第2話『金魚』 きんぎょすくい
七の月 二日
私達は、いきなり大変な目に遭ってしまった。
事の発端は、路銀を稼ぐために日雇いの仕事を探したことだった。昨日の夜二人で話し合った結果、ベルンの旅の目的地を探し、国境を越えた南の国エフェメラントに向かうため、まずはお金が必要だという事になったのだ。
そうしたわけで市民会館前の日雇い掲示板を見ていた私達は、一人の女の子と出会った。彼女は私達を見上げ、旅人かどうか尋ねた。そして、手書きの紙とお小遣いらしき小銭の入った袋を押し付けるように手渡した。
「きんぎょをごひき、すくってください。おかねはまえばらいです」
彼女は確か、そう言った。本来、市民が私達のような旅人に仕事を委託するには役所への届け出が必要になるが、小さな子供にはそういったシステムは理解できなかったのだろうと考えている。
私もベルンも、このお願いを断るほど冷たくはなかった。そして、レイョンという名前のこの女の子から「しごと」の話を聞くことにしたのだ。
私達の「しごと」は次のとおりだった。
・町を流れる川に金魚がいる。五匹捕まえてほしい。
・捕まえた金魚は、町から街道に出て直ぐにある分かれ道を進んだ林の奥の湖に放してほしい。
・レイョンのお小遣いは最初に渡したものが全てなので、仕事の出来に関わらず追加報酬は無い。
・道具は石の鉢と掬い網を使用すること。
私達は直ぐに依頼に取りかかった。町の川の流れは緩く、やや濁って見えづらいものの赤い色をした魚は容易に見つかった。私が隅に追い込み、ベルンが待ち構えて網で石の掬い鉢に入れる。こうして二人がかりで金魚を五匹、一時間ほどかけて捕まえた。
「この魚、弱ってるな」
石の鉢を持って泉に向かう途中、ベルンが確かそんな風に言ったはずだ。この時点で私は、レイョンが金魚達を泉に連れて行ってほしがった理由として、その方が元気になると考えたのだろうと思った。
実際、辿り着いた湖の水は美しく澄んでいて、魚も大きく見えた。私達は石鉢を湖にゆっくりと浸し、金魚が自分で湖へと進んでいくのを見届けた。魚も驚くような仕草をするなんて、今まで気づかなかった。
そこからの出来事には、ただ驚くほかなかった。まず、金魚達が広い湖へと散っていくのを見届けた私達の目の前に、湖の精霊が姿を見せたのだ。
「私はアムリタ、湖の精霊です。あの子の願いを聞き、金魚を救ってくれてありがとう。この子たちは、これからここで私達と共に暮らします」
彼女は、そう言って微笑んだ。私は精霊を生まれて初めて見たけれど、この地上の人間とも獣とも異なっているように感じた。外見は私達のような人族の女性と似ているが、体に絶えず水の流れのような光が生まれては消える。今考えると、もしかすると水で対面した相手の種族に似た形を作り出していたのかもしれない。
これで一件落着、とはならなかった。
来た道を町に向かって歩き出した私達は、前方からの騒がしい声に顔を見合わせる事になった。なんと彼らは、魚泥棒(私達はこの一時間足らずの内に、そういう扱いを受けるようになっていたらしい)を探して湖に向かっているらしかったのだ。
やむを得ず引き返した私達の事情を察したアムリタは、精霊の神秘の力で私達を魚に変え、川へと送り出してくれた。
そして私達は今、川を下って辿り着いた岸辺で人間の姿に戻り野宿を始めた。当分ヴェステルの町には入れない。
ベルンと私は、事の発端になったレイョンについて話した。
お互い彼女とは初対面だった以上、完全に推測だけど、そもそもあの町に流れる川では金魚は生きていけず、いずれは弱って死んでしまうほかなかったのだろう。それが彼女には耐えられなかったが、周囲の大人にはその思いを理解してもらえず、漸く見つけた頼みを聞いてくれる相手である私達については結果的に騙すことになってしまった。少なくとも私はそう思いたい。何処か金魚が健康に暮らせる場所に連れて行こうにも、小さな女の子にできる事には限りがあったことだろう。
こんなことになってしまったけれど、出会った人について記録しておくのは好きなので今日も書いておこう。
――レイョン 人 ヴェステルの町の女の子
詳しいことはわからない。きっと金魚が弱っていくのが悲しかったのだろう。
小さい子が自分で戦うのは無理だから、少なくとも私は怒らないと決めた。
――アムリタ 湖の精霊
精霊と出会うのは初めてで、言葉も十分に交わせなかったので、詳しく表現することは難しい。人間と異なり染み一つない肌と水のような体を持っている。
人族を一時的に魚に変えるという、おとぎ話のような魔法を使える。
レイョンのように人族と友好的な関係を持つこともあり、魚は守るべき存在であるようだ。
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