第9話 安藤真彦殺人事件
【5月10日浜松】
東名浜松西インターを降りたその白いベンツには4人の男が乗っていた。
時間は正午少し前である。車内には何処からどう見ても堅気とは思えない男たち3人の中に洒落た春物のジャケットを粋に着こなすインテリ風の男が混じっていた。
インテリの名前は安藤真彦といい迅馬組の覚醒剤工房の責任者である。非金属メーカーの研究室に所属していたが現在は組織子飼いの覚醒剤マイスターだ。
「時間がないんだ、早く終わらせろ、俺たちも暇じゃない、オヤジの仇を取らなきゃいかんからな。」
須藤は不機嫌である。
事の起こりは安藤が浜松市に住む妹夫婦に会いに行くと言い出したことにある。須藤と藤岡はその護衛兼見張りとして帯同しているのだ。
「そう言わんでくださいよ。可愛い甥の小学校入学祝を渡すだけですから、もう5月で大分遅くなってしまいましたが」
安藤は飄々としている。
「プレゼントを渡したらさっさと帰ってこい。」
「何言ってんですか、妹とは1年ぶりなのですよ。中華レストランの予約だってしているのですから、はいサヨナラってわけにはいきませんよ。」
「‥‥」
この男が腕利きマイスターじゃなければとっくにぶっ飛ばしているところだと歯噛みしながら須藤は
「とにかく、オヤジが殺された今お前まで何かあるとうちのビジネスは頓挫しちまうんだ。そのことは肝に銘じろ。」
その30分後に車は目的地に着いた。
【目撃者 市岡秀樹、供述書の一部】
私は現在静岡県磐田市に所在する株式会社TS物産という会社で営業担当として働いております。
去る5月10日、男の人が銃で撃たれて亡くなるところを間近で目撃しましたので今からその件についてお話します。
事件があったのは5月10日午後0時35分頃で場所は浜松市中央区梶山通2丁目9番ストリークビルの北側です。
殺されたのは30代半ばの男性ですが面識のない人ですので名前までは知りません。
その人は中肉中背でグレーのジャケットと紺のパンツを着ていましたが亡くなった時には頭がほとんど無くなっていたので顔まではわかりませんでした。
それでは当時のことについて説明します。
当日は取引先と待ち合わせのため0時30分からストリークビルの出入り口の前で立って待っていました。
しばらくすると、ビルの前にベンツが横付けでとまりました。
白色のセダンでSクラスの豪華な車だったことは間違いありませんがナンバーまでは見ていません。
車から降りてきたのは3人の男でその中に今回亡くなった男の人がいたのです。
彼は後ろの席から降りてきました。
助手席からは黒い背広上下でサングラスをかけた金髪の30歳前後の男性と、後ろの席からは同じく背広上下でサングラスをかけたレゲエやヒップホップの人みたいな独特の髪型で口髭の30代半ばの男性が一緒に降りてきました。
運転手は乗ったままだったと思います。
亡くなった人は見た目はチャラそうでしたが私と同じ一般人だとおもいます。
しかし、一緒にいた2人は背が高くて何処か迫力のある怖いオーラがあったのでヤクザとか半グレみたいな反社の人だと直感しました。
ヤクザっぽいその2人はグレージャケットの人を前後に挟むように歩いていたけど、挟まれている本人はニコニコ顔で怯えている感じには見えませんでしたので3人は仲間だったと思います。
私の印象ですが2人の男はその人の付き添いというか護衛役のように見えました。
3人が5歩ほど歩いたときにいきなり真ん中のグレージャケットの頭がまるで爆発したかのようにはじけてなくなり、その後一瞬遅れたタイミングで「ターン」という音が聞こえてきました。
頭のなくなった人は糸の切れた操り人形のようにその場で崩れて倒れてしまい前後のヤクザっぽい二人は「またやられた畜生。」と言いながら辺りをきょろきょろして「どこだ、出てこい。」と大声で叫んでいました。
そのうちどちらかが「行くぞ。」というと死体を残して二人はベンツに乗って西のほうに去ってしまいました。
とても現実のこととは思えず私は一瞬映画の撮影現場かもと思ったほどです。
私は去年グアムへ旅行に行ったときに射撃場でライフルを撃ったことがありが、事件の時のターンという音はその時聞いた発射の音に似ていると思いますのでジャケットの男性は撃たれて亡くなったのだと思います。
【主婦、岡田祥子、供述書の一部】
現在私は専業主婦として二人の男の子の子育てをしております。
旧姓は安藤といい、今回殺された安藤真彦は3歳年上の実兄に当たります。
兄は子供のころから秀才と言われ成績は常にトップクラスで親にとっては自慢の息子でした。
地元の静岡工業大学の工学部へ進学して生命応用化学という学問を専攻しておりました。
大学院で修士課程を経た後は東京の非金属メーカーの吉川電機工業の研究室で働いていたのですが、5年前にいきなり退社して群馬県の箱舟の子供たちという宗教に入信してしまったのです。
その時の父の落胆ぶりは見ていられませんでした。
兄は特にガリ勉タイプというわけではなく、スポーツや友達付き合いもそれなりに楽しんでいましたし、世間の流行もいち早く取り入れていて妹の私が言うのも変ですがセンスは悪くありませんでした。
常に誰か彼女はいて女性が途切れたことはなかったはずです。
今の言葉で言うなら「リア充」という表現がぴったりの人だと思います。
そんな兄ですから新興宗教に入るのは私には想像できませんし理由も分かりません。
ただ私や父母との関係は悪くなかったので年に1~2回は会って食事をする程度のコミュニケーションは取れておりました。
箱舟の子供たちの信者となり教団で何をしているのかよくわかりませんが普段通りの明るい兄で特に雰囲気が変わったとか暮らしに困っているという印象は無くてどちらかと言えば研究室にいた時よりも贅沢をしているのではと思えたほどです。
ただ兄は教団のことについて話したことはありませんし、私たち家族も勧誘とかはされていません。
事件の日は兄とストリークビルの5階の中華料理店「昇竜」で会う約束をしていて、少し遅くなりましたが上の子の小学校入学祝を戴けると聞いていました。
兄とは12時30分に約束をしていたのですが、全然姿を見せず電話をかけても出てくれませんでした。
表で騒ぎになっているのはだいぶ後になってから知りました。
支配人から「事件が起こったのでしばらく席でお待ちください。」と言われて訳が分かりませんでしたが昇竜で長い時間を待たされた後、機動隊の人たちの誘導でビルの外へ出たころにはもう外は暗くなっていました。
結局兄とは会えずじまいでした。
事件で亡くなったのは兄だと知らされたのはそれから二日後のことで今でも信じられない気持ちです。
警察の人から兄と暴力団の関係についてお尋ねがありましたが心当たりはありません。
身内贔屓で言うわけではありませんが、ちょっと軽いところもあるけど兄に限ってそんな世界の人と関係を持つことはありえないと信じています。
何故兄が撃たれて死ななければならなかったか考えてみても私にはわかりません。
一日も早く犯人を見つけて捕まえてください。
【被害者 安藤真彦】
即日、静岡県浜松中央警察署に捜査本部が開設された。
被害者の身元はすぐに割れた。
所持品の中に免許証があったことと頭部を破壊されたが口腔内部の損失は免れたことから歯形の照合が可能だった事が幸いした。
安藤真彦、38歳、男。
静岡県浜松市出身、群馬県利根郡在住、職業不詳。
群馬県利根郡安原町にある宗教法人「箱舟の子供たち」の信者である。
その後の捜査で事件当日は妹夫婦との食事会の為にストリークビルに訪れたことがわかった。
司法解剖の結果、死因は銃創による脳挫傷によるものと判明した。
射入口は前額部で脳および脳幹を挫滅後に頭頂骨、側頭骨を粉砕して後頭骨からの射出が確認された。
【須藤の確信】
「何だ、訳が分からん。安藤の頭が石榴みたいにはじけやがった。畜生。
ペッ、口の中に脳汁が入っちまったじゃねぇか、生臭いにおいが鼻に残りやがる。腐った毛ガニでも食った気分だ。
音は聞いたぞ、太くて重かった。はじけてからワンテンポ遅れて聞こえた。
オヤジの時と一緒だ。
安藤、軽くて調子のいい野郎だったが可愛げはある奴だったな。」
安藤真彦は科学の知識と技術に優れ覚醒剤事業には欠かせない人材で組織が運営する工房のマイスターである。安藤の最大の功績は看板商品のピュア・ブルーを開発したことに尽きる。迅馬組の躍進はピュア・ブルーによるところが大きい。
通常、覚醒剤は輸入に頼っている。中国、台湾、東南アジア、どこの商品よりもピュアは優れていてその名の通り純度が高くできた結晶はアクアマリンのように青い。
効果はてきめんで不純物が極端に少ないため副反応もほとんど無い。
中毒者に健康被害が目立つのは不純物の多い粗悪品を体内に取り入れるためである。
海外セレブや欧州の富豪は財力にものを言わせて高価な商品を使うため健康被害も少なく天寿を全うする。
日本ではまずそこまでの商品は手に入らない。
だが、迅馬組は安藤を引き入れることにより高品質な覚醒剤の国内内製化に成功したのだ。
安藤を引き込むきっかけは大手メーカーの吉川電機工業の新開発パテントに絡むトラブルに組織が介入したところにある。
当時研究室の職員で開発責任者でもある安藤に接近を図るといとも簡単に篭絡できた。
安藤は頭こそ良かったが軽薄でナルシストな性格で女を使った古典的な手法に簡単に引っかかり瞬く間に組織の手の内に落ちた。少し脅すと聞いてもいないことまでペラペラと喋りだす始末である。
「僕は覚醒剤が作ることが出来ます。」
ラボにおける覚醒剤の密造を告白した。試しに現物を確かめてみると類を見ない極上品でとんとん拍子に話が進む。
上場会社の研究室で造らせることは無理なので群馬にうってつけの物件を見つけた。休眠中の宗教法人「箱舟の子供たち」である。
平成10年、教団最高幹部が児童を含む信者12人と集団自殺をはかったカルト教団で世間のバッシングを受けながらも解散登記はされていなかった。
広大な敷地で行き場のない信者たちが農業や屠畜で細々と暮らしており近寄る者も少なかったことから、信者ごと施設を引き取ることにした。
組の息のかかった元詐欺師の栗田徳広を新教祖として送り込み教団の監督に当たらせる。
栗田はマインドコントロールの術に長けており、上手く信者を手なずけ見事な調整ぶりを発揮した。
早速敷地の奥に中規模の石鹸工場を建設し豚脂を原料とした石鹸を作らせる。
これが意外にも利益を生み出しコミュニティ維持の足しになったのだが実はこの石鹸工場こそ世間を欺くための偽装で実態は覚醒剤の生産拠点である。
工場地下に秘密工房を建造して安藤にピュア・ブルーを作らせる。工房を稼働させれば煙や臭いは出るが、町からは遠く苦情は無かった。仮にあったとしても豚脂の加工で出た臭いとの説明がつく。
そのための豚脂石鹸で畜脂は加工すれば強烈な悪臭を放つのでカモフラージュにはうってつけであった。
安藤の処遇は飴とムチを使い分けた。
メーカーを辞めさせて信者として石鹸工場の責任者に据える。
メインはピュア・ブルーの精製である。金や女に関しては不自由をさせない。良質な仕事をさせるにはストレスは与えず適度に遊ばせた。幸い安藤は倫理観の希薄な快楽主義者であったので扱いに苦労はなかった。
カルト教団は時として信者の家族が身内の奪還のためにマスコミを煽ったり警察に泣きつく事例も珍しくないので去る者は追わず来る者は拒まずのスタンスで無用の混乱は避けた。また、寄進などは原則任意として要求はせずまた施設内の労働報酬についても標準時給に準じたことで表立った不満は認められなかった。
特に安藤については家族や友人らとの交流は自由に認め徹底した安全策をとった。
派手な販路拡大は避けてもっぱら海外の金持ち相手のビジネスに徹した。ピュアのリピート率はすさまじく組織は大いに潤った。松原は慎重にビジネスを展開させ何より目立つことを嫌った。
海外販路は松原の人脈で確保し、収益管理は栗田が担当した。安藤の動向は須藤と藤田が監視する。
松原と安藤が死んだことにより迅馬組の覚醒剤ビジネスは潰えた。安藤の死により警察の捜査が教団に及ぶことは必至でありその前に地下工房は処分しなければならない。
ピュア・ブルーの在庫は少なく見積もってもあと500キログラムはあるので当面の組織の資金は心配ないが松原を失った今、残りのピュアをめぐって身内で揉めることになるであろう。代行の木下など特に油断がならない。
松原と安藤、この二人が同じ死に方をしたことで、一連の殺しは明らかにピュア・ブルー潰しが目的であることは間違いない。
須藤は見えない敵に苛立ちを覚えた。
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