決意
「ご馳走様でした」
クエルはそう告げると、フリーダの家の玄関を出た。辺りを照らす午後の日差しには、既に夕刻の気配が感じられる。
「私の誕生日のドレスはどうだった?」
一緒に玄関まできたフリーダが、クエルに声をかけた。
「うん、あの光沢のある紅色は、フリーダの髪の色にとってもよく似合っていると思うな。でもスリットは少し深過ぎないか?」
クエルは最後の一言を付け加えてから少し後悔した。案の定、フリーダはクエルに少し意地悪そうな顔をして見せる。
「私だってもう大人なんだからね。あのぐらいで丁度いいのよ」
そう告げると、髪をわざとらしく片手でかき上げて見せる。その真紅の髪が、少し強く吹き始めた風になびいた。
「そうだね」
クエルは素直に同意した。それを見たフリーダが、「フフフ」と含み笑いを漏らして見せる。
「正直なところ、私も最初はどうかなと思ったのだけど、ないと絶対に歩けない。あってもかなり厳しいのよ。それにどんな下着を付けるか知っている? あれは絶対に拷問よ!」
クエルはフリーダの下着という言葉に、思わず顔が赤くなるのを感じて慌てた。昔は裸で一緒に水浴びをしていたはずなのだが、どうしてこんな気分になるのだろう。
「クエル、実はお父さんから、これからどうするのか聞かれていたの。大人になったら何がしたいのかって……」
クエルはフリーダの茜色にそまる瞳を無言で見つめた。
「色々と考えたんだけど、私も決めた。私も人形師になる」
「それって――」
もしかして、自分のせいかと言おうとしたクエルに対して、フリーダが首を横に振って見せた。
「勘違いしないで。クエルが人形師になるからじゃないわよ。父さんの代で初めて宮廷人形師になれた末席も末席だけど、私の家は元々人形師の家系だし、小さい時から訓練もしてきた」
フリーダはそこで言葉を切ると、クエルの胸を指差した。
「クエルもそれを目指して頑張ってきたんでしょう? だから私もクエルに負けない人形師になるよ。覚悟してなさいよ。人形師になったら、同じ人形師として、クエルなんかコテンパにしてやるんだから!」
そう告げると、フリーダは片手を振って家の中へ駆け戻っていく。その背中で跳ねる赤毛が、夕刻の黄色い日差しにキラキラと輝いて見えた。
後ろ髪を引かれる思いでそれを見送ると、クエルはすぐ隣の自分の家へと向かった。
クエルの家はフリーダの家に比べると、遥かにこじんまりとした造りで、裏庭のようなものもない。クエルは通りからすぐにある、すりガラスが嵌められた玄関の扉を開けた。
「ただいま」
誰もいなくなったこの家に戻ってから、すでに半年以上になるのに、ついそう口にしてしまう。
もちろん誰も返事をする者はいない。そうだ。今はあれがいた。クエルによって起動されたと主張する、人形の皮を被った悪魔だ。
「あれ?」
クエルは首をひねった。屋敷の中からは何の返事もない。寝ているのか? そもそも人形に寝る必要などあるのだろうか?
父親は導師の尊称まで持っている人形師だったが、クエル自身はあまり人形の事を知らない。
それでいて、世界樹の実を使って人形と繋がろうとしていたのだから、無謀と言えば無謀すぎだ。
いや、違う。自分が人形のことを知らないのではない。父を除けばどんな人形師も、セシルみたいに人そのものに見える人形の事は何も知らないはずだ。
少なくともクエルが人形について学んだ、この家にある教科書や教本の何処にも書いてない。
やはりフリーダの言う通り、国家選抜を受ける前に、ギュスターブさんに色々と聞いておくべきなのだろうか?
そんな事を考えているうちに、クエルは二階の居間の前まで来ていた。
「セシル、帰ったよ」
クエルはそう声をかけると、居間の扉を開けた。セシルが椅子に座っているのが見える。だが全く動こうとはしない。クエルは椅子の前まで足をすすめると、セシルの前に跪いた。
「セシル?」
その顔に向けて再び声をかけるが、やはりなんの反応も返ってこない。あれほど人そっくりだったのが、人に似せた人形に戻ってたたずんでいる。
「おい!」
クエルは肩に手をかけると、慌ててセシルの体をゆすった。突然にその瞼が開き、現れた深紫色の瞳がクエルを見つめる。
「セ、セシ……」
驚いたクエルがその名を呼び終わる前に、唇が冷たい何かによって塞がれた。そして目に見えない糸が、自分とセシルの間にピンと張りつめたのを感じる。
同時にクエルの唇をふさぐセシルの唇に、急に温かみが戻ってきた。
「同期だ」
唇を離したセシルがクエルに告げた。
「同期?」
「そうだ。お前から我への力の譲渡が同期だ。我ら人形は人形師との精神的な結合により力を得る。言わばお前の精神力こそが我の力の元だ。それが尽きれば我はただの物にすぎない。それぐらいは人形師としての常識だろう?」
そう告げると、セシルは椅子から立ち上がって、まるで本物の人がするように伸びをして見せた。
「思ったより掃除が大変でな。もう少しで力を使い果たすところだった。それでお前が戻ってくるまで、全ての活動を停止していたのだ。何せお前一人での同期はまだ無理だからな」
クエルが辺りを見回すと、部屋中に積もっていたあのチリの様なものは全て消えている。そういえば廊下や階段にあったチリも、綺麗さっぱり無くなっていた。
「最初の口づけも、悪戯と言う訳じゃなかったのか?」
「最も簡単な同期の方法だ。我がお前に口づけをすれば、お前の精神は我に集中する。同期にはそれが必要なのだ」
「今みたいにセシルが動けなくなったら、そ、その、口づけをすればいいのか?」
クエルの台詞に、セシルは口元に笑みを浮かべて見せた。
「そうだな。お前が我に対して、偽りのない親愛の情を持って行えば、同期は行われるであろう」
親愛の情でキスをする!? その言葉にクエルはぎょっとした。
「他の方法は? 前にあると言っていたよな?」
「別に口づけでなくても良いぞ。他にも親愛の情を示す方法は色々とある」
そう告げると、怪しげな笑みを浮かべて見せる。クエルはそれを聞いたこと自体を後悔した。
「まともに同期を行うには、お前の人形師としての技術も力も足りなすぎだ。現状で我がまともに振るえるのは、お前に依存しない知識だけだな。だがきちんと技術を磨いて、力の源になる精神を鍛えれば、同期はもちろん、我にどれだけの力を与えるのかも制御できる様になるだろう」
「しばらくは同期が必要ないくらいにか?」
「もちろんだ。そうなれば我が振るえる力もより大きくなる。だが精神的な力と言うのを舐めるな。それは肉体的な力よりもよほどに大事なものだ。それを失えば、お前の生命活動はすぐに停止する。たとえ生命を維持できたとしても、お前の心はもう戻ってこない。そういうものなのだ」
そう告げると、セシルは人の心臓に相当する位置、核の台座があるところを指し示した。
「それは同時に我の死も意味する。我とお前との繋がりは唯一だ。他の何かで代替する事はできない。お前から受け取った力が尽きた時点で、我も活動の全てを停止する」
クエルはセシルの深紫の瞳に頷いた。
「セシル、大事なお願いがある」
「あらたまってなんだ?」
そう答えたセシルに、クエルば深々と頭を下げた。
「僕にその人形師としての技術を、精神を鍛えてほしい。僕は人形師になりたいんだ」
頭を下げるクエルを見ながら、セシルが首を傾げて見せた。
「マスター、お前は既に人形師だ。我を操っている」
そう言ったが、すぐに納得した顔をする。
「なるほど、あの赤毛か?」
セシルの問いかけにクエルは狼狽えた。どうやらすべてお見通らしい。それはクエルが今まで心の奥底で、必死に抑えていたものでもあった。
「分かった。我がお前が人並みの人形師になるための手伝いをしてやろう」
「ありがとう!」
「何を喜んでいる。普通は人形師が我を、人形を制御するのだ。人形に人形師が鍛えられるなど、普通はあり得ないのだぞ」
「確かにそうだな」
クエルはセシルに向かって頭をかいてみせた。
「まあ良い。世界樹の化身たる我の深淵さを知るがいい。たとえお前でも、我がそれなりの人形師に仕立ててやろう。それよりも仕事だ」
「仕事?」
「そうだ。我は侍従人形だ。我の基本属性は掃除に洗濯、それに食事の用意と夜の努めだ」
「属性で夜の務め? なんだそりゃ!?」
「属性とは我の方向性の様なものだ。我らは核を展開するための器を必要とする。お前たちが人形と呼んでいるものだ。その器を触媒として、核の力は発揮される。故にそれが我の属性になるのだ」
「元の人形の機能というか、目的の影響を受けると言うやつだろう?」
「お前の足りない頭にしてはよく理解したな。褒めてやる。分かったら外から薪を持ってこい。我にはこれから食事を作るという仕事があるのだ」
「薪? 僕が持ってくるのか!?」
「そうだ、さっさと行け!」
セシルはクエルの体をくるりと回転させると、その尻を蹴っ飛ばした。蹴飛ばされたお尻を撫でながら、クエルが居間を出ていく。
「鍛えるも何も、まずはお前にかけられた呪縛を解かねばならぬな」
セシルはそう言葉を漏らすと、調子外れの鼻歌を歌いながら、階下の台所へと向かった。
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