責任だな。自分で覚醒させておいて、『君は?』はないだろう?」


 その言葉にクエルはハッとした。その姿は確かに自分が動かそうとしていた人形に似ている。それに居間に置いていたはずの人形の姿はどこにもない。


「ともかく邪魔だ。我の仕事が終わるまで外に出ておれ」


「仕事?」


 箒を片手に少女が頷いて見せる。


「その程度のことも分からないのか? 掃除は侍従人形の大事な仕事の一つだ」


「侍従人形!?」


 どこをどう見ても、本物の人間にしか見えない。父の操る人形は人間以上だという噂を聞いていたが、国家機密となっていて、クエルも詳しくは知らない。


「マスター、そんなことより我に名前をつけろ」


「名前?」


「そうだ。人形にとって名前は特別なものだ。それこそが我らの意識の結合の証となる」


 そう告げると、少女はさっさとしろとでも言うように、顎をしゃくって見せる。未だに混乱し続けるクエルの頭の中に、不意にある名前が浮かんだ。


「せ、セレン。セレンだ!」


 母のクエルだけの愛称だ。母の本当の名前は「セラフィーヌ」だが、幼い時には言いづらかったので、そう呼んでいた。


「『セレン』だな。了解した」


 少女は箒とチリ取りを椅子へ立てかけた。そして片足を引き、片手を世界樹の実がある胸の位置へ置いて、クエルにひざまづく。


「我『セレン』は汝がぼくとしてこれに従うことを盟約す。我れらは二つにして一つ、一つにして二つなり」


 そう告げて立ち上がると、クエルの方へ一歩進んだ。


 クエルの目の前に、こちらを上目使いに見る深紫色の瞳がある。自然な瞬きをを含めて、どこからどう見ても人のものにしか見えない。


 少女はクエルの胸に手を添えると、つま先立ちになって背伸びをした。そして顔をクエルの方へと近づける。


「な、何を……」


「目をつむれ。そのぐらいは常識だろう」


 次の瞬間、クエルの唇に少女の唇が重なった。その唇は暖かく、その吐息は熱く、そして甘く感じられる。


「ちょっ、ちょっと!」


 クエルは少女の体を振り解くように離れた。クエルの視線の先で、少女が悪戯っぽく笑っているのが見える。


 あまりの恥ずかしさに、クエルは耳の後ろが燃えているみたいに熱くなるのを感じた。


「これは結合の証とやらで必要なのか!?」


「今のか? これは我のお前への信愛の情だ。我らは一つなのだからな」


「ちょっと待て、初めてのキスが人形相手だなんて、洒落にならないぞ!」


「初めてなのか? マスター、お前は異性にもてないのだな。だが気にするな。我は人形だから、初めてのうちに入れなくても良い」


「本当に覚醒したばかりなのか? 誰かのお古とかじゃないのか?」


 人形が思いっきりクエルの脛を蹴っ飛ばす。


「い、痛い!」


 クエルは脛を抱えて飛び跳ねた。おかしい。人形はそれを操る人形師の意志に忠実ではないのか?


「失礼なマスターだな。世界樹の実の本質を全く理解しておらぬ。我はお前のくだらない思考に忠実なのではない。お前のあるべき姿に忠実なのだ」


「はあ?」


 その言葉を鵜呑みにするのであれば、主従が逆の様にしか思えない。


「それよりも先ほどお前が付けた名前は我の真名だ。そう簡単には使うな。だからもう一つ名前をつけろ」


「一体いくつ考えれば……」


 少女が足を振り上げる素振りをする。


「分かった。『セシル』だ!」


 クエルがピエロの人形に付けていた愛称だ。母が亡くなった今、それを知っているのは、フリーダとリンダおばさんぐらいだろう。


「『セシル』か、了解した。普段は我をその名前で呼べ。『セレン』の名前を使うのはそれが必要な時だけだ」


「必要な時って、いつなんだ?」


「それはすぐに分かる」


「それよりも掃除の邪魔だ。さっさと部屋から出ろ。それとも他に頼みたい仕事でもあるのか?」


 セシルはそう問いかけると、片足をスッと引いて、両手でスカートの裾を持ち上げて見せた。


「ご主人様、このセシルに何かご用事でしょうか?」


「な、ななな……」


「お前の男としての欲望でも良いぞ。どうやらそれも侍従の務めのひとつらしいからな」


 少女がクエルに怪しげな笑みを浮かべて見せる。クエルは悟った。こいつは人形なんかじゃない。人をたぶらかしにきた悪魔だ。


 そうでなければ、あのとんでもない悪夢の続きに違いない。


「マスター、我を勝手に夢の産物などにするな。それに客がきたぞ。勝手に入ってくるとは失礼な客だ」


 そう言うと、顔をしかめて見せた。セシルの言う通り、クエルの耳に誰かが階段を登ってくる音が聞こえる。


 こんなことをするのは一人しか居ない。フリーダだ。たとえこれが夢の中だとしても、こんなのと一緒にいるのを見られたら、間違いなく命に関わる。


「セシル、どこかに隠れろ!」


「隠れる? 我はお前の忠実なる人形だぞ。どうして我が隠れないといけないのだ?」


 議論などしている時間はない。クエルはセシルの体を担ぎ上げると、長椅子の背後へ隠した。


「さっきの態度は何なの? 返事ぐらいしなさいよ!」


 早くも廊下からフリーダの声が聞こえてくる。


「一体どうしたんだい? 用事があるのならこっちから……」


 フリーダはクエルの呼びかけなど無視して、居間へと向かってきた。


「クエル、開けるわよ!」


「ちょっと待って!」


 クエルは長椅子の後ろを覗き込んだ。


「ここにいろ。いいか、絶対に顔を出すなよ!」

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