第16話 ペーパーウォレット

 「甘かった」須藤を舐めて掛かった自分の失策だと伸郎は後悔した。

 まさかいきなりマシンガンを乱射するとは、4人の制服警察官は救急病院へ搬入されたが頭を撃たれた若い巡査は死亡と診断された。


 払った代償はあまりにも大きく指揮官としての力量のなさに敗北感を感じる。

 非常線とともに捜索が開始され10キロ離れた河川敷で燃やされたセダンが見つかったが須藤達の行方はようとしてつかめなかった。


 仇を取りたいのは山々だが、課せられた任務は大森冬子の追跡で今優先すべきは七三メガネ教祖の攻略である。


「ええ覚えていますとも。刑事さんたちが帰った後に入れ変わるように来ましたから。どう見てもヤクザとか半グレとかそんな輩だと思います。」

 安原警察署の談話室で栗田はにこやかに言った。


「その二人とはどんな話を?」


「それが困ったもので私が信者の女の子に何と言いますかワイセツ行為をはたらいているとかありもしない因縁をつけてきたのですよ。

 それで公にされたくなければ金を出せなんて脅してきました。

 もちろん私はそんなことをするわけありませんのでお断りしましたよ。」


「それは大変でしたね。幾ら要求されました。」


「それが具体的な金額は言いませんでした。誠意を見せろの一点張りでなにが言いたいのかさっぱりです。モジャっとした頭の男が言うにはシマザキとかいう元信者の女が私にセクハラされて警察に届け出るとか言っているらしく、自分が警察への届け出を押しとどめているって恩着せがましく言うのですよ。女には治療やカウンセリングが必要だからその費用を一部でも払えとのことで、怖かったです。当然シマザキなんて女性は知りません。」


「払ったのですか?」


「とんでもない、突っぱねました。すると金髪の男が証拠はこれだとボイスレコーダーで女の泣き声で私にいやらしいことをされた云々の告白ボイスを聞かせてきましたが聞き覚えのない声でした。そこで私はさっきまでここに刑事が来ていたことを話して今から呼び戻すって伝えたら慌てて帰っていきましたよ。」


「そのことを110番通報しなかったのですか?」


「はい、お恥ずかしい話ですが実はむかし詐欺で服役していた経歴がございまして、あっ、今は真面目に生きていますよ。そんな事情から詮索は受けたくありませんでしたし、余計な波風も立てたくなくて通報は見送りました。信者の信頼も失いたくありませんし、この後の人生は神にささげたいのですよ。」

 栗田はすらすらと語った。


 作り話なのは見え見えだが無理筋は見当たらず論理に破綻がない。

 しかも詐欺の前科についても警察の指摘に先んじて自分から告白して誠実さをアピールするなど狡猾である。


「県道の事件はご存じですよね。」


「ええ、大事件ですからニュースで拝見しました。そんな凶悪犯と話をしていたとは恐ろしい限りです。お若いお巡りさんが気の毒でなりません。心からご冥福をお祈りします。」

 殊勝な物言いだが白々しい。

 栗田には謝意を述べてお引き取り願った。


「ったく、須藤と藤岡はとんでもないことをしでかしたぜ。尻拭いをする側の身にもなってみろ、脳筋バカ」。

 栗田は苦々しく歯噛みした。

「バカは大嫌いだ。あの玉置とかいう小僧もそこそこ賢そうだが、所詮は温室育ちのボンボンだ。俺とは年季が違う。」




 二日後の午前8時、伸郎は大勢の生活安全部の捜査員達とともに物々しい工具を持参で箱舟の子供たちに訪問した。


「今日は大勢で、どういったご用件で?」


 訝しむ栗田に伸郎は令状を見せた。

「捜索差押です。屠畜場法違反の容疑でただいまから執行します。施設の中の物は一切手を触れないでください。」


 栗田は屠畜場の衛生責任者として登録されてあるが、獣医師免許は無く畜産学の課程も修了していない。更には自治体主催の衛生講習会の受講事実も無く無資格だった。


「冗談はやめていただきたい。弁護士を呼ぶこれは宗教弾圧だ。憲法に保証された信教の自由に対する侵害だ。」

 栗田は声を荒げた。


 石鹼工場の床にコンクリートでふさいだ真新しい痕跡が認められた。

 ドリルで斫ると簡単に取り除くことができて地下に続く階段が現れた。伸郎の思った通りであった。

 地下室はかなりのスペースがあり、空調設備もしっかりと備えてあるが伽藍堂で何もない。


「ここはただの倉庫だ。使い道がなかったから閉じただけだ。何もない。」


 吐き捨てるように栗田は言った。彼らしからぬテンパり振りだ。


『何もない』こういうセリフが出るときは絶対に何かある。地下室を隈なく見たが確かに何もない。ただ床も壁も天井も異様なまでにきれいに磨かれた跡がある。念入りな掃除をする理由は何故か?

 もうコンクリートで封印して使わない部屋をここまできれいに掃除する意味がどこにある?


 掃除せざるを得ない事情があったからだ。

 考えられる事は二通り、死体の処分場で血や毛髪DNAの消去、もう一つは違法薬物の製造工場で化学成分の除去だ。床や天井などにはむき出しのアンカーボルトが目立った。何らかの機材を設置した後だ。機材は処分済みなのだろう。

 殺された信徒の安藤真彦は化学の専門家でこの工場の責任者だったはず。

 であるのなら‥、

「すみません、エアダクトを取り外して差し押さえてください。」

 伸郎は指示した。


 7日後

 取調室で伸郎と栗田は対峙していた。

 栗田は黙秘を貫いている。


「黙ってていいからそのまま聞いてよ。まずエアダクトからだけどエフェドリンやセレギリン塩酸塩の成分が検出されたよ。

 これだけでは立件は厳しいけど、地下の施設は覚醒剤の製造工場ってことはわかったね。石鹸工場は隠ぺいのためのダミーだ。よく考えたね。

 でも君のオフィスの金庫からもっと面白いものを見つけたよ。」

 栗田の目の前にQRコードがプリントされた紙を提示した。

 メガネの奥の目はカッと目を見開かれ栗田は立ち上がった。


「ペーパーウォレットだね。幾ら入ってんのかな?これが無くなるとどうなります?ビジネスの収益を暗号通貨で管理するのはリスキーだと思うよ。」

 栗田は金魚みたいに口がパクパクしだした。


 暗号通貨の保管方法としてアドレスの秘密鍵を紙に印刷して保管しておく方法のことをペーパーウォレットと言う。これはインターネット上に接続されていないコールドウォレットのためハッキングも不可能であり最も安全な方法である。

 欠点としては紛失、盗難、インク劣化など物理的損害には無力であるのでペーパーウォレット自体は厳重に保管管理する必要がある。


「でね、さらに興味深いものが君のスマホから見つかったよ。かなり凝った作りの盗聴アプリが仕込んであったけど気が付かなかった?ちなみに同じアプリは殺された安藤真彦のスマホにも仕込んであったけど多分君らは色々な情報を抜かれていたと思うよ。誰がやったんだろうね?」


 冬子の仕業であった。

 冬子が常時イヤホンで聞いていたのは音楽ではなく、栗田、安藤の会話であった。

 アプリを通じて二人の位置情報はもとより遠隔操作でカメラの操作もできたはずだ。


 狙撃により命を落とした信者の安藤と迅馬組松原を結ぶ線は覚醒剤工場と考えられる。

 安藤は製造を担当し松原は暴力団の組織力を使って販売を担う。

 教団は迅馬組の覚醒剤ビジネスの秘密基地で間違いないだろう。


「お疲れ様、勾留の期限は来週だからそれまでゆっくりしていってよ。多分帰れると思うけど今度はちゃんと資格をとってから事業をしてね。」


 栗田はたちまち不安そうな表情になった。

 それもそのはず、釈放されれば覚醒剤ビジネスの件を白状したか否か組織から追及されるのは確定事項だからだ。組織の責めは取り調べの比ではない。

 仮に白状しなかったという主張が認められても、『不安要素』として処分される可能性だって考えられる。


「おい、そのQRコードは返してくれるのだろうな?」


 売り上げのほとんどが記録してあるペーパーウォレットはもはや栗田の生命線と言っていい。これがなければ完全に組織に消されてしまう。仮に逃げるにしても逃亡資金として必須なのだ。

 小僧と舐めていた伸郎に完全に命を握られてしまった。


 伸郎は無言でいたずらっぽい視線を相手に向けた。

 現在の栗田の苦境は把握済みであることを知らせる意図であえて何も語らずつまんだペーパーウォレットをお道化た態度でひらひらさせた。

 栗田の心は折れた


 観念して全てを白状した。

 箱舟の子供たちは迅馬組の覚醒剤ビジネスの隠れ蓑で、元メーカー研究室勤務の安藤真彦が密造を担当、組長の松原雄介がコネクションを利用して海外へ輸出していた。

 教祖の栗田徳広は資金管理を担い、須藤鋭二、藤岡武則の二人は安藤のボディガード兼お目付け役だった。

 県道での警官殺しも彼らの仕業である。

 須藤と藤岡は、安藤と松原の殺害に対する報復のため現在どこかに潜伏中との話だ。

 諦めムードの栗田が滔々と喋ったのは、釈放されれば組織に消されるからだろう。

 迅馬組が作る覚醒剤はピュア・ブルーと呼ばれる高級品と聞かされた。

 

 今回の事件は大森による迅馬組への攻撃から端を発している。彼女の狙いは覚醒剤ビジネスの殲滅であることは間違いなかろう。その真意は謎である。

「ピュア・ブルーはまだ500㎏の手つかずの在庫がある。隠し場所はオヤジが死んだ今須藤しか知らない。それを処分しない限りその大森とかいう狂った女は追跡をやめないだろう。女のことは須藤に話してあるから奴らも大森を捜しているはずだ。互いは今、お互いを捜し合っているってところだ。」


 栗田の話は止まらない。


「安藤が死んだことでピュアの付加価値はガン上がりだ。 末端価格が幾らになるか見当もつかない。ピュアを握った者は日本のいやアジアの覚醒剤ビジネスの王者と言っても大袈裟じゃないし、今やピュア・ブルーの存在は本家まで知れ渡っているから本家も須藤達を血眼になって探しているだろう。俺はもう面倒事は御免だ。このままムショに引きこもるよ。」

 栗田は溜息をついた。


 須藤、藤岡の二人は殺人容疑で指名手配された。

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