第7話 浮かれる母親
"産後二十一日、水を触るものではない"
昔からそういう風習があるという。
だが姑は私に
「"水を触るな"っていうけど、昔と違ってお湯も出るし、洗濯も洗濯機がやってくれるんだから、わざわざ実家に帰らなくても」
と釘を刺した。
その言葉に、「姑は産後の弱った体でも今と変わらず私を "使う" つもりなのだ」、と勘ぐった。少しの間、休みが欲しいと思ったのだ。
無事に母子共に退院し、一度子供を連れて姑の待つ家へ帰った。
「帰ってきた、帰ってきた!おぉ、よしよし。生まれて初めて入る家はこっちの家じゃなくちゃね。この家の子なんだから」
孫に話しかけてるように見せながらも、私達夫婦にチクリと言ってるのはよく伝わってきた。
姑の気のすむまで子供を抱かせた後、挨拶をして実家へ向かった。
姑は何も言わず、私達を送り出した。
実家では、布団がひかれたベビーベッドが居間に置かれ、今か今かと私達3人の到着を首を長くして待っていた。
私達は出産準備で揃えたものを持参し、挨拶した。
「産後の娘の面倒をみるのは実家として当たり前のこと。実家としての務めをキチンとやらなきゃ、世間に笑われてしまうわ」
そう言う母親はご機嫌だった。
弟は毎日のように帰りが遅く、休日も家にいることはなかった。親に買ってもらった車は1年程で売り払い、当時若者に人気だったトヨタのクラウン マジェスタに乗り替えていた。
「あの子、あの大きな車自分で買ったのよ」
母親は満足そうだった。しかし、ある時は
「あの子、車のローンが大変だって家に生活費入れないのよ」
と、言ったかと思うと
「あの子、会社の付き合いが多くて飲み代を貸してくれっていうの。何度貸しても戻ってこないわ」
と、私に愚痴をこぼす。
そして私が
「私にやらせたようにやらせればいい」
と言うと
「男だから仕方ないのよ」
と、笑って締めくくった。
そう、いつもそうだ。
弟は男で、長男で、家督だからと、親にとっては特別な存在なのだ。
そうして大きな車を乗り回す自分の息子を、母親は世間に自慢するのだ。
自分は決して乗せてはもらえない車を所有する息子を。
その頃姑は伯母の所、すなわち自分の姉にその後の対処をどうすべきか相談に来ていた。
「なして息子まで嫁の実家さやったの?婿にやったわけでもあるまいし」
姑は姉の言葉に苦々しげに愚痴をこぼしながら
「あっちの親のことだから、また何を言ってくるかわかったもんじゃない。後々問題にならないようにどうしたらいいの?」
産後の三週間ではあるが、やはりそれは姑にとって自分の息子まで嫁の実家に世話になっていることは腹立たしく、また不安だった。
父親は既に船を降り、年金を受けとりながら魚市場でアルバイトをしていた。
母親は孫のいる生活を満喫するかのように家事に精を出していた。
次々に親戚や知人が出産祝にやって来るのも、母親にとってとても嬉しいことだった。来た人、来た人に孫を大層自慢するのだ。
「可愛くて大きな赤ちゃんね」
「ずっしりして重いわ。母乳あげてる?やっぱりねぇ」
「良かったわね。立派な男孫で」
等々の言葉をもらい、誉め言葉や社交辞令を真に受ける母親の性格上、浮かれ具合も相当だった。
中でも
「若いおばあちゃんね」
と言われるのがとても気分がいいようだ。
私にはどれも誉め言葉には聞こえず、皆が母親の好みそうな言葉を投げ掛けているようにしか見えなかった。
夫はこの家の環境に馴染めず、居づらそうだった。
仕事で疲れていても強要される一家団欒。母親の父親に浴びせる言葉にも嫌悪感を覚えていた。
「親がいない」
「世間を知らない」
「常識を知らない」
夫は、母親が父親を見下しているよう感じた。
それにたいして何も言わない父親。
さらに家に居着かない弟。
母親は夫に対して "幸せな家族図" を見せつけ、信用させ、姑より自分の方に引き込もうとしているようだったが、逆に見透かされてしまっていた。
夫は私に聞いてくる。
「お義父さんは家族のためにずっと働いてきたのに、何であんな言い方されているんだ?」
「お義母さん話してるのに誰も聞いてないの何故だ?」
そう、母親の話は苦痛になるので家族は、特に私と弟は聞き流すことが習慣になっている。父親は時々、我慢の限界がきて怒りが沸点に達し爆発することがある。
やっぱり変だったのか、この疲れる家族は。
二十一日後、私達家族3人は、未練タラタラの母親をかわし、挨拶をして実家を後にした。
そして、その翌日、姑は私の実家を訪れ、私達3人分の生活費として包んだ謝礼金を渡し、礼を言った。
嫁をもらった一家の長としてのケジメであった。
そう、区切りをつけたはずだった。
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