第27話 パンドラの箱

 銃器使用、短期間、単独敢行の大量殺人事件は昭和初期の津山事件以来であった。

 メディアは連日センセーショナルに煽った。この事件は死者の数のみならずもっと注目されたことは主犯の存在感である。


 元自衛官でありながらオリンピック選手という肩書もさることながら、可憐な容姿が反響を呼ぶ。

 ワイドショーは連日このネタを扱いゴールデンタイムは特番だらけとなる。

 検索エンジンの上位の画像は冬子で占められた。


 動画投稿サイトでは

 ・狙撃姫降臨 ・綾波感パネェ ・キュン死級スナイパー

 等と容姿を絶賛したコメントが目立ちほぼアイドル扱いである。

 警視庁や内閣府には謎の減刑嘆願書が多数贈られた。

 妙なファンクラブが発足し、留置先には接見希望者が大挙して押しかけた。

 接見希望者の中にはマスメディアもさることながら芸能事務所も少なくなかったがそのどれもが面会はかなわなかった。

 冬子には接見禁止決定がなされていて弁護人以外の面会は認められない措置なのだが冬子は弁護士との面会すら拒否した。


 押収銃のライフルマークは現場採証された弾丸と合致し凶器と特定された。

 須藤の内妻みゆきは重傷だが命に別状はない。迅馬組の木下代行などの生き残りはことごとく逮捕され組織は壊滅した。

 川崎の倉庫からは500キロのピュア・ブルーが押収された。戦後最大級の押収量である。



 逮捕後冬子は完全黙秘で一言もしゃべらなかったが勾留延長当日に

「紙とペンを頂戴」

 それだけを口にした。

 紙に書かれたものは九桁の数字と十桁の数字であった数字の中にピリオドが含まれていた。何の暗号か捜査本部は頭をひねったが程なくして緯度経度と分かった。

 場所は愛知県新城市の山中と特定されそこには古い小屋がある。




「…起訴猶予処分、なぜですか?納得いきません。しかも検察の決定ではなくて捜査本部側の処分意見が起訴猶予だなんてありえません。本気ですか?係長と私は命がけで戦ったのですよ。」

 多恵は憤った。


「決まったことだ、つべこべ言うな。まもなく捜査本部は縮小となる。君も常務に復帰してもらうからそのつもりで。」

 富永は一切取り合おうとしない。





「…そう、それは残念だね。教えてくれてありがとう。」

 病室でパジャマ姿の伸郎である。肋骨骨折と肺挫傷であるが回復に向かっている。


 結局のところ立件できたのはカランビットナイフの銃刀法だけであった。

 ライフル使用の殺人については嫌疑不十分とされた。

 銃使用の証拠の所在が疑問視されたのだ、多恵は埠頭のビル屋上の一件について主張したが却下された。


 多恵の主張ではフェンスに立てかけた銃の傍らで腕組みポーズを見ただけに過ぎない。狙撃の実行を見てはいないというのがその理由だ。

 歌舞伎町、浜松の件も同様でカメラ映像のデータについては証拠価値としては弱く立件は見送られた。


 船橋の殺戮については証拠が足跡のみで決め手を欠いた、仮に冬子を被疑者としても状況から勘案して正当防衛が成り立つ。

 多恵や伸郎に対する公務執行妨害は却下された。

 多恵に貸与されたPAS(ポリス・アシスト・システム)端末の録音機能を検証したところ、多恵は自分が警察官であるという身分告知を怠り、当時の状況を再現検証すると、先に殴りかかっているのは多恵の方であったことが露見した。

 この内容では正当な公務とは評価できず、下手をすれば多恵の方が訴追されかねない内容である。

 詰まるところ、手堅く立件できるものはナイフのみとなったがこの程度では前歴のない初犯の冬子をいつまでも勾留する理由にはならないというのが検察と捜査本部の見解であった。



 伸郎も腑に落ちない様子だ、

「何か別の理由があると思う、これほどの大事件なのに消極的過ぎる。その後の大森の行方は?」


「当然姿を消したわ、警備部が視察対象とみなして追っているけどね。」


「勾留中の彼女の様子で気になる点は?」


「ほぼ完黙だけど一度だけ緯度経度を紙に書いて取調官に手わたしたの。」


「それだ。その場所は?」


「愛知県よ、新城ってところの山の中」



 季節は初秋となった。愛知西部にある新城市は自然豊かな町である。あちこちから金木犀の甘い香りが漂う。

 伸郎のケガもだいぶ良くなった。一時は喋る度に咳き込み血の泡が出たものだ。今は出歩いても支障はない。

 件の小屋は町はずれの耕作放棄地の一角にある荒れた農機具部屋であった。

 中を見たが朽ちかけた農具が雑然と置かれているが、他に気になる物は見当たらない。

 だが小屋内は地面がむき出しで所々掘り返した跡があった。それほど深くは掘ってはいない。


「何を埋めていたのかな?」


「穴の規模からは人体ではないね、もっと小さなものだ。」


「ねえ、ガサの押収物って何だったの?」


「それが不思議なことに小屋の捜索では差押え物件は無かったことになっている。」

 伸郎は確信していた、この小屋からは何かが出ている。

 その影響で大森冬子は釈放された。

 世に出てはならないパンドラの箱を掘り当ててしまったのだ。



 二人はそのまま法務局に赴き農機具小屋の登記について調べた、登記簿は誰でも見ることが出来るか便利である。

 土地の名義人は雨宮陸助で登記されていることが分かった。

 多恵は首をひねる、

「雨宮?どこかで聞いたことが、」

「よく覚えていたね、大森竜造の旧姓が雨宮だ。」



 雨宮陸助は大森竜造の従弟に当たる人物であるが竜造とは交流は無い。

 大昔の子供のころに2~3回あったことがある程度でほぼ他人と言える関係であった。

 住居についても新城市ではなく名古屋市近郊のベッドタウンの建売住宅であった。

 農地については父親からの相続した土地であるが立ち寄ったことはなく自身の仕事も役場勤務で農業とは無縁である。

 本音を言えば農地は不要なので処分したいが買い手がつくどころか寄付や国庫帰属も難しい有様で悩みの種とのことである。

 そもそも農地は伯父の雨宮泰造の名義であったが泰造が死亡したため弟であった陸助の父親が相続する形となったそうだ。

 子供の頃、雨宮泰造の葬儀に参列したのを最後に竜造とは会っていないとのことである。



 泰造を調べた結果意外な事実が分かった。伸郎や多恵の大先輩で警察官である。

 特銃隊の小隊長を務め射撃の腕は相当なものであったらしい。

 伊勢湾シージャック事件の被疑者を射殺したのは泰造ということも分かった。

「血は争えないなぁ、親子三代続く殺しの専門家かぁ、」

 多恵は感心した。

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