第14話 宗教団体、『箱舟の子供たち』

 翌朝、

 またやっちまったと多恵は後悔した。

 飲むとついつい気が大きくなって荒々しくなってしまう。

 相手は年下とはいえ上司なのだ。

 それも自分とは住む世界が全く違うエリート官僚で、この事件が終われば一生同じ空気を吸うことすら許されない雲上人である。

 おぼろげにしか覚えてないが何らかの無礼ははたらいていることは間違いなく、ここは潔く謝ろうと多恵は誓った。


「おはようございます。三島主任。」

 ホテルの1階ロビーで先に来た伸郎が待っていた。片手にタブレットを持っている。


「係長、昨日は大変申し訳ありませんでした。失礼極まりない振る舞い。さぞかしお気を悪くされたことと思います。酔って覚えていないなどという小賢しい言い訳は致しません。今後一切アルコールは飲みません。あっ、係長は私などに構わず飲んでもらって構いません。私などには一切お気遣い無用で願います。」

 一気に早口でまくし立てた。


「とんでもない、僕はとても楽しかったですよ。また機会があったら飲みましょう。」


「そういうわけにはいきません。私が調子に乗りすぎました。今後はちゃんと筋を通します何卒ご容赦を。」

 昨夜の傍若無人な態度と打って変わりしおらしい。伸郎は本音のところ昨夜は大して不愉快ではなくむしろ可愛げすら感じていた。


 伸郎は思い切って提案する。

「今後二人きりの時は立場を対等としませんか?階級は僕が上ですが三島さんの方が先輩で年上ですし、垣根を取っ払った方が情報共有と相互理解ができる気がします。僕は気にしていませんので今後はタメ語で行きましょう。」


 高学歴だけど陰キャでコミュ障。多恵が描く伸郎のイメージは当初こそ悪かったが、共に働くにつれ年下のくせにしっかりしていて、さりげない気遣いもできる奴だと分かってきた。

 そして悔しいが髪の毛がサラサラで肌が自分よりもきれいである。

 マッチョイムズが蔓延る男社会の警察でこの手のタイプは今までいなかった。

 多恵は応えた。

「でしたら、そういうことで、ただし素の私は口が悪いですよ。」


「望むところです。僕も負けません。」

 多恵と伸郎、お互い距離が縮まった気がした。


「では、ここからは仕事の話になるけどいい、この後群馬にある宗教法人の箱舟の子供たちへ行こうと思う。まずはこれを見て。」

 伸郎はタブレットを見せた。


『いつか来るその日の為に』という見出しの箱舟の子供たちのホームページである。

 浜松の被害者の安藤真彦が入信していた教団で緑を基調とした牧歌的な作りでタイトルの割にはそこまで終末思想をうたっているわけではなかった。

 代表は栗田徳広という40代半ばの男で、ぱっと見だけなら人畜無害そうなこれと言って特徴が感じられない人物に見える。

 教義は一応キリスト教系の内容で、特にオカルティズムや超常現象などのアチラ系のものは取り扱ってはいない。

 自然回帰を前面に出していて、世俗につかれた人はここでのんびり休んでいきなさい的なホンワカムードを強調している。

 事業は農業、屠畜、石鹸工場でその収入でコミュニティを維持している。



「ここは20年ほど前に当時の教祖が信者12人と集団自殺事件を起こしているけど、5年前から今のスタイルで再出発しているそうだ。それからは特にこれといったトラブルは起きてないらしい。」


「教団そのものに問題はないということでよろしいですか?」


「そういうことになるね、あっ、主任もタメ語でいいから。」


「では遠慮なく、で、係長は何を見つけたの?」


「まーまー、これ見てよ。」

 伸郎は画面をタップした。そこには石鹸工場の紹介のページで、豚脂を原料とした天然成分をアピールした内容で通販のみの販売だった。値段はそれほど高くない。多恵は石鹸にはあんま拘りはないので今一ピンと来ない。


「気づかない?」

 伸郎はマウント気味に言うので多恵はちょっとムッとした。


「もったいぶんなよ。」

 と返すと伸郎は指先でスタッフ一同の写真を軽く小突いた。



 ‥‥いた。

 4人並ぶ白衣の女性たちの一番左端に冬子はいたのだ。アップの日付は昨年12月7日である。


「大森は去年ここにいた。ここには何かあると思う。多分石鹸工場に秘密があるはずだよ。」

 二人はついに事件の尻尾を捉えた。

 


『箱舟の子供たち』は町から小一時間の新緑がまぶしい群馬県利根郡安原町の山間にあった。

 晴天で気温も23℃、コバルトブルーの清流の音が心地よくお弁当をもって来るには絶好のロケーションである。

 この臭いさえなければ。


 北海道から帰った二人は休む間もなく群馬県に来ている。


「あー、存じていますよ。大森さんですよね。きれいな娘さんでしたからそりゃよく覚えております。」

 過去形で話している。


 教祖の栗田徳広は40代半ばの170センチ程度で中肉、黒髪をビシッと七三分けにしていて黒縁の眼鏡をかけていた。

 ワイシャツに灰色のスラックスで見た感じが社会科の教師か銀行員といった風情でどこから見ても「ザ、普通」である。栗田は笑顔を絶やさず伸郎の目を見て話した。


「前に来た刑事さんは亡くなった安藤君のことを色々お尋ねでしたが、今日は大森さんですか。彼女に何かあったのですか?」


「その点は捜査の関係上詳しくお話しできず申し訳ありませんが、とある事件の関係者として彼女を探しているのですよ。こちらの施設で働いているとの情報がありましてお会いできればと思いまして。」


「とある事件ですか。残念ですが大森さんは退会して今はいませんよ。」


「そうですか、彼女のことを色々と教えていただきたいのですがよろしいですか?」


 栗田は快く大森の信者名簿を伸郎に差し出す。その名簿には顔写真が貼られている。間違いなく冬子だった。


 伸郎と三島は栗田から渡された名簿に目を通した。

 冬子の入会は昨年10月で退会は今年の2月、わずか4か月しか在籍していない。


「やけに短いですね。」

 伸郎が尋ねると栗田は

「そうですね、ちょっと短すぎますかね。でも珍しい事じゃありませんよ。1週間経たずに帰られる方も見えますので、私共の方針は去る者は追わず来る者は拒まずですから、それぞれ事情がおありでしょうから慰留も詮索もしません。」


 栗田いわく入信脱退は一切自由で自主性に任せ干渉はしない。

 自発的な寄付なら受け付けるが、教団側から寄進などの要求はしない代わりに施設内での労働は義務化している。

 労働条件は常識レベルに留めてあり決して隷属的内容では無く時給950円は保証のうえ休日も確保しているとのことであった。

 住居費、光熱費などは徴収するが良心的と言ってもよい設定であった。

 その説明は立板に水の如くスラスラと淀みなく簡潔で解りやすい。


 寄宿舎に案内してもらうとそこはプレハブの質素な住居で一部屋につき2人が入居していた。

 広さは4畳半程度なのでお世辞にも広いとは言い難い。

 大森冬子の同居人は50過ぎの女性で現在も信者として暮らしていた。彼女とは特に親交は無かったらしく、その日常について知っていることといえばほとんど施設から出ることなく暇なときは本を読むか自重トレーニングかランニングをしていたことくらいだった。

 四六時中イヤホンで音楽を聴いており、無口で誰とも仲良くしようとしない。

 美人なのだがどこか近寄り難い雰囲気があり苦手だと言っていた。


 仕事は本人の希望により石鹸工場勤務で仕事ぶりについては真面目で丁寧とのことだった。

 屠畜は重労働で精神的な負担も厳しいことから男性信者が担い農業は主に女性が従事する。臭いがきつく蒸し暑い石鹸工場はどちらかというと不人気な仕事で希望すればすんなり就くことができたそうだ。


 工場見学を申し入れると栗田は快く承諾して敷地一番奥にある比較的新しめの工場まで案内してくれた。

 最近手直ししたのか床に真新しくコンクリートを打ち付けた後が一部分四角く目立っている。

 中は様々な機械が稼働していて10名ほどの信者が働いていた。

「安藤君がこの工場の工場長をしてくれていたのですが、あんな亡くなり方をするとはとても残念です。明るくて気さくで良い方だったのに。」


「大森さんと安藤さんの仲はどうでした?例えばお付き合いしていたとか。」


「私が知る限りじゃそのようには見えませんでしたが、まぁ安藤君は社交的なタイプで大森さんは逆に誰にも打ち解けることのない人でしたから噛合わなかったと思いますよ。‥あの申し上げにくいのですが、大森さんは安藤君の事件とやはり関係があるのですか? 大森さんの関係する事件について差し支えない程度でお聞かせ願えませんか? そうしていただければ私共も可能な限り協力は惜しみません。何かお役に立つことができるかもしれませんので遠慮なくお申し付けください。」

 この申し出には保秘義務を理由に辞退した。


 伸郎は文系で化学や機械は門外漢なので工場を見てもこれといった発見はなかったが今回の訪問で収穫無しかと言えばそうでもない。

 それなりにあった。栗田である。


 出来すぎなのだ。

 会話のキャッチボールがあまりに上手すぎる。

 声質は高からず低からず、沁み通りやすい音質でテンポも通常会話よりややゆっくりペースでこれは意識してやっている。

 話し方が上手いのは教祖という立場もあるだろうが、解せないのが我々コンビに対する観察眼で宗教人のそれではない。


 小柄で気弱そうな新人フレッシュマンの若造と、大柄で強面アラサー三島では男女の性差を踏まえても彼女を上司として認識するのが妥当である。

 しかしながら栗田は初見から伸郎を上司と認定したのだ。


 警察手帳を提示したとき栗田は瞬時に二人の力関係を看破して伸郎を上位の者としての対応を始めた。

 確かに手帳には名前と階級がのっているが、普通の者は小さい字で書かれた階級まで見る余裕はない、大抵は星代紋のレリーフと顔写真に目が行く。

 栗田は瞬時に伸郎のほうを上位と認識したのは明らかに手帳の見かたを熟知した人間の対応、すなわち警察慣れをしている証左だ。


 次にあまりに気前が良すぎる。

 程度の差はあれ組織とは元来排他的傾向があり、ましてや宗教法人ともなればその傾向はさらに強まる。

 にもかかわらず、令状も持ってきていないのに寄宿舎や工場の内覧を気軽に許し更には元信者とはいえ本人の断りなしで名簿などの個人情報の公開まで応じた。

 これは「無用の嫌疑を避ける」ための迎合的協力姿勢だ。

 裏を返せば施設からは何も出てこない絶対的な自信の現れなのだろう。


 しかしこの教祖、相当頭が切れそうだ。今日のところは謝意を述べて引き上げることにした。


 駐車場に止めたレンタカーに乗りこむと駐車場に古い国産セダンが入ってきて中から二人の屈強そうで長身の男が下りてきた。

 一人は金髪、もう一人はドレッドヘアーだ。

 地味な作業衣姿だがヤバいオーラが出まくりでどこからどう見ても堅気ではない。捜査本部が追っている須藤と藤岡であった。

 大収穫である。

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