第10話 高1、冬子の夏休み

 カバみたいな風貌の男は混乱していた。

 イージーゲームのはずだった。得意のジャングルで小娘一匹狩るだけの単純な仕事のはずだった。  

 血は流れ続け止まる様子はない。だが一刻も早く村にたどり着かなければならない。今はただ走り続けるだけだ。





「ダメよ。ニコル、女の子ならもっとオシャレしなきゃ。せっかくの美人さんが台無しよ。」

 ジャスミン夫人は何かと世話を焼く。


 夫人は「ふゆこ」の発音は難しいと言って勝手にニコルと呼んでくる。15歳の夏休み、竜造の旧友ジョシュア・デラクルスの家にホームスティとして預けられた。ジョシュアはフィリピン、ブラカン州知事である。


 ホストファミリーは夫婦二人だけで子供はいない。昼間はナナイの女性がいるだけである。出国に先立ち竜造から言われたことは「ジョシュアの指揮下に入れ」だけであった。


 夫人はことのほか冬子をかわいがり、ショッピングやパーティーに連れて歩いた。

 このような体験は初めてで新鮮だった。


 冬子の母房子は昨年に病没している。房子は常に事務的で淡々としていた。

 お互い口数は少なく、必要最低限の会話しかしたことがない。

 顔立ちは綺麗だったが表情に乏しく最後まで心の内は理解できなかったが娘を愛していないことだけは確かであった。


 房子は語学に堪能で彼女から受け継いだものは英語とロシア語である。それ以外に形見のようなものは無い。一般的な母親はおそらくジャスミンみたいな接し方をするのだと理解した。



 ハンスと名乗る家庭教師を紹介され度々ジャングルで訓練を受けた。ハンスは陸軍特殊部隊出身でジョシュアのボディガードである。

 竜造とは違って陽気で多弁な男であった。チューさせろとか、ハイスクールを卒業したら結婚してくれとか本気なのか冗談なのかよくわからない軽口をたたくが兵士としては優秀だった。


 各種サバイバル術、軍用小火器の取扱要領、格闘術を学んだ。銃器に関しては

「え、俺より上手いじゃん。もう教える必要ないよ。」

 と初日で合格の評価を得た。


 冬子が積極的に取り組んだのはフィリピン伝統武術「カリ」でその中でもカランビットを用いた殺人術に熱中した。


 世の中には多彩なファイティングナイフが存在するが、カランビットはかなり異質な形状をしている。


 ブレードは弧状の鎌、若しくは鍵爪型で孤の内側に刃が付いている。グリップエンドには指を通すためのフィンガーリングがある。


 リングに人差し指を通しての逆手持ちが基本形で武器としては扱い辛い。ただし熟練者が使えば凶悪な威力を発揮する。


 逆手持ちのためブレードを隠した構えを取りやすく敵は距離感をつかみにくい。独特のブレード形状は「うけ、ながし、さばき」のディフェンスに効果的である。攻撃は「刺す」よりも「裂く」が得意で頸部や腕の内側、鼠径部の腱などの切断が容易である。


 ただし、刺すはワンアクションで簡単だが、裂くは突き立ててから引くのツーアクションとひと手間要るので高度な技術を要求される。また刃体が湾曲している関係上ブレード長は短く、リーチは取りにくい。したがって実戦ではクロスレンジでの攻防とならざるを得ない。 

 


 初日の模擬戦では視線だけでフェイントを繰り出せるハンスに苦戦を強いられたが、4日もたつと逆に冬子が翻弄する側に回った。

 昔の冬子なら競り勝つのがやっとであったが、あの日から自分の中の何かが変わってしまった。黄金の獣を殺しその肉を喰らった日からである。


 知床の森で黄金丸を仕留めた日からあきらかに五感が鋭くなった。とりわけ嗅覚と聴覚が異様なまでに発達し見えなくても敵の数、距離がおぼろげにわかる。

 まるでレーダーみたいだった。相手と対峙すれば心音、息遣い、分泌物の匂いからその感情を推し量れた。


 そして戦いが始まると攻撃箇所が手に取るように分ってしまう。まるで「ここを攻めろ。」と言わんばかりに打つべきポイントにLED点灯するかのように感じるのだ。

 レベルが低い相手だと、瞬時に斃すまでの過程がダイジェスト映像で頭に浮かぶ。

 自分に黄金丸こがねまるが憑依したかのようだった。

 


 初日こそハンスは胡乱でつかみどころがなかったが、模擬戦を重ねるごとに隙が見えてきた。

4日目の段階でひじの腱から腋下動脈まで一気に断ち、バックに回って頸動脈と気管を裂くイメージが確立した。今後何度やっても結果は同じであろう。滞在2週間でハンスの実習はおわった。

「この前、結婚してくれって言ったけど、あれ無かったことにしてくんないかな。やっぱ無理だわ。」

 と告げられた。彼の体臭から恐怖の香りがした。



 その後の2週間、冬子はジャスミン夫人といろいろな場所で歌い、語り合った。料理を教わり共に食す。


 夫人は冬子に他者を思いやる心の尊さや、人を愛することのすばらしさを語った。今まで竜造から受けてきた教育とは真逆の内容であるが冬子は素直に受け入れそうな気がした。


 短かったが、夫人との暮らしはこれまでの人生で最も人間らしく生きた時間であった。


「ニコル、いつも笑顔でいなきゃだめよ。笑顔でいれば必ず幸せになれるから。」


「ニコル、ささやかなことでも感謝しなさい。どれほど粗末でも食べ物がある。硬くて冷たくても寝床がある。これって実は贅沢なことなの。」


「ニコル、いつか素敵な男の子が現れるから、そうしたら絶対私に紹介しなさい。これは約束よ。」


 ジャスミンは実の母のように冬子に接した。冬子はいつまでもここにいたいと願った。




 ホームスティも最終週を迎えた。その日はジョシュアと二人でルソン島中央部奥地の密林に分け入った。


 熱帯雨林のジャングルは知床の山とは違っている。

 人の背丈を超える大型のシダ類や世界一の巨花ラフレシア、食虫植物のうつぼかづらなど松やカエデと違ってどこか淫靡な雰囲気で生命力に満ち溢れている。ファンタジーの世界に迷い込んだ錯覚を覚えた。

 冬子はとうに気が付いていた。ジョシュアから漂う匂いは父竜造に通ずるものがある。一人二人どころではなく、もっと数多く手にかけているはずである。


 単刀直入に竜造との関係について尋ねたところ、意外にあっさり答えてくれた。

 かれこれ30年近くの友人関係で、フィリピン海兵隊に所属していた時代に米軍主催の合同空挺訓練に参加した時に自衛官の竜造とバディを組んだのが出会いであった。


 その2年後、ミンダナオで共産ゲリラによる日本商社支店長誘拐事件が発生した。救出作戦には当時対テロ作戦部隊の小隊長であったジョシュアが現地で指揮を執ったが作戦は難航した。


 そんな折、アドバイザーの立場で日本から派遣されたのが竜造である。

 もっともアドバイザーと言うのは建前で、実質は非公式作戦の指揮官としての参加であった。


 結論として支店長は救出された。表向きはフィリピン政府が交渉の末解放に至ったとされ、日本国内では政府が多額の身代金を支払ったという見方が大勢を占めた。


 だが現実は掃討作戦が実施されゲリラは全員殺害されていた。その中には女性や未成年も含まれていた。


 作戦立案と指揮は竜造が主導した。降伏した者に対しても竜造は容赦なかったとのことである。

 以降、今日まで竜造との交流は続いている。




 ジョシュアは立ち止まった。

「リュウから頼まれたのは君に経験をさせてほしい。だそうだ。だからここに連れてきた。私は気が進まないが」

 ジョシュアは困った顔をしていた。


「ここがスタート場所だ。ルールは簡単。このまま10キロほど北へ進みジャングルを抜ければ村があるからそこまでたどり着いてほしい。ただ一つ問題があってね、言いにくい事だが追手を放ってある。今朝まで服役していたギャングだ。そいつはただのごろつきじゃない。反政府ゲリラ出身でジャングルでの戦いに慣れている奴だ。そいつにはM4を与えてある。君の首を持ってくれば誘拐や殺人、銃器密造などの訴追を免除するという念書を渡してある。」


「そいつを殺せっていうこと?」


「そういうことだ。奴の名がアンディ。まぁ名前はどうでもいいが、すでにこのジャングルに入っているはずだ。一応写真を渡しておく。こんなジャングルに来るもの好きはいないだろうが、万一人違いをされてもらっては困るからよく覚えておいてくれ。」

 手渡された写真は全身と顔写真の2種類であった。カバみたいな顔つきだった。


「ハンスから君のことはきいた。どうやらリュウの血を色濃く引いているようだね。だがその若さではさすがに殺しは経験ないだろう。健闘を祈る。」

 そういうとジョシュアは自分が背負っていたミニ14を冬子に差し出した。スタームルガー製の小型自動ライフルだ。

「要らない、これで充分。」

 冬子は腰に差してあったカランビットを抜いた。




「まぁ、ちょっとガキっぽいが、顔だけ見れば極上の珠だ。たっぷり楽しんでから縊り殺す。」

 知事が何を考えてこんなチャンスを与えたのか理解に苦しんだが、終身刑のアンディにとっては人生逆転のボーナスステージでしかない。


「知事の野郎、何が油断するなだ。素人まる出しじゃないか。」

 すぐに足跡は見つかった。けもの道にしっかりと人の二足歩行の足跡。北へ向かっている。大方この先にある村へでも向かっているのだろう。ジャングル戦に慣れていない証拠だ。

  


 だが、200メートル進んでアンディは立ち止まった。足跡は消えていたのだ。

 冬子の作った「止め足」である。


「どこに消えた?」

 右手の巨大なシダが怪しかった。身を隠すのに最適である。


「ベイビー、出ておいで。怖がらなくてもいいんだよ。」

 アンディは猫なで声でシダに歩み寄った。


「ちがう、そこじゃない。」

 背後から若い女の声がする。鈴を転がしたようなきれいな声だが、何故かどす黒くて禍々しく頭の奥で響いた。


 振り向くとそこに写真の女が立っていた。想像とは全く違っていた。見た目は小娘に見えるが、滲み出るオーラは尋常ではない。

 その時点でアンディは自分が狩られる側であることを直感する。


 M4を構えたがどういうわけか引き金が引けなかった。右の人差し指に力が入らない。感覚が消えたのだ。


 なぜか指がじんじんと痛み出した。銃把が血でべっとりと濡れて肘まで伝わり滴り落ちてジャングルブーツを汚した。


 何度トリガーを絞っても発射しない。人差し指を切り落とされたことに気づくまで少し時間がかかった。

 

 銃身を握られM4は簡単に奪い取られた。アンディの目の前で女は手早く弾倉を抜くと側面のレシーバーピンを抜き取りアッパーレシーバーを外して内側から機関を外すと茂みの中に投げ捨てた。


 あっという間にM4は分解されガラクタにされてしまった。


「北の村まで逃げおおせたらあなたの勝ちよ。今すぐ行きなさい。5分だけ待ってあげる。」

 冬子は言った。


 村から南東2キロの地点でアンディは倒れているところを発見された。全身に切創が認められたが、臓器や動脈などに傷は達しておらず、意識的に致命傷を避けた攻撃と思料された。

 軍警察の幌トラックに収容されたアンディはうわごとを繰り返した。


「早くっ、早くムショにつれていってくれ! 来るっ、悪魔が来る。金色の悪魔だ。」



 冬子の夏休みは終わった。

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