第25話 タイマン
「今、体制を整えてそっちへ向かっている、いいか玉置君、君はそこから離れて安全な場所へ退避しろ。三島主任は我々が必ず救出する。」
富永一課長との連絡はそこで終わった。
銃声の激しさは増すばかりである、伸郎は逃げ出したかったがプライドがそれを許さなかった。
為すべきことを必死で考えるが何も思い浮かばない、自分が如何に無力か思い知る。
やがて今までとは違う重低音の銃声が響きだした。閃光が見える青白くて長い銃火が建物の屋上で光る。屋上からは何度も閃光が走ったがやがてそれも静まり静寂が訪れる。
伸郎は大森冬子が屋上にいることを直感した。大森がいるのならそこには必ず三島多恵も来るはずである。何を為すべきか分かった。車を降りて建物に向かって走り出す。
「早いわね、私より早いかも。」
「ったりめーだ、元陸上選手舐めんな。」
非常階段を駆け上ると屋上の鉄柵に冬子はもたれて腕組みをしていた。傍らにボルトアクションライフルが銃底を下に立てかけてある。まるで多恵を待ちわびていたかのような態度だ。黒を基調としたタイトなタクティカルスーツを纏っている、悔しいが何を着てもどんなポーズをとっても様になる女だと再認識する。
ヒップホルスターからシグを抜きながら
「よう、お前には多数の殺人容疑があるが、とりあえず今夜の埠頭の殺しの現行犯で逮捕する、抵抗すると遠慮なく撃つぜ。」
「無理しなくてもいいわ、弾切れでしょ。もう帰りなさい、今夜はあなたの頑張りに免じて見逃してあげる。」
「ちぇっ、お見通しか、だが舐めんなよ。てめえなんぞこれで充分だ。」
多恵は腰から特殊警棒を振り出した。
冬子は匂いと心音を探ったが恐れも無ければ気負いも怒りも感じない、構えを見ると隙だらけで手加減の余地はある。これなら殺さずに撃退できるレベルと判断した。
「仕方ないわね」
腰からカランビットを抜いて後ろ重心でガードを高く保ちアップライトに構えた。
先制は多恵。一気に駆け寄り冬子の目を見据えたまま低いフォームからのバックハンドで下段を払う、右膝狙いである。
冬子は左サイドステップでかわしながらも右足を軸に左前蹴りを繰り出す。KO目的ではなく相手を突き放すタイプの蹴りだ。多恵は脇を締めて肩で中足を受け止める。
コンバットブーツのビブラムソールなので結構痛い、弾き飛ばされて後退する。
冬子は追撃、ムエタイ戦士風のアップライトの構えのまま距離を詰め左脛で多恵の右腿にローキックをかます。細身の冬子からは想像ができない重みが伝わった。
「てめぇ、蹴り技上手いなぁ。」
多恵は痛みをこらえて突きを繰り出す。
冬子はカランビットの弧の部分を使い空手の回し受けの要領で警棒の先をからめとりながら右のローを繰り出し多恵の左腿を蹴る。徹底した脚殺しでフットワークを奪う気だ。
「いてぇな、そればっかりだな、てめぇは」
多恵は左腿をさすりながら毒づく、
「シュッ」
冬子は短く息を吐き踏み込みながら左のジャブを放つ、多恵はジャブが陽動だと看破して右上段受けでガードする、本命の右のショートフックが飛んできた。右拳には逆手にナイフが握られている。
刃先は上段受けをしたばかりの多恵の右ひじ内側を狙っていた。多恵は体を右に半回転で開き左の掌底で冬子の右肘を払って捌くと同時に右脛で冬子の内腿を蹴る。大抵の男はこれで体勢を崩すのだが冬子はぶれない、凄まじい体幹軸である。
大きく深呼吸した多恵はスタンスを肩幅に取り右のつま先は前へ、左は九〇度に開く重心はやや前方よりで肘は体から拳二個空けて剣先(警棒先)まで真っすぐ保つ、アンギャルドだ。
「ふーん、それが本来のあなたね。」
冬子はつぶやく、初見時よりも格段に隙は減った、攻撃力数値の桁が上がった感覚だ。本能がアラートを青から黄色に変えた。
冬子は今までのアップライトからクラウチングにフォームを変える、通常よりやや前傾気味の姿勢をとった。
多恵はアロンジェルブラで牽制しつつ前足を大きく踏み出し左手を後ろに振ることにより剣先が加速する。
冬子はまるで仙術の縮地でも使われたような錯覚に陥る、辛うじてカランビットで弾くが最初の突きとは比べ物にならない威力である。だがその刺突速度は今体で覚えた。
三連撃が冬子を襲う、リズミカルに左右に重心をシフトさせウェービングで躱す。
多恵の突きが終わっても、冬子は軸をずらして上体を横に寝かせた数字の8の字型に揺らし多恵の左右の死角に回り込みながら徐々に前進する。ウェイトシフトのタイミングに合わせて左右のロングフックを繰り出した。
多恵はロンぺで身を引きながらカランビットをパラードした。火花が散る。
「このボケ、デンプシーロールなんて荒技は相手をもっと弱らせてからするもんじゃい。序盤から出してどうする。」
得意満面でドヤった。
伸郎は走った、先ほどまでの銃撃戦は嘘のように静まり今は自分の足音と息遣いしか聞こえない。心臓は早鐘を打ったようだ、ヘルメットとボディアーマーはとうに脱ぎ捨てている。
たどり着くとビルは四階建ての古くて簡素な造りで外階段が屋上まで続いていたので一気に駆け上がった、屋上から断続的に激しい金属音が聞こえてくる。
すでに多恵と冬子は屋上にいた。お互い中央で向かい合っている、多恵はフェンシングの剣士、冬子はプロボクサーみたいな構えでそれぞれの手には特殊警棒、三日月型のナイフが握られている。
冬子はこんな時でも凛としている、まるで何事もないかのように涼やかな表情だ。
対して多恵はというと肩で息をして疲労がうかがえた。よく見れば腕と胸、腿のあたりも服が裂けていて出血があり旗色が悪そうだ。強い多恵しか知らない伸郎にとっては衝撃的な光景である。
「もう、止めない?これ以上やると体に障害が残るかもしれない、手加減にも限界があるの」
初めて聞く冬子の肉声だ。無機質だが美しい。
「そこのあなた、この人の仲間?彼女を死なせたくなければ連れて帰って。」
伸郎の存在に気がつた様子だ。
冬子は当惑していた。この女は決して弱くはないし戦士として優秀である。
少なくともハンスよりは強い。
しかしながら自分に向けられる攻撃に殺意は微塵も感じられない。
それどころか意図的に急所以外の箇所しか狙ってこない。
これではただの約束組手と変わりがなく稽古でしかない。
戦意を挫くために数か所切ってみたが効果は無かった。
元来冬子にKOやギブアップなどの概念はない。
生か死しかないのだ、自分を捕まえるためには命を奪うしかないという事実を女はまるで理解していない。
殺し合いの場に「殺してはダメルール」を持ち込む矛盾に何故気が付かないのだろう。
外階段から若い男が駆けつけてきた、冬子は相手の仲間だと推察する。
匂いや心音から察するに怯えと混乱と委縮が感じ取れる、戦力的には無能でこの場においては脅威たり得ぬ存在と判断した。
「ざけんな、勝負はまだついちゃいねぇ、こっちみろ、」
多恵は吠えた。前足を大きく振り出しファントを放つ、剣先は矢のように冬子の胸元へ飛ぶ、最速の一撃だ。
速い、だが見切った。
冬子は刃を立てて右前に捌きながら警棒沿いにカランビットをすべらせ親指を切断して手首の腱から二の腕の腱まで一気に切り裂くプランを一瞬で描く。
生涯右腕は動かなくなるがこうでもしなければこの女は止まらない。
やや下方向から黒いラバーに覆われた特殊警棒の先端が飛んでくる。尋常ならざる速さだが冬子の動体視力はそれを捉えた。
右拳を縦拳にして逆手持ちのカランビットの刃体で警棒側面を右から抑えた。
冬子は目を疑った。
払ったカランビットは警棒をすり抜けて左に流れたのだ。
立体映像に触れようとしたら手ごたえがなかったかのように感触がなかった、物理的にあり得ない現象だ。
胸元で何かが爆発した、衝撃波となって背中まで突き抜ける、冬子は後方へ吹っ飛ばされた。
激しく咳き込む、そのたびに胸が痛んだ。胸骨が折れたせいだ。
甘かったのは自分の方だと認識する、敵を格下と侮った報いが跳ね返ってきた。
これがもし警棒ではなく短剣だったら?攻撃目標が胸ではなく喉笛だったら?心臓を貫かれるか頸椎を砕かれるかで死んでいた。
「どうだ、これが影抜きだ。参ったか。」
多恵は本日二度目のドヤ顔をする。
「やればできるじゃない。認めるわ、あなたは強い。」
咳き込みながら冬子は起き上がった。
「変わった?」
多恵は察知する、冬子を取り巻く空気が急に禍々しいものになった。
殺戮に一切の感情を持ちこまないドローン兵器みたいな印象だ、彼女のきれいな黒目の色が一段と濃くなる。
ロールプレーイングゲームで苦労してラスボスを倒したと思ったら、さらに強い最終形態になって復活したような絶望感だ。殺らなきゃ殺られる、最終戦である。
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