第28話 隠蔽
浜本刑事部長は警視庁における刑事部門のトップに立つ男である。その浜本にしてこの問題は対処できなかった。
霞が関のとある一室、そこには浜本のほかに警視総監の久保井、警察庁長官官房長の菊池、国家公安委員で内閣法制局長官の糸島がいる。愛知県からは総務部長の沢井が召喚された。浜本の傍らには一課長の富永が補助のため在室していた。
「では説明をいたします。お手元の資料をご覧ください。」
浜本に成り代わり富永が説明を始めた。
「歌舞伎町における暴力団組長の狙撃事件を皮切りに一都三県にわたり発生の広域重要指定133号事件は被疑者大森冬子を銃刀法違反の現行犯逮捕という形で一定の目処が立ちました。依然被疑者は黙秘を続けており、動機面、背後関係についての解明には至っておりません。現場で押収された猟銃の豊和ゴールデン・ベアですが当初のところデータベース上では過去歴は無く、登録銃照会においても無登録の所有者不明の状況ということになっておりました。事態が変わったのは大森が愛知県新城市山中を示唆する緯度経度を筆記したところからです。同所の捜索の結果、資料2に記載の物件が発見されました。それでは資料2をご覧ください。」
資料2の内容は
・特殊執行銃廃棄命令書 一通
・名古屋5号切断処理完了報告書 一通
・名古屋5号溶解処分済証明書 一通
・名古屋5号各方向全体写真 四枚
・銃身並びに機関部近影写真 四枚
・専用弾写真 一枚
・使用後弾頭写真 一枚
・線条痕拡大写真 五枚
・採取線条痕拓本 二枚
であった。
「押収された犯行銃はこの資料に載っている名古屋5号と同一という解釈でいいのかね?」
久保井が問いかける。
「残念ながら、打刻番号と線条痕が一致しました。」
「にわかには信じられない、その押収した資料は原本なのか?」
菊池である無表情だ。
富永は答えた。
「いえ、押収の資料は全て複写でした。」
「ならば、偽造書類の可能性も否定できないだろう、被疑者が捜査のかく乱を狙って用意したものかもしれない。」
「その点は確認を取りました。特殊執行銃は国有で各都道府県に貸与の形をとっております。したがって管理資料も警察庁保管で永年保存です。廃銃が昭和49年と相当古いものでありましたが永年保存のため原本は残っておりました。結論は偽造ではなく純正の複写で間違いありません。」
糸島が呆れた口調で
「ではこういうことですか?今から50年近くも昔に溶鉱炉で溶かされた警察のライフルが現代に蘇り人を殺した。」
「そういうことになります。」
富永は淡々と答えた。
「沢井さん、ご説明願います。愛知の処分方法は適正ですか?」
長官官房長の厳しい口調に恐縮しつつ愛知県総務部長は答える。
「はい、命令書の到着とともに装備課の担当者が美浜町にある契約工場で切断処理をします。三つに切断後は同工場の溶鉱炉にて溶解処分となり終了後は関係書類を本庁に送付します。」
「途中で銃を亡失する可能性はいかがですか?」
「それこそあり得ません。複数の装備課員が厳正に管理します。切断、溶解の都度専用書類に工場の担当者から署名を徴収しております。亡失は万に一つもあり得ません。」
「当時の装備課員から事情は訊けましたか?」
「50年近くたっておりますので当時の担当者は全員他界しております。」
「菊池さん、何とかなりませんかね?50年前の紙媒体の資料でしょ。原本を処分してしまえば面倒な問題は一切なくなると思うのですがね。」
糸島はまるで他人事のように軽く言った。
「無責任なことを口にしてもらっては困ります。自分で言っていることの意味をお解かりか?公文書の偽造や棄損は重大な犯罪なのですよ。警察を他の省庁と一緒にしてもらうのは甚だ迷惑です。」
菊池は語気を荒げる。
「皆さん、ここはひとつ原点に戻りましょう。大切な事は存在しないはずの名古屋5号がなぜ現代に現れたのかではありません。着目すべきはこの失態を被疑者が我々に突き付けたという部分です。どう取り繕おうがこの銃が犯行に使われた事実を変えることはできません。この事実を知る者はこの場にいる我々と大森冬子だけということです。」
総監の久保井は穏やかに話した。
「浜本さん、あなたの見立てを伺いたい。」
「富永課長、説明しなさい。」
総監から意見を振られた浜本刑事部長は富永にキラーパスを送る。
「では、刑事部長のご意見をわたくしが代行して説明します。被疑者の現況ですが座標の一件以外は完全黙秘です。事実の認否はもちろん氏名も語っておりません。当然調書などの書類にも署名はしておりません。要求や抗議、牽制などの行為は無く弁護人接見も拒否しております。従ってその意図については全く測りかねます。唯一意思表示とみられる座標についてですが、本人直筆であることは間違いありませんが記載の数字に関する説明はしておりません。よって座標というのは我々側の一方的な解釈ともとれますが状況から推察するに被疑者側の意思表示の一種と考えられます。おそらくは公訴提起に至った場合は名古屋5号に関する書類を証拠資料として公開するという意図と思われます。」
「で、今後の捜査をどうするべきかね、君としては?」
「一連の犯行につきまして殺人については物的証拠に乏しく状況証拠のみの状態です。鋭意新証拠の発掘に努めておりますが今のところ好資料はありません。勾留期限はあと2日と迫っていることから今日中に強固な新証拠が浮上しない限り殺人で再逮捕は難しいと存じます。ナイフ所持の銃刀法であれば起訴はあり得ます。」
「君はどう判断する?起訴の上、勾留更新して時間を稼ぐべきか?」
「一般論で言えば黙秘の被疑者ですので改悛の情は認められず処分意見は起訴が妥当だと思います。」
そこで、浜本がかぶせるように口をはさんだ。
「ですが、名古屋5号の件が表面化した場合は殺人の立件はほぼ不可能となり得ます。唯一の物的証拠の銃がこの世に存在しないことを他ならぬ警察が公文書で保証しているわけですので証拠価値は頭から否定されます。
その後予想される展開ですが、処分したはずの法執行銃が多くの生命を奪ったわけですから大きな反響を呼ぶ事は確実で、全国警察の各種装備品の一斉調査は勿論、過去50年にわたる装備品管理状況の検証作業が始まることとなるでしょう。莫大な労力と時間と人員がさかれます。
ことが事だけに外部調査委員会が立ちあげられる可能性もあります。そうなると上層部では困る方も出てくることでしょう。
特に装備品は随意契約なので警察官僚の中には納入業者と必要以上に懇意な方もいるかもしれません。そのことを踏まえてご判断を。」
富永一課長の内心は慙愧の念であふれていた。
結局のところ真相の究明よりも組織防衛が優先された。
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