第14話 消え行く情

 夫が会社の駐車場で軟禁されていたおよそ三時間の出来事は、もはや社内に知らぬ者はいなかった。

何故なら、面会に行ったまま業務に戻らない夫を探しに来た社員に、修羅場を目撃されてしまったのだ。

 

 ただならぬ光景に慌てて近寄る社員に「大丈夫だから」と平気なふりをして「自分の午後の業務を他の同僚にサポートを頼みたい」と伝言を託す羽目になってしまった。


 そして、伝言ゲームになった噂は波紋のようにどんどん広がっていった。


 後に夫はフォローしてくれた同僚にお礼と謝罪をし、さらに上司に事の顛末を話し謝罪した。

「嫁さんの親が?そんなことあるのか?お前もたいへんだなぁ。にしても会社でこういうことは無いようにしろよな」


 同情する者、陰で囁き笑う者、余計な業務を負い不満を持つ者、さらに根掘り葉掘り聞きたがる者...

 夫は上司を始め、他の社員の自分に対する目が一変したのを感じ取った。


 翌日、夫は溜め息をつき、うつ向きながら重い足取りで会社へ行った。


 昨夜、夫は私に怒りをぶつけた。

夫の怒りは私にしか向ける相手がいない。そう、私のせいだ。

私は謝るしかない。

 だが、それ以上に私は夫の身を案じた。今日は大丈夫だろうか?昨夜は実家からの着信はなかった。


 私が思うに、母親はきっと私の夫が自分の母親に嘘を言いくるめられて洗脳されていると本気で考え、自ら真実を明らかにし夫を目覚めさせようとしたに違いない。


 私の母親にはそういう節がある。

いつだって自分は正しく、正義で、間違ってなどいない、という。

 だが、この結果を受けて何をどう考えているだろうか...


 その日の夕方、私は息子を抱きながら自分の幼い頃のことを思い返した。

いったいどこから間違ってしまったのだろう。

 日が沈みかけ、西日が照らす部屋の中でいろいろな記憶が蘇る度に涙が溢れた。

 勿論、悪い思いでばかりではない。いい思い出もあったはずなのに、まるで頭の中に映し出された様々な記憶が、どんどん溶けて落ちていくようだ。

"思い出" という記憶は、どれもこれも全て止めどなく流れる涙と共に崩壊していく。

 私の親達は取り返しのつかないことをしてしまった。


 私の腕の中には、疑いのない安心感で眠る息子がいる。

その寝顔がとても愛おしい。

ああ、そうか。

"愛おしい" ってこういう気持ちをいうんだ。


『子供を持つと親の気持ちが分かる』

そんなことをよく母親は言っていたが、母親の心意は"感謝されたい" というだけ。

 私と母親は違う。

私の母親は"自分が一番大事" なのだ。

私のことを大事な子供だと思うなら、絶対にこんな思いはさせない。させるはずがない。


 そうして私の中の【親】に対しての【娘】としての感情は消えていった。

そう、私の中の【親】は終わったのだ。



 その頃、夫は会社のオフィスで呆然と立っていた。

社員皆の注目を浴びながら、私の父親が怒鳴り込んでいた。


 

 


 

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