第4話 スナイパー・ガール

 4月初旬の新宿

 靖国通り沿いにあるその古い商業ビルは外付シースルーエレベーターが特徴の12階建て構造である。スポーツ用品店、アニメショップ、ネットカフェ、アクティビティなどがテナントとして入り客層は若者が多い。

 暖かいというよりはやや暑い日となり、道行く者の中には半袖の姿もわずかにいる。時間はもうすぐ午後5時ではあるが日差しは十分で晴天も手伝って明るくて見通しは良好だ。

 キーボードケースを提げた女はブラックベースに白いロゴのデザインTシャツの上にルイスレザースのライトニングを着こんでいる。デニムのホットパンツからはダメージレギンスで包まれた形の良い脚が長く伸びている。ビビットピンクに染め上げた髪を逆立てて、黒い瞳は黒曜石のように美しい。


 屋上の手入れは杜撰としか言いようがなくウレタン防水の劣化はひどい、排水ドレンは土埃で埋まり用を足さなくなっている。長期間未管理で放置されていたことは明白で屋上に通じるドアの鍵も簡素な造作のためキーピックで容易に解除できる有様だった。


 屋上周囲は腰高の金属柵で囲まれているが特に問題なさそうだ。北の方角には目標の太陽系ビルディングがあり路上には対象の黒いBMWの7シリーズがとまっている。超小型スポッティングで街路樹の揺れ具合などをみて風の強さを確かめると風力はそれ程でもなく補正の必要もなさそうだった。人通りはそれなりにあるが障害にはならない。


 おもむろにキーボードケースを地面に置いてファスナーを開くと中には白鍵黒鍵ではなく、クロームモリブデン鋼の銃身とイングリッシュウォールナットの銃床で構成された長さ1メートル8センチの死神が横たわっていた。スコープ内のミルドットで420メートル前後の距離を算出してから槓桿を起こして遊底回転させ薬室閉鎖を解除後、遊底を後方にひき弾倉からせり上がった初弾を薬室に押し込み装填完了する。

 この行程を瞬きよりも早い速度で完遂して時を待った。その死神の名はゴールデン・ベアという。

 あらかじめ入手した情報では間もなく標的は車に乗り込むはずである。


 おおよそ二年ぶりの日本である。二度と帰ることも無いと考えていたがフィリピンで数多のドラッグディーラーとマイスターを殺し総仕上げとしてこの国に戻ってきた。

 ゴールデン・ベアに触れるのはさらに久しぶりである。この古ぼけたボルトアクションライフルは日本を離れるときに知床の山小屋の地下に隠しておいたもので父と自分を繋ぐ唯一の絆である。


 思えばかなりねじくれた関係だ。親子というよりコマンダーとソルジャーだ。自衛官の父から温もりを感じたことは一度もない。その代わり最高の戦技を賜った。

 留萌で生まれた。友達なんていない、いつも一人だった。唯一の友は父から与えられた古いゴールデン・ベアだ。大口径ライフルの中では小型の部類ではあるが小さな女の子が扱える代物ではない。小学校4年から一日3000回空撃ちをやらされた。


 12歳、初めて殺したのは雄の蝦夷鹿だ。70センチの見事な角の持ち主で急所付近を撃たれなお3キロメートル逃げた強者だった。父は言った「いずれはヒグマだ。」おそらく父は世間の常識からみれば異常者であると子供心に悟った。


 でかい図体に似合わずヒグマのバイタルゾーンは狭い。素人は頭を狙えと言うが愚の骨頂である。ヒグマの頭蓋は固いうえに傾斜が急ではじかれる可能性が高い。そもそも頭はよく動いて狙い辛く、脳の容量も小さいので確実性に欠く。急所を外して返り討ちにあったハンターは多くいる。ヒグマの移動速度を侮ってはならない。個体によっては時速60キロに到達する。そんな速度で不整地を走るから人なんて簡単に距離を詰められる。振り下ろされる一撃は強烈で無慈悲だ。鋭いツメの前には人体なんて湿ったウエハース同然である。

 ヒグマに捕まってすぐに死ねれば幸運だ。

 例えばトラやライオンのような生粋のプレデターならば狩りの際に獲物の急所を咬んで即死させるがヒグマは違う。悪食のヒグマに瞬殺の発想はない。生きたままの獲物を貪り食うのだ。そして最悪なことに真っ先にかぶりつくのは温かくて柔らかい内臓だ。獲物は長時間もだえ苦しんだうえ絶命することになる。

 ヒグマにだけは殺されるのは御免だ。だからヒグマは一撃で仕留めなくてはならない。

 バイタルゾーンは側面からは肋三枚の部位、正面から狙うなら立ち上りを狙って喉元若干下を射抜かなければならない。瞬時に心臓を粉砕しなければこちらが殺られることになる。父はコンプレッションロードで308win弾を44グレンまで増薬したグリズリーバスター(ヒグマ仕様)を掌で転がしながら「一発で決めろ。」と言った。


 ゴールデン・ベアで狩った獲物は父と解体した。

 そんな暮らしをしているうちに相手を見ただけでバイタルゾーン(急所)が見えるようになってしまった。どこに刃物を立ててれば効率よく皮を剝ぎ、腱を断ち、筋肉を切り分けられるかわかるようにもなった。

 試したことはないが人間相手でも多分できると冬子は思った。


 同年代の女の子がやっているような遊びはしたことがない。おジャ魔女なんてみたこともない。クラスでは当然浮いていた。父の命令でいろいろなことをさせられた。基地の体育場で徒手格闘術、銃剣道、短剣道の訓練を受けた。年中どこかが骨折していたし肌に青あざがあるのは当たり前だった。おかげで中学生に上がったころには男性隊員と何とか渡り合えるレベルになった。それどころか短剣に関しては素早さと持久力を生かして圧倒することも珍しくなかった。


 並行してクロスカントリースキーにも取り組んだ。これは同年代の子と触れ合える唯一の息抜きで皆死ぬだのジゴクだのと涙目だったが、父との日常を思えば娯楽に過ぎなかった。地方大会ではまず負けたことがない。


 中2の夏、警察のお世話になる。

 ギャルの先輩方に「男に人気があるからっていい気になるな。」と身に覚えの無い因縁を吹っ掛けられたのが発端だった。

 かなり手加減はしたが恨みを買った。三日後、先輩は二十歳をリーダー格に据えた男ども5人と一緒に下品なワンボックスでやってきた。拉致してどうにかするとのことで人数も多いことから本気を出して対処すると予想外の展開に困惑する。

 口調や態度は勇ましいが基地の隊員たちの足元どころかその地下100メートルにも及ばぬ弱さに呆れた。一発しか殴っていないのに場末ホストの出来損ないみたいなリーダー格は顎が砕け頸椎を骨折した。

 まさかこんなに脆いとは。5人中2人が入院したことで傷害の容疑がかけられるが正当防衛が認められ処分はなかった。

 担当の少年係の捜査員は、

「いろいろな子を見てきたけど君みたいな子は初めてだ。なんていうか中学生とは思えない凄みを感じるよ。」

 と妙に感心した様子だった。

 意外だったのは普段感情を表に出さない父が珍しく声を荒げたことだ。


「何をしている! 何故とどめを刺さない? 合法的に人を殺せるまたとない好機をむざむざと。」



 冬子は北海道留萌で生まれ駐屯地の官舎で育った。留萌は北海道北西部に位置するハート形の海辺の町でホタテ・ウニなどの水産が基幹産業である。札幌から北へ車で2時間ほどの所にあり、黄金岬や暑寒別岳など美しい自然景観が魅力の場所である。


 駐屯地では近所から「冬ちゃん」と呼ばれ両親と暮らしていた。父親は幹部レンジャーとして勤務していた。母も元自衛官と聞いていたが詳しい所属は聞いていない。冬子が物心ついた頃には除隊して家庭に入っていた。

 父の名は竜造といい、北部方面隊三等陸佐で冬季レンジャーの中隊長であった。母房子は冬子が中学3年生の秋に病没している。


 竜造は三等陸佐であったが、指揮指導の場に立つことは少なく数年ごとに長期の出向で家を空けることがあった。そして留萌にいるときは専ら冬子への訓練に注力する有様でその内容は常軌を逸し苛烈を極めた。幼気な少女は常に傷だらけだったにも関わらず、母房子は無関心で娘を庇おうともせず、夫に意見する態度も見受けられなかった。一時期虐待が疑われ児童相談所の訪問調査があったが改善されることはなかった。

 

 小中時代は地元のクロスカントリースキー大会に度々出場しては優勝準優勝の常連だったことからスポーツ特待で札幌の強豪高校に進学する。インターハイでは常に上位入賞の成績であったが卒業後は進学せず札幌の陸上自衛隊冬季教育隊に入隊した。

 肩書は自衛官であるが実質的には競技者枠での採用である。入隊の時点で冬子は高度な射撃技術をもち更には、クロスカントリースキーの実力者でもあったことからスキーとライフル射撃の複合競技バイアスロン代表選手となる。

 国内大会では敵はいなかった。極めて短期間のうちに並みいる先輩を押しのけ平成30年平昌五輪に出場を果たした。

 女子個人15㎞ 11位  

 女子7.5㎞スプリント 6位 

 北欧選手の後塵を拝する結果となったが、日本としては初のベストテン入りを達成した。

 冬子はこの時まだ21歳。


 …出てきた。標的は長身の男、写真は何度も見て顔は覚えた。実年齢は59歳だが剽悍な体にブリオーニのスーツを纏っていて雰囲気は若々しい。

 迅馬組の組長にして上位団体武蔵鳳凰一家の若頭補佐の松原健吉。今回の標的である。

 スタンスは肩幅よりやや広めにとり、背中を丸め銃身はやや前側にかける。腰を落として両膝の力を抜く、衝撃を上手に逃すため下半身をサスペンション化させるのだ。ストックエンドを右肩の付け根にしっかり押し当て銃を固定させる。これは「肩付け」といい、右頬をストック側面に適度な圧で押し当て「頬付け」することで弾道軌道の安定化を図る。

 脇を締め肘を落とし右手はグリップ、左手はフォアエンドで手首に余分な力を込めない。これがスタンディングポジションである。

 スコープの接眼レンズをのぞき込むと、松原はドレッドヘアーと金髪の若い二人のボディガードを引き連れBMWに近づく、金髪の男が車のドアを開け深く一礼し、松原が後部座席に乗り込もうとかがみかけたその刹那引き金を絞る。右肩に鋭い衝撃を感じる。何度も味わった心地良い感触だ。

 良く響く轟音とともにスコープ内の頭部はデビット・クローネンバーグの映画「スキャナーズ」みたく四散し、糸の切れたマリオネットのように四肢の関節の力が抜けてクシャケて崩れ落ちた。

 屋上に立つ女の名は「大森冬子」 24歳。


 小型スポッティングで状況を確認する。ドレッド男と金髪男の反応は早かった。金髪は素早く松原をBMWのリアに引きずり車体の陰に隠す。ドレッドは身を縮めながらビルの陰に隠れつつ銃撃者を探ろうとあたりを探っている。異常に気がついた通行人たちは立ち止まってスマホで撮影する者、電話をかける者、足早に立ち去る者などいろいろだ。冬子は銃をキーボードケースに仕舞いその場から立ち去った。

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