第13話 多恵、絡み酒
大森冬子の追跡捜査が始まる。
意外と言うべきか当然と言うべきか冬子には傷害事件の前歴があった。
中学2年生当時の事件で処分結果は不送致である。不送致とは一旦は検挙したが警察の判断により事件を検察には送らない処分、端的に言えば「嫌疑なしの無罪」を意味する。
当時の捜査資料によれば、被害者は20歳男と19歳男の二人で、20歳は下顎骨と頸椎を骨折。19歳は睾丸破裂の重傷を負った。
一歩間違えれば殺人未遂にも問われかねない程の負傷であるにもかかわらず不送致になった理由は冬子の正当防衛が認められたことにある。
そもそも被害者二人は札付きのワルで不良少年グループに属していた。事件当日は仲間たち5人と結託して輪姦目的で冬子の拉致を画策したことが捜査の過程で判明したのだ。ワンボックス車を使って冬子を攫おうとしたが予期せぬ反撃をくらい半殺しにされたのが実情であった。
そんな事情で冬子は無罪放免となったが、不良グループと事件を教唆した中学3年女子は略取誘拐未遂で捕まり家裁送致となった。主導的立場であるリーダー格の20歳は首から下が不随の寝たきりになったので書類送検のみとなった。
手始めに伸郎と多恵は都内の防衛省に訪問した。対応したのは警務隊の沢田と名乗る二等陸尉である。
「お話は警視庁の富永さんからうかがっております。全面的にご協力いたしますので何でも聞いてください。」
沢田警務官は柔らかい物腰で大森の考課資料を差し出した。
大森の所属は札幌市内にある陸自雪中山岳戦研究機関である。冬季戦技教育隊でバイアスロン強化選手としての訓練が任務で一般業務に従事することはない。
国内大会では常に優勝準優勝の常連であるものの、国際大会では北欧選手のフィジカルパワーには今一歩及ばず後塵を拝していた。ただし射撃に関してミスショットはほとんど無かった。
公私ともに問題点は見当たらず、隊内の人間関係でもトラブルは皆無であった。人付き合いはほとんど無く、友達と呼べる者はいない。
容姿に優れていたので何度か部内広報誌の表紙を飾ったことがあり男性隊員からは絶大な支持を得ていた。
大森が在隊中の情報にこれといった収穫はなかった。
まずは冬子の生い立ちをたどることとした。
二人が向かった先は留萌駐屯地である。自衛官は転勤族で出入りは多いがわずかながら当時を知る者もいた。大森一家は基地でも異質な3人家族で近所付き合いはほとんどなく孤立傾向にあった。
父親の大森竜造は北部方面隊幹部レンジャーの三等陸佐で中隊長であったが現実として勤務らしい勤務はほとんどない。たまに出向で長期間家を空けることが多かったが、その任務についての情報は得られなかった。
妻の房子は防大卒で情報保全隊ロシア担当の才媛であったが竜造の妻として留萌に訪れた時には既に除隊して家庭に入っていた。地元では評判の美人であったが若くして病没した。
冬子はその一人娘である。まず誰もが褒め称えるのは母親同等かそれ以上と賞される美貌である。
小中高と地元のスキー大会、とりわけクロスカントリーでは常に優勝準優勝の常連として有名だった。大学へ進学せずに陸自冬季教育隊に入隊してバイアスロンのオリンピック代表となる。平昌五輪では6位の一桁入賞をはたした。メダルには届かないもののベストテン入りは日本としては初の快挙である。
その時期に父親の竜造は除隊して留萌から去った。冬子についても五輪翌年の平成31年に除隊したことで、大森一家は姿を消した。
以降その行方を知る者はいない。
竜造は三佐で中隊長の肩書を持ちながらろくに仕事をすることはなく、もっぱら自由人のように好き放題の毎日を送っていた。
では、無能として侮られていたかと言うと真逆で若い隊員たちは竜造に畏敬の念を抱いていたという。レンジャーとして最高の技能を有していたからだ。
基地にいるときは常に冬子の鍛錬に注力していた。それは熾烈を極め虐待とも言えるレベルであったが冬子は期待に応え中学生当時には隊員と互角に渡り合える戦闘レベルとなった。
竜造を知る者は彼を「レジェンド」とか「リアルランボー」などと称賛した。反面、幼い冬子に常軌を逸したスパルタ教育を施すその異常性に非難の声も存在した。
冬子という怪物を作り上げたのは父竜造であることは明らかで彼について調べる必要があると伸郎は考えた。
札幌狸小路の海鮮居酒屋で茹で毛ガニに齧り付きながら
「なんか許せませんね、女の子をそんな育て方するなんて、竜造は完全に狂人ですよ。そう思いませんか係長。」
と多恵は真っ赤になって憤った。目がすわっている。元々すわったような目つきだが。なんか変なスイッチが入ったようだ。
「狂気と言うより執着、妄執の類かもしれませんね。
共感はできませんが竜造の考え方はどこか理解できる気がします。
僕の父もそうでしたから、」
伸郎の父親は現在広島高等検察庁の検事長として在職し中国地方の地検、区検を指揮監督する立場にある。
全国2700人いる検察官のトップ10人に含まれる超エリートだ。
権威主義の権化で法治主義の心棒者である。
自分も物心がついたころには父の命で連日猛勉強をさせられた。
考えてみれば冬子の生い立ちは自分と通じるところがある気がした。
竜造は父同様、自分の美学や理想をわが子に注いだつもりで純粋な愛情なのかもしれないが、はた目から見ればそれは狂気に見えるのだろう。
「大森冬子か」
伸郎は冬子に不思議な親近感を感じていた。
「あっ、係長、遠い目をしてるぅー、そうよねぇ、冬ちゃん可愛いもんねー。」
酔っている様子だ。この二か月で多恵の印象はかなり変わった。
強面でストイックな女刑事と思いきや所々でポンコツぶりを発揮した。
服のサイズ感がおかしいのはご愛敬としても北海道に飛ぶにあたり頼んでおいた航空券の予約はできていない、警察手帳を本庁に忘れてくるくせに任天堂スイッチはしっかりと持ってくる有様だ。
見た目に反して子供っぽい。
「かかりちょーって東大卒のエリートなんですよねぇ、私キャリアと一緒に仕事するのは初めてなんですよー。ごめんなさいねぇ。冬ちゃんと違ってガサツな脳筋女でー。」
すっかり出来上っている。
「私はですねぇ、上司や同僚から何て呼ばれているか知ってますぅ、ツリメですよ目がつり上がってるから、子供の時は気にしていたんですけど今は開きなおちゃってますよ。今後私をツリメって呼んでください。って、こら童貞、オネーさんの話聞いてんのか?」
多恵お姉さんの愚痴とも説教ともつかない話はその後も続く。何とか機嫌を取って宿へ送り込んだのはその2時間後である。伸郎はすっかり酔いが醒めていた。
「…初のサシ飲みでここまで己れを曝け出すとは、おそるべし。」
苦笑いをした。多恵が酔うと絡み酒になることはよくわかった。
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