第5話 幼すぎたキャリア組の玉置君

「君も頑張るねぇ。そろそろ小父さんに本当のことを教えてくれないかな。」

 ここは文京南警察署の取調室、目の前には50過ぎのバーコードヘアの刑事が座っている。

 精一杯の笑顔で猫なで声を出して優しいおじさんを演じているが、怖い顔は一向に改善されていない。


「ですから、それは本物なんです。よく調べてください。」


「あのね、ボク。かる~く考えているかもしれないけど、君のしたことは子供のイタズラでは済まされないことだよ。 重罪だよ、分かってる? …しかし、これよくできてるね、まるで本物だ。」


「信じてください。僕はそこに書いてある玉置伸郎たまおきのぶろうで本当に警察官なんです。」


「大人をからかっちゃだめだよ。君はどう見ても中学生か高校生でしょ。しかも階級が警部補だなんて私と同じじゃないか、いいかい、こうやって偽物を作ることはね公記号偽造とその不正使用と言ってね、とっても重い罪なのだよ。お願いだからこの警察手帳をどこで作ってもらったのか教えてくれないかな。」


 玉置伸郎は戸惑っていた。警視庁捜査一課強行係長として着任したのはほんの三日前、まだ職場の雰囲気には馴染んでないし誰が誰だかさっぱりなうちから殺人事件だ。しかも銃器使用という特殊な犯行形態ですぐに特捜本部が開設された。場所は歌舞伎町一丁目の区役所通り沿いである。


 警大課程も修了して辞令を受けた際、同期から「捜査一課ぁ、可哀そうに、激戦地だよ。体に気を付けてね。」と言われて赴任したがまったくその通りである。まだ挨拶回りも済んでいないのに先行き不安である。


 伸郎にとって何もかもが初めてだ。国家公務員一種合格のキャリア組である伸郎は捜査員としての現場経験は皆無だ。階級こそ警部補であるがまだ23歳の新任で一課への配属も時限的な体験学習程度の位置づけに過ぎず、そこに根を張るわけではない。


 伸郎は来年早々には警部に昇進して本庁へ戻る予定の警察官僚であり、20代の内には警視(小規模警察署の署長クラス)、30半ばには警視正(これは大きな警察署の署長クラス)40過ぎた頃には警視長になる。


 警視長はノンキャリアと呼ばれる25万人の一般警察官の中から一人か二人が定年間際になれるかどうかの最高峰の階級である。


 普通の警察官にとっては夢のような階級であっても伸郎のようなキャリア組は勤続20年前後で例外なく警視長に昇格する。言わば通過点に過ぎない。


 そして50代で警視監となり地方の県警本部長クラスには余裕でなれるエリートなのだ。もちろんそこから上に警視総監があるのだが、そこは絶対王者の玉座でたった一人しかなれない。


 伸郎のようなキャリア組は組織全体の企画運営に関わり個別の事件捜査に携わることは稀である。

 警視庁サイドから見れば伸郎は本庁から預かった大事な若君で傷一つつけるわけにはいかない存在であった。


 子供のころから努力を惜しまなかった。検察官の両親のもとで生まれ物心ついたときには一日13時間勉強が当たり前で将来は検察官になるものと決められた。

 父親は広島高等検察庁の検事長を務め中国地方の地検区検の指揮監督をしている。検察官も警察同様階級社会で全国2700人の検察官の頂点に君臨するのは検事総長と次長検事であり、その下に8人の検事長が各管区の指揮を執り行う。検事長の父は検察官トップテンに含まれる超エリートなのだ。

 伸郎は東大法学部に在学中に司法試験は合格していて、さらには総長賞も受賞する秀才であったが親の期待を裏切り警察庁に入庁した。理由は極めて簡単で「傲慢な父への反抗」である。      


 警察を選んだことに特に理由はない。他省庁でも民間でもどこでもよかった。内向的で臆病な自分は人の上に立つ器ではないと自覚している。


 赴任初日から下にも置かない扱いである。職場には伸郎よりも階級上位の警部や警視はいた。

 当然格上の人達で自分に指揮命令権を持つ立場にもかかわらず妙によそよそしくて優しい。

 まず伸郎がエリートキャリアであることだ。今は部下の警部補でもいずれ自分たちを越えることは確実で近い将来「上司」として舞い戻ってくる可能性がある。


 もう一つは大物検事の父の存在である。

 検察が警察に及ぼす影響は絶大でいくら警察が苦労して緻密な捜査を重ねようとも公訴権をもつ検察が「ノー」と言えばその努力は水の泡になるのだ。

 伸郎の父親は現在広島高検検事長で将来検事総長に昇進する可能性も考えられる。

 犯罪捜査の中核を担う捜査一課としては断じて敵に回せない存在であり、不興を買えば自分たちの出世にも影響が出てくる可能性もある。

 そんな事情から伸郎は至れり尽くせりの若君扱いである。


 当人にしてみれば気を遣われれば遣われるほど居心地は悪かった。自分は特別な人間ではなく23歳の普通の男に過ぎない。学問には少々自信はあるがそれ以外は並みか並み以下で、多くコンプレックスを抱える弱い人間に過ぎない。


 伸郎は小柄で童顔なことから実年齢より幼く見られる。先日、深夜一人歩きをしていたところ、スーツ姿であるにもかかわらず、警ら中の警察官に高校生と間違われた。誤解を解くべく警察手帳を見せたがこれがかえって逆効果だった。見た目が幼すぎたのと手帳の階級が警部補と言う現実味のなさにかえって怪しまれ、公記号偽造及び不正使用の容疑で警察署まで連れていかれたのだ。

 結局のところ疑いは晴れて放免となった。署の当直代表で父ほどの年齢の係長からやたらと大袈裟な謝罪をうけたが、その係長は自分と同じ警部補の階級だった。


 住まいは中野にある築40年の公務員住宅に独りで暮らしている。父は広島、母は京都とそれぞれ単身赴任だ。子供のころから親と一緒に全国の公務員住宅を渡り歩いてきた。一度でいいからおしゃれな部屋に住みたいと思う。

 世間から見ればエリート一家に見えるが暮らしぶりは質素で「半額シール」「ポイント5倍」と言う言葉が大好きな庶民である。

 今日は直属の部下と初顔合わせだ。どういうわけか女性警察官と組ませてくれるらしい。


 身長161センチの伸郎から見ると三島はかなり長身で逞しく圧倒された。

 おそらく175センチはあるに違いない。手足が長くて肩幅があるがスレンダーでまるでモデルみたいな体形だ。ちんちくりんで貧相な自分とは真逆のルックスである。

 尖ったあご、張り気味の頬骨、通った鼻筋、何より印象的なのはつりあがった鋭い眼、凶悪で獰猛な猛禽類の目だ。眼自体は大きいのだが黒目が小さく三白眼なのでどうしても強面に見えてしまう。

 ‥‥イジワル顔

 これが第一印象だった。決して不細工ではない。むしろ整っているといってもいい。


 キャラクターとしては

 ・昭和少女漫画にありがちなヒロインをいじめる金持ち女子。

 ・魔法少女ものに出てくる敵役。

 ・鬼畜系エロゲーに出てくるサディストお姉さん。

 っといったところか、この人は何を着てもカッコよく着こなすのだろう。

 戦隊シリーズの悪の女幹部のコスプレをさせればぴったりだろう。

「三島です。捜査経験はまだまだの未熟者ですがよろしくお願いします。」

 ハスキーボイスで声に胆力が感じられた。


 帳場(特別捜査本部)は7階にある第3大会議室にて開設された。

 上座には刑事部長の浜本継雄をセンターに捜査一課長の富永清志、組織犯罪対策課長の鈴木晋作のほか薬物銃器対策課長や上席管理官などが陣取っている。

 浜本刑事部長のおざなりの訓示の後に捜査一課長の富永が取り仕切る実質的な通告がはじまった。


「これから捜査会議を始める。まずは事件概要から、

 本件事件名は、『新宿区歌舞伎町一丁目地内における銃器使用の殺人事件』とする。

 発生日時にあっては、令和3年4月8日午後4時51分頃、

 発生現場、東京都新宿区歌舞伎町一丁目863番地3太陽系ビルディング西側道路上

 被害者は、松原健吉59歳、皆も知っての通り武蔵鳳凰一家の若頭補佐で、下部組織『迅馬組』の組長でもある。大物だ。

 司法解剖の結果死因は銃撃による脳裂傷によるもので脳組織の7割強が瞬時に挫滅しての即死である。射入口は左頭頂で脳および脳幹を挫滅後に前頭骨、右頭頂骨、右側頭骨を粉砕して右側頭部からの射出が確認された。

 現在は初動段階であり弾丸は未発見である。使用銃器の特定、発射地点などの特定はなされていないが、遺体の状況、目撃者の情報から本件は銃器使用の殺人事件として捜査を開始する。」

 白髪オールバックの富永は低いが良く通る声で手短に説明した。


 続いて右隣に座る背広姿のマウンテンゴリラの鈴木が口を開いた。見た目に似合わぬイケボである。

「組対の鈴木です。本件被害者松原は構成員3500人を誇る関東最大の指定暴力団武蔵鳳凰一家の若頭補佐で、二次団体『迅馬組』の組長でもある。

 迅馬組は構成員87人と規模こそ微妙だが、団体きっての武闘派組織だ。さらには資金力もあり組織の中ではそれなりの発言力を持っている。

 松原自身は敵対者には冷酷ではあるが義理人情に厚く、身内には親身な一面もあって組織内の人望はかなり高い。とは言え組を束ねる人物であるので敵対組織は存在するしそれなりに恨みも買っている。

 なお、発生時、現場には松原のほかに二人の若中が存在していたことが判明した。

 須藤鋭二36歳と藤岡武則32歳だ。二人は組長付き若衆で運転手兼ボディガードとして働いている。前科前歴も相当な奴らで特に須藤は殺しの前科もある凶暴なワルだ。二人とも野次馬のスマホ動画にばっちり写っている。

 本件は今だに不確定な部分が多いが、被害者の特殊性から対立抗争事案も視野に入れて組織犯罪対策課も捜査に加わる事になった。」

 

 続いて各捜査班に任務付与がなされる。玉置班(と言っても三島との二人だけだが)には映像解析が命じられた。膨大な量の防犯カメラの映像を延々と検証する地味で根気のいる仕事である。

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