第2話 世間に笑われないように
私は船乗りの父親と酒屋の娘の母親との間に長女として生まれた。4才年下には弟が一人いる。
父親は早くに両親を失い、中学卒業してすぐに漁業船に乗った。
母親は親兄弟に
「商売をやっている家の者として商業高校へ行け」
と言われていたが、高校進学を自ら蹴って中学卒業後東京への集団就職の道を選んだ。
母親にとって、父親との結婚は親に決められた結婚だったという。
船乗りの父親の帰りは年に数回で、子育てや家の事は母親が全部やってきた。
母親のモットーは
「世間に笑われないように」
父親の不在が多いことを理由に好き勝手に噂されたくない、なめられたくない、という思いからだろう。
そのため、私は厳しく育てられた。
平手でひっぱたかれたり、外に閉め出されたり、物差しでたたかれたり。
私はずっと
「あなたのためよ」
という母親の言葉を信じていた。
けれども次第に違和感を感じるようになっていく。
弟には...甘い
私の弟は親戚中で久しぶりの男子だった。祖父も祖母も弟の誕生をこの上なく喜んだ。
"男子を産んだ"という周囲の反応に、母親は鼻高々だったのだろう。
弟は大概のことは
「男だから」
と大目にみられた。
成長と共に私は不公平を感じるようになっていく。いつも私を厳しく叱る母親に
「いっつも私ばっかり!」
と、時に怒る私に、母親は決まって言う。
「あなたは嫁に行く身だから厳しくしてるのよ。女だから」
私は高校卒業後、地元の銀行に就職した。
入行前、あれは高校卒業直後であった。
車通勤のため、内定の段階で親に連れられて行った車屋で、私は3年ローンを組んで軽自動車を購入した。
四月に入行してからは、月々のローンの返済と車の保険、母親に渡す生活費、通勤に使うガソリン代に銀行ノルマの積立金で月に自由になるお金は一万円程度だった。
それでも実家暮らしだし、自分でお弁当を作りながら、"高校時代のお小遣いよりは多いんだ"、と自分に言い聞かせて頑張った。
社会に出て4年が経った頃、仕事にも慣れ、多少給料も上がり、車のローンも終えていたことで金銭的にも少し余裕が出てきた。
そして今度は、弟が高校卒業し就職を迎える。
ある日の夜、母親の従兄弟が家にやって来た。
「車、持ってきたから」
と、外に出るよう促した。
皆で外に出ると、外灯の下に鈍く光る中古の黒い車と眼鏡をかけた知らない男。
聞くと、その眼鏡の男からそこにある黒い車を買ったという。
弟のために。
「初任給安いっていうし。軽(自動車)は嫌だって言うしね。男だから」
母が言った。
父親も母親も弟も嬉しそうに前所有者から説明を受けている。
私だけ笑えない。
そんな母親は、私が銀行に就職したことは大変喜んだのだった。
「隣町の親戚のおばちゃんに、"あんたの所の娘は堅実な仕事に就けて凄いわ。あんた上手く子育てしたわね"って褒められたの。お母さん嬉しくて」
私は素直に喜べなかった。
母親の言い方が嫌だった。
母親はいつも私ではなく、"自分の育児の成果だ"、という話し方をするからだ。
その時、ふと気づいた。
ああ、そうか。
私が頑張って出した結果は、全て母親の手柄なのか。
母親のモットー
「世間に笑われないように」
とは
「母親の私が世間に笑われないように育ちなさい」
ということだったんだ、と。
私は母親の"もの"なのか。
時には意のままになる人形のような"もの"
時には困ったときに助けてくれるロボットのような"もの"
時には愚痴を聞き、ストレスを癒すペットのような"もの"
私は母親の作り上げた"娘"という都合のいい"もの"
そう思った瞬間、言いようのない大きな真っ黒い塊が、心の底に落ちていった。
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