第7話 進展

 一週間が過ぎた。

 一課長の富永のもとにはわずかずつではあるが情報が集まってきた。


 組対の小林の話では死んだ松原や迅馬組にここ最近目立ったトラブルは見受けられない。

 暴力団である以上、揉め事やケンカ沙汰はつきものであるが、昨今で不穏な要素は認めがたく対立抗争の線は薄いとの見解である。 


 構成員80人強の迅馬組は中規模組織であるが他の組織と比較して腕に覚えがある剛の者が多い。当時現場に居合わせた須藤と藤岡の二人は傷害、銃刀法、殺人などの凶悪な犯歴の持ち主で事情聴取のための出頭要請にも一向に応じる気配はない。


 資料によると迅馬組は伝統博徒の武蔵鳳凰一家の中では新興組織で資金獲得手段は売春、闇金融、闇カジノである。

 折からの不況で順調な収益は期待できないものだが、何故か他の直参の組と比べて羽振りは良かったことが判明した。

 まずは別件でも何でもいいから須藤達の確保を進めること、そして迅馬組の資金源の解明が本件の鍵と富永は判断した。

 


 弾道検査の結果も出た。

 被害者の銃創から算定の結果、射出地点は南方421メートルに位置するオブリガーダ・プラザ屋上で地上41メートル地点と特定された。

 屋上の採証をすると大きな成果があった。真新しい足跡が採取されたのだ。しかも長期に放置されていた屋上での発見ということもあって足跡は一種類のみしか検出されず、屋上にいた人物は一人と判明した。


 ソールパターンから24.5~25.5センチメートルのキャンバスオールスターと特定した。

 オールスターは100年前にコンバースが発売したバスケットシューズだが、今は定番のタウンシューズとして全世界で履かれているロングセラーモデルだ。


 ゲソから被疑者を割り出すのは困難を極めるが、とりあえずサイズが分かっただけでも一歩前進だ。過去の事件記録と照合して同一足跡の割出調査を指示した。


 屋上ドアは簡素なシリンダー錠が一つあるだけだった。鍵穴を精査すると真新しいピッキング痕が認められる。


 オブリガーダ・プラザは昭和に建てられた古いビルで残念ながら防犯カメラは設置されておらず肝心の被疑者の姿は見ることができない。


 現時点で確定しているのは単独犯で足のサイズが25前後でピッキングの技能を有し400メートル強の精密射撃の技量のある人物と言うところまで絞り込めだ。



 さらに朗報があった。現場採証の結果銃弾は発見されたのだ。

 損壊が激しく粉砕状態であったが集約再現の結果、径約7.8ミリメートル、重量150グレンと推察される弾頭は狩猟用ライフルとして用いられる308win若しくは30―60スプリングフィールド弾と推定された。そして極微細ながらも4条右転の残存線条痕が検出された。


 線条痕とは人に例えるなら指紋と同じである。銃は命中率を上げるため銃身内にライフリングと呼ばれる緩やかな螺旋の溝が施されている。弾丸は銃身内を進行する際、この溝に沿ってゆっくりと回転を与えられ銃口から射出と同時に超高速回転に変わる。

 その結果銃身をくぐった弾丸の側面には独特な溝が刻印される。


 これが線条痕でありライフルマークともいう。

 指紋が個人を特定するように、ライフルマークも弾丸から発射した銃を特定できる。

 警察のデータベースには、国内流通の正規登録銃はもちろん、押収した違法銃、過去の事件現場で採取された弾丸などのライフルマークも資料化のうえ保管されている。


 その弾丸は早速データ照合に回した。登録銃砲であれば保有者が分かるはずだ。




 事件現場一帯に設置された防犯カメラの総数は437機でその中割り当てられた北方84機を玉置班が担当した。


 三島多恵と伸郎は朝から本庁一角に設けられた解析室にこもり膨大な映像を検証した。その結果は夜に報告書を作成して帰宅する毎日である。コンビを組んで10日目となったが、二人の間には微妙な空気が流れていた。

 

 どうにもつかみどころがない新任係長に多恵は苛立っていた。

 その男は小柄で痩せていて髪がサラサラ、ぱっと見中学生と言ってもいい風貌だ。中性的な顔立ちが幼さに拍車をかけている。


「こっ、子守か…? あたしに子守をやれってか、こんな子供みたいな男が私の上司とは…」

 と落胆した。


 が、そこは最初が肝心と精一杯愛想笑いを浮かべて挨拶したが無反応で覇気が感じられない。

 とにかく、口数が少ない、元気がない、会話が続かない、こちらの目を見ない、完全なコミュ障と言ってよかった。

 エリート官僚からみればガサツな脳筋女なんぞアウトオブ眼中で歓迎されていないと感じた。

 二人きりで小部屋の中にこもり防犯カメラの映像を延々とチェックするのはストレス以外の何物でもない。



 伸郎は、もう、いっぱいいっぱいである。

 初日からテンパった。荒鷲みたいな目で射すくめられるとまともに見返すことができない。

 それ程好みの顔立ちではないものの、スーツ越しにでも成熟ぶりが分かる肢体からは大人の色香がにじみ出ていた。束ねた髪からはいい匂いがする。


 母以外でここまで女性に近づいたのは初めてのことであり、どうすれば良いのかサッパリであった。当然、伸郎は未だ女を知らない。興味がない訳ではなく、勇気と気合がないだけの『プロ童貞』だ。


 連日小さな部屋で二人きりでこもるのは童貞にとって苦行以外の何ものではない。相手は部下であることは重々承知している。が、どうにも意識せざるを得ない状況に出来ることと言えば心を閉ざし無関心を装うしか術はない。いつ劣情を見透かされるか気が気でなかった。

 ワイルドな男社会で働く女性から見れば、ひ弱な童貞などさぞかし頼りなく見えるのだろうと勝手にいじけた。



 結局のところ好資料の発掘には至らなかった。

 まず、人流が多すぎる。条件を絞り込もうにもライフルを隠し持つため何らかの長物を所持し、且つ足元がオールスターの人物というだけで現状では雲をつかむような話である。



 該当者は3名、だが期待外れであった。

 事件発生4分後、長い段ボール箱を抱えた宅配業者の若者、6分後、大型のトランクをひいた白人男性、8分後、キーボードケースを背負った髪色がビビットピンクのパンク少女。


 宅配業者はすぐに足取りが判明した。配達先は近くの事業所で商品は遮光用のロールスクリーンである。容疑は解消された。


 次の白人男性は旅行者と考えられた。その後の足取りはつかめなかったものの、2メートルを超える大男で足のサイズが25センチと考えるのは無理があった。


 パンク少女についてもその後の足取りは分からなかったが、当日の夕刻に近隣のライブハウスでハードコアパンクのライブが催された関係でその娘以外にも似たような姿の若者が多数確認された。このことからファンの一人と判断され対象から除外された。



 パンクロッカーの小娘を狙撃手と見るのは現実味がなく候補から外すのは理解できるが、二人はこれに懐疑的であった。


「おかしくないですか?三島主任」


 めずらしく、伸郎の方から声をかけてきた。

 伸郎は先日、文京南署で補導されそうになった経験がある。

 幼い見た目が原因で警察手帳を見せるとさらに怪しまれる有様であった。


 これは先入観がいかに危ういかの証左で長物とコンバースの条件を具備していれば、たとえそれがガールズパンクでもしっかり調べるべきというのが伸郎の持論である。


 パンクロックやガールズパンクについてスマホで検索しただけで2か所の疑問点が浮上した。


 一つは大型のキーボードケース、もう一つは足元がバスケットシューズであることだ。

 ハードコアパンクとキーボードは異質な取り合わせと言わざるを得ない。


 そもそもパンクはメトロトロンやシンセサイザーなどの高価な機材を使った音楽シーンに反抗してギター、ベース、ドラムのみで演奏するのが流儀と理解した。すなわちパンクにキーボードは邪道である。


 さらに見逃せないのがバスケットシューズである。

 ガールズパンクのファッションスタイルは厚底がマストで許せても高めのヒールまでだ。パンクロッカーがオールスターというのは不自然極まりない。敢えてその履物をチョイスしたのは体裁より機能性や利便性を優先させたために他ならない。


「ええ、私もそう感じました。」

 多恵はもっぱらアスリートならではの視点で違和感を覚えた。まず歩き姿が恐ろしく美しい。見事なまでのシンメトリー。

 前後左右の重量配分が均等でミッドシップレイアウトのスーパーカーのようである。体幹の軸がここまでしっかりしているのは相当な鍛錬を重ねた結果だ。体操選手やフィギュアスケーターに匹敵する。


 画像を拡大させ粒子補正をかけ脚部を拡大させるとそれは確信に至った。

 一見細身でスラリと見えるが、見る者が見れば大腿四頭筋や前脛骨筋などの筋繊維が超高密度で仕上がっていることが分かる。

 パワーと持久力を兼ね備えた素晴らしい脚だ。高レベルのアスリートでなければ説明がつかない。


 姿が何であれ並みの女ではないことは明白だ。

 顔貌を拡大させた。やや不鮮明ではあるが瞳の黒さが際立っていた。濃いゴスメイクが施されているのがわかる。

 鼻や唇にピアスが認められた。髪は逆立てたビビットピンクで『映画ドラゴンタトゥーの女』を思わせる。


 めずらしく意見があって早速二人は移動時間を検証するため現場に向かった。

 多恵を模擬被疑者と見立てて射出地点のオブリガーダ・プラザ屋上からドラゴンタトゥーの撮影地点までを歩く。

 7分20秒、銃の収納を考慮すれば整合性は取れていた。


「お腹すきませんか?帰りに弁当屋に寄りますが係長もいかがです?」

 もう午後1時半である。多恵は初めて仕事以外の話題を伸郎に振った。案内された店は本庁方向とはまるで違う渋谷区にあった。


「ここのチーズチキン弁当は絶品なんですよ。」

 多恵は普段より声のキーが高い。


「あ、いらっしゃいませ。いつもありがとうございます。」

 応対してくれた店員は愛想が良く感じのいい人だ。昔伸郎の親戚が飼っていたハムスターを思わせる雰囲気の女性であった。

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