第21話 脱出

 膝に鋭い痛みが走り須藤は目を覚ました。

 生きている、まずそのことに驚きを隠せない。記憶を呼び起こすと千葉の倉庫で自分以外は全員あの女に殺された。油断があったとはいえ一方的に小娘にしてやられたのだ。

「いや、見た目は小娘だが中身はバケモノだ。」

 須藤は確信した。松原、安藤を殺したのはあの大森という小娘で間違いない。たしか藤岡が頭を撃ち抜かれたところまでは覚えているが、その後はサッカーボールのごとく頭を蹴り飛ばされたあたりで意識が飛び、今目覚めた。


 何日眠っていたのか見当もつかない。腕と脚の傷を確認した、誰がしたのかわからないがガーゼと包帯で治療してある。かなり痛むが弾は抜き取られているようである。骨に届いている様子だが運よく動脈と神経は逸れていたらしく、痛みを我慢すれば動かすことも可能である。辺りを見渡したが金はかけられた作りではなく地味な住宅で初めての場所であった。部屋に時計は無い、日にちも時間も解らないが窓からは陽光が差し込み室内は明るく時間帯は昼間であることは間違いなかった。


 よろけながら窓際まで行き外を見るときれいな山並みが見える。空にグライダーがのんびりと浮いていた。緩やかな稜線、車山に間違いなかった。昨年みゆきとドライブで立ち寄ったことがあるので覚えている。須藤はすぐに霧ヶ峰であることが分かりここが長野県、松本あたりと踏んだ。手足を動かすと痛むが何とか動く、シャツとトランクス姿だが構わず部屋の外へ出る廊下の向こうは玄関だ。

 抜き足差し足で三和土に降りてドアを見るとありきたりなシリンダー錠がかかっているが内側からなのでたやすく解錠できる。鍵を開けてそっとドアをわずかに開けると、強烈な緑の匂いとともに明るい陽光でめまいを覚える。

 雰囲気から察するに別荘地と判断し裸足のまま外へ出た。自分のいた場所は平屋建ての簡素な別荘と分かった。


 すると、こちらに向かうエンジン音が聞こえ須藤は建物の陰に隠れ様子をうかがった。

 須藤グループが拉致に使ったワンボックスがゆっくりと近づき玄関先で止まり女が降りてきた。

 大森冬子がエコバッグを両手に下げている。買い出しから戻ってきたのだ。

 車のドアは開けっ放しで、エンジンも切っていない。

 大森はドアにカギを差しこみひねって小首をかしげて「あれっ」みたいなリアクションを見せる。かけたはずの鍵が開いていることに違和感がある様子だが大森はそのまま家へ上がり込んだ。

「チャンスは今しかない。」

 手足の痛みをこらえて小走りに開いたドアから車に乗り込む、助手席にはまだ載せ放しのエコバッグがあった。中身は弁当とペットボトル、財布も入れ放しだ。ワンボックスを急発進させる。

「バカめ、詰めが甘いぞ。仕切り直したら必ずけじめを取ってやるから覚悟しろ。」

 須藤はアクセルを踏み込んだ。



 須藤が目覚める数分前

 冬子は路肩に車を止めタブレットを見ていた。

 画像は別荘内の映像で屋内3か所、屋外2か所の画像を見ることができる。

 三日前ここに連れてきて治療すると狙い通り動脈や神経に損傷はなさそうだったが亀裂骨折は避けられなかった。ギブス固定は無用のレベルだ。

 今朝ごろからうめき声をあげだしたことから須藤を部屋に残してタブレットを見ながら隠しカメラ越しに監視をはじめると予想通り午前中に意識を取り戻した。

 屋外へ出たらワンボックスを与えてここから逃げてもらうことにした。

 須藤は気が付いていないだろうが足の傷口内にマイクロGPSセンサーが埋め込んである。


 逃亡中カーラジオから仕入れた情報で分かったことは須藤と藤岡が警官殺しで指名手配されたことと、船橋の貸倉庫で組員が他殺体で発見され対立抗争事件として捜査が始まったことである。

 船橋で発見された遺体の中には指名手配中の藤岡の姿があったが、須藤の姿がないことから内部分裂も視野に入れてその行方を追っているとアナウンサーが喋った。


「ご苦労なこった。貸倉庫は小娘の仕業だと言っても世間は絶対信用しないだろうな。あの大森とかいう女、慣れているというレベルじゃねぇ。どうすりゃあんな化け物ができるのだ?極道の中にもあそこまでの奴はいない。いや、ロシアンマフィアにあれに似た奴がいたがあそこまで無感情じゃなかった。迂闊だった。見た目で油断した。俺のミスで多くの若い者の命を散らせてしまった。この仇は必ず取る。」


 公衆電話を使って組事務所に連絡を取ると木下代行が烈火のごとく怒った。

「てめぇ、何てことしてくれたんだ!てめぇのせいでウチだけじゃなく、本家までガサが入ったんだぞ、小堺のオジキは絶縁だけでは済まさんとお怒りだ。なんでもお前が隠しているピュアを残らず差しだせと仰せだ。とりあえずすぐ戻ってこい。」


「絶縁? 大いに結構、親の仇も取れなくて何が漢稼業だ!ピュアは俺とオヤジの血と汗の結晶だ、てめぇらなんぞに渡してたまるか。」

 乱暴に受話器を叩きつけた。


 タバコを一本吸ってから再び受話器を上げる。

「もしもし、もしもし」

 久しぶりに聞く声である。


「鋭君!鋭君でしょ。何してるの? 今どこにいるの? ケガしてない? ちゃんと食べているの?あのね、刑事が来たのよ。鋭君の居場所を聞かれた。」

 普段よりもかん高い声で半分泣き声になっていた。


「なんでもねぇ、それより金を下ろせるだけ下ろして逃げろ。富山の柴ちゃんの所がいい。落ち着いたらまた連絡する。金も送るから俺のことは心配するな。いいか、すぐにそこから逃げろ。」

 返事も聞かずに受話器を置いた。

 みゆきは須藤にとって女房でも何でもないが組織は何を仕掛けてくるかわからない。須藤はみゆきの安否が気がかりであった。



 深夜、川崎市川崎区のとある貸倉庫に須藤はいた。

 ここはピュアの隠し場所であり、今の須藤にとっては唯一残された潜伏場所である。

 誰も知らない最後の砦だけあって必要なものはそろえてある。

 現金500万円、移動手段のKTM690SMCR、軍用拳銃ツァスタバM57と予備マガジン3本。


 KTMは150㎏弱の軽い車重に690㏄の水冷OHCを搭載したモタードタイプのオーストリア製バイクだ。

 そもそもエンデューロベースの車両なので乗りこなすには高い技量を要求されるが巧者が扱えば市街戦最強バイクだ。

 長期放置のためガソリンは別タンクに保管してありバッテリーも外してあった。

 昼間のうちに充電とオイル、クーラントの交換は済ましてある。


 ツァスタバM57は旧ユーゴスラビア版トカレフである。

 USSRトカレフとの違いは総弾数が9発とオリジナルより1発多く、サムセイフティが追加されている。

 一般的にトカレフはヤクザ御用達粗悪銃のイメージが強いが、密輸入銃のほとんどは消耗が激しくへたった個体が多い故の誤った印象である。

 実銃はフルサイズ軍用銃としては軽量でリコイルはシャープではあるが激しくない。

 命中精度、集弾率も実戦上問題ないレベルで使用される7・62トカレフ弾はハンドガンの中ではトップレベルの弾速を誇り音速を超える。

 撃たれた人間は衝撃の後に銃声を聞くことになる。


 腕と脚の傷はかなり痛むが動かない訳ではない。

 指名手配されている以上、病院へは行けないから市販の抗生物質入り軟膏をこまめに塗ってしのぐ。発熱はもう収まっている。

 痛みは気合と根性で乗り切るしかない。


 解せないのはあの女が何故丁寧な手当てをしたのか? ピュアのありかを聞き出すなら松本の別荘で拷問にかけるのが当然の発想である。

 泳がす手も考えられるがワンボックスは途中で放棄したので発信機を仕込んでも無駄である。

 逃げる最中も追跡を用心したが追手の様子は感じられなかった。

 手厚い治療は何らかの理由はあるのだろうが、今は女が何を企んでいるのか思案する余裕はない。深く考えるのは無駄である。

 一旦は東京を離れ仕切り直すことだ。みゆきは言われた通り逃げたのだろうか?

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る