第4話
意識が戻ってすぐに、そこがマルシド騎士団本部の医務室だとわかった。
「……気がついたか」
背中を預けていた壁から身を離し、ヘーゼル団長はベッド横の椅子へ腰かける。
開け放しの窓から見える外は暗く、今が夜だということしかわからない。
「わたしは……あ……大会、大会は、どうなりましたか……?」
「閉会した。君は三時間ほど眠っていた」
「も、盛り上がりましたか!? 決勝は――」
「そんなわけがないだろう。あれから終始、観客は冷えていた。だがな、無事に閉会したのだ。何も明るみには出なかった。
低調。
そうなることをあのときは望んだし、わかっていたけど……わたしは楽しかった。
本当に幸せだった。
「観衆の記憶にはちゃんと君が残っている。もしアイリスというファイターが決勝に残っていれば、決勝でキオンと戦っていれば、どうなっていただろうか、と。君の行動でテクニカルブレイドの未来は繋がったのだ、アイリス。十分に挽回できる」
「やっぱり決勝は、不戦勝……だったんですか?」
「そうだ。君が決勝を辞退したものの、キオンもニゲラも納得がいかず辞退。急遽、準決勝にてキオンに敗北したリンドウという男が優勝――そういう筋書きになった」
リンドウ……誰?
え? どういうこと?
「じゃ、じゃあキオンは!? キオンはどうなったんですか!?」
「ニゲラが消え、倒れた君をここへ運んですぐ、キオンがやって来た。ぐったりした君を見て血相を変えたキオンが、薬瓶をくれたのだ。君が刺されたナイフには、とある毒草の猛毒が塗られていると」
全部話すべきか迷うそぶりを見せて、ヘーゼル団長は続けてくれる。
「その毒は、大陸東の傭兵団がよく使う毒なのだそうだ。……アイリス、我々がシーラの丘で戦った相手を覚えているか?」
「……忘れもしません」
あの戦争でわたし達が戦ったのは、敵国に雇われた傭兵部隊だった。
わたしはまだ十五だったけど、敵にはわたしより若い兵士もいた。
「我が国の主要な防衛拠点三ヶ所の内、勝利したのはマルシド騎士団が守ったシーラの丘だけだ。騎士団も多くの戦死者を出しているが、敵は他の拠点の五倍も殺した」
あらためて思い出しても震える事実だ。
ただ、ヘーゼル団長に誇るような態度は無く、どこか苦しげな顔を窓へ向ける。
「ニゲラという男は、その傭兵団の生き残り、なのでしょうか」
「……どうだろうな。何か知っていそうなキオンもすぐに姿を消してしまった」
わたしは馬鹿だ。
もっと自惚れるべきだった。
キオンがわたしの試合を見ないなんてこと、あるはずがなかったのに。
力が入らずベッドでもそもそ身をよじり、腕全体を使って無理矢理体を起こした。
「わたし、行かなきゃ」
「どこへだ? 忠告するが、体調を度外視してもキオンを追うのは止めておけ」
「……理由を聞いてもよろしいですか」
ヘーゼル団長は迷うことなく言い放つ。
「目だ。医務室を飛び出したときの、奴の目。あれはかつての私や君と同じ――……。追えば、また君は終わりのない地獄をさ迷うことになる」
かつてのわたし。
人を殺すための剣を振るっていたわたし。
キオンがもし、あのときのわたしと同じだと言うなら――
「なおさら、行かないと。それにキオンは……団長が思うような過ちは決して犯しません。断言します」
ベッドを下り、掛けてあったサーコートは身につけず、ローブだけを羽織った。
「……アイリス。どうしても行くというのなら、マルシド騎士団を動員しよう」
ヘーゼル団長はいつもそうでしたね。
仏頂面でわかりにくいけど、わたしをいつも気にかけてくれていた。
「わたしの想いを汲んで、大会でも事件を隠し通してくれたのでしょう? ニゲラを取り逃がしたのも大々的に闘技場を封鎖するわけにいかなかったから。ここで騎士団が目立ってしまえば、せっかく隠した事件が勘づかれるかもしれません」
「……私は、私の野望のためにそうしたまでだ」
「わたしはキオンを信じています。ヘーゼル団長もどうか、わたしを信じてください」
頭を下げる。
ヘーゼル団長は無言をつらぬいたのち、盛大にため息を吐いた。
本当に感謝しています。
心から。
医務室の片隅に置かれていた物を手に取り、扉を開ける。
「そんなもの、どうするつもりだ」
「これが、今のわたしの剣ですから!」
医務室を出て、マルシド騎士団の本部を飛び出した。
「はあっ、はあっ、はあっ」
もう決めた。
わたしは絶対に、キオンの気持ちを疑わない。
あの日――“本気で戦いたい”とキオンに告げた日。
あの日以来、キオンには会ってもいないし、言葉も交わしていない。
だけどそれこそがキオンの答えだったんだ。
わたしは、わかっていたはずなのに……!
すべてわたしと戦うため、わたしの願いを本気で叶えるために決意してくれた。
馴れ合わない。
手の内を見せない。
相手を射殺すような眼光も。
似合わない、たぶん、ぜったい、本当は隠したかったはずの自分を、わたしのためにさらけ出してくれたんだ。
わたしの気持ちを尊重してくれた。
優先してくれた。
とってもとっても大事にしてもらえた。
だからわたしは、盛大に自惚れる。
そう決めた。
駆けながら、静かに広がる湖に目を向ける。
夜間に佇む湖は、美しい三日月を水面に閉じ込めていた。
儚く揺れる月がキオンと重なり、胸が苦しくなる。
キオンはきっとニゲラを追っている。
街を抜けるルートは色々あるけど、ニゲラが傭兵団と深く関わりがあるのなら、行き先はひとつしか浮かばない。
シーラの丘。
黄色い花畑が広がる、戦場跡。
わたしも過去と、折り合いをつけなきゃならない時がきたのだ。
◇◇◇
「はあーっ……はあーっ……はあーっ」
苦しい。
走ってきたから……理由はそれだけじゃない。
空にはぶ厚い雲が覆いかぶさり、月明かりは潰えてしまった。
戦時以来、はじめて訪れたシーラの丘。
かつての記憶よりも真っ暗な丘は、歩むほどに闇が絡みついて足が重く、前へ進むのが困難だ。
だだっ広い丘には、今は花の一輪も咲いていない。
代わりに数百もの剣が墓標として突き刺さっていて、わたしは恐怖心から何度も嘔吐する。
「はぁ……はぁ……ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい……っ!」
折り重なった死体は、すべてこの丘で焼き払われたと聞いた。
骨は別の場所に埋葬されている。
でも、だからなんだというのか。
心は、魂は、怨念はここにある。
わたしを仇と認識して、恨みを晴らすために地へ引きずり込もうとしている。
わたしは謝罪を繰り返すことしかできない。
ごめんなさい。
生きていて、ごめんなさい。
あの日死ぬべきでした。みんなと一緒に。
本当に、ごめんなさい。
そこら中に臓物がこぼれている。
腐敗した臭いがする。
血だまりで滑って転びそうになる。
あふれた涙で前が見えなくて。
呼吸がおかしくなって頭が痛い。
どこに進んでるのかもわからないわたしは、甲高く鳴る金属音を頼りに足を出す。
継続的に鳴る、ぶつかり合う金属の音。
あの戦いの最中も、四方八方で鳴り響いていた。
だんだんと音が大きくなるにつれ、少し違うと気づく。
片方は金属、もう片方は――
雲が晴れたのか、ふと月明かりが差し込む。
暗い丘の頂上、二つの影が踊るように舞っている。
――キオン。
わたしは見間違わない。
剣戟を交わすひとりはキオンで、もうひとりはニゲラだった。
「――なんなんだ貴様ァ! それでもロアの傭兵かァァッ!」
ニゲラは爪先で砂を蹴り上げ、キオンの顔面に浴びせかける。
怯むキオンに、大きく反り返ったニゲラの曲刀が振り下ろされる。
「――っ!?」
キオンは間一髪、横っ飛びで難を逃れた。
わたしはすぐさま駆けていこうとして、意思とは裏腹に動かない足を睨みつける。
なんで? どうして!?
なぜこの期に及んで――キオンを怖がるの!
「半端な覚悟でオレの前に立つな小僧がッ! これは奴らへの復讐だッ! てめぇらのままごとなんざ反吐が出んだよ!!」
ニゲラの怒号が夜空を裂いた。
曲刀がキオンを追いつめる。
器用に立ち回って距離を取るキオンに対し、ニゲラは懐を光らせ暗器を投げる。
回避に気を取られたキオンの腕を掴み上げると、その顔面にニゲラは拳を叩きつけた。
行かなきゃ。
殺し合いをしてるなら、止めなきゃ。
ああ――でも、怖い。
怖い。怖いんだ。
キオンがもし、ニゲラを殺そうとしていたら。
その顔を見るのが、怖い。
だってその顔は、あの日のわたしと同じ――
「……ままごとなんかじゃ、ない……っ」
視線の先で、キオンが立ち上がる。
「……アイリスの理想は、願いは必ず叶う!」
「ああ? 寝言いってんじゃねえぞ!
首を刈り取る軌道で迫る曲刀。
それをキオンは
返す刀が、ニゲラの首を打ちつける。
「ぐ……う、そんなもんで、争いを無くすなんて夢物語をほざく……ッ」
「……見惚れるほど美しい剣を知った。勝てばいいっていう、傭兵の剣じゃない」
「ああッ!?」
「何気ない会話が楽しくて、忘れていた作り物じゃない笑顔を思い出させてくれた。彼女の語る理想に胸を打たれて、過去じゃなく今を生きようと思えたんだ……!」
「だからなんだってんだッ!」
キオンの素早いステップを捉えられず、曲刀の刃が地に食い込む。
「僕はアイリスに救われた! 彼女が語る理想のままにだ! だから僕が、僕の存在こそが、アイリスの願いが叶う証明になるんだよッ!!」
ブレイドの連撃がニゲラの両腕を交互に打つ。
ニゲラは顔を歪めて曲刀を引き抜き、キオンの頭部へと薙ぎ払う。
「うらアアアアッッ!!」
「僕がブレイドを持ち続ける限り、アイリスの夢は破れないッ終わらないッ!!」
曲刀の大薙ぎを掻い潜ったキオンが、ブレイドの芯でニゲラの膝を打ち抜いた。
ニゲラの怒りが絶叫となって丘を揺らす。
もう……いいよ、キオン。
十分だよ。
こんなにも、わたしを満たしてくれた。
ねえ……どう返せばいいんだろう。
「キオン――」
わたしを振り返ったキオンが、驚いて目を丸くするのがおかしくて。
笑いかけたつもりなんだけど、たぶん出来ていなかった。
「ありがとう。……大好きだよ」
図々しいわたしを、どうか許してください。
わたしは生きたい。
キオンと二人で、生きていたい。
「ハッ……生きてたのか貴様。ちょうどいい……! この女を殺されてもまだ棒っきれでやんのか、確かめてやるよッ!」
「やめろ――ッ!!」
ニゲラが曲刀を振り上げる。
顔には殺意を込めて。
でも、恐れはない。
「あなたとも、決着をつけなきゃね。準決勝の」
ブレイド斜めに刃を受け、刀身を巻き込むように回転させて曲刀の上部から叩き落とす。
足で曲刀を地面に押さえ、両下肢を叩いた。
距離を離し、すぐさま踏み込む。
曲刀の持ち手をブレイドの先端で突き崩し、空いている腕を殴打。
首もとが隙だらけなので続けて殴打。
最後は全力でブレイドを振り抜き、曲刀ごと持ち手を弾き飛ばした。
「五ポイント。文句なしに、わたしの勝ち」
「が……あッ……ざけんじゃ、ねえ……ッ」
キオンのも含めれば、さすがに腕が腫れ上がって曲刀を拾う力も出ない様子だった。
わたしはニゲラに突きつけたブレイドを外し、心から懇願する。
「……行ってください。お願いします」
獣みたいにわたしを睨め上げるニゲラ。
ニゲラが何か言う前に、キオンが割って入る。
「駄目だ、アイリス。せめて衛兵に! でなければきっとまた――」
「ううん。いいの、これでいい。わたしは大会で刺されてなんかいないし、ここでもテクニカルブレイドをやっただけ。だから彼を捕らえる理由がない」
キオンは何か言いたげだったけど、結局はわたしのわがままを許して引き下がった。
どうしよう……本当に好きだ。
「ハハ……てめえらには、地獄を見せてやる……絶対に、忘れねえからな……」
「……いつか。あなたの住む街でも、テクニカルブレイドが見れるように……わたしは頑張ります」
ニゲラは忌々しげに唾を吐き捨てる。
曲刀を踏みつけるように地面に突き刺し、墓標のひとつに加えるとゆっくり立ち去った。
怨恨は簡単には消えない。
理解はしているつもりだ。
だけど、いつか……キオンと二人なら――
「アイリス……?」
俯いていたから心配してくれたのだろう。
近寄ってきたキオンの頭を引き寄せ、わたしは。
「――んぷっ~~~~!?」
口に空気を含んだままキスをしてしまい、おそらくその塊を飲み込んでしまったキオンが激しく咳き込んだ。
あああ……
死にたい。
死のう。
「げほ! はあ、はあ……びっくりした……顔、真っ赤だよアイリス」
熱くなった顔をそむけるも、頬を強引に引き寄せられ、わたしの唇がキオンので塞がった。
「……ん……」
何も考えられないほど、溶けていく。
今なら死んでもいい。
いや生きる。
ずっとする。
体感で一年くらい口づけて、離れる。
滲んでいたキオンの顔が、指で目もとを拭われるとクリアになった。
「……キオンは……わたしの願いをなんでも叶えてくれるね」
「そうかな。じゃあ……決勝戦もここでやる?」
「……やめておく。今のわたしじゃ勝てなそう。本気のキオンは見てみたいけど……」
「え?」
キオンは瞳を何度か瞬かせると、ふいに破顔した。
おかしそうに笑うキオンを、不思議に思って見ていると。
「……僕はさ、ずーっと本気だったよ」
「え? うそ、だってあの剣は」
「アイリスの真似事だって言われたね。真似事でも、アイリスに追いつきたかった。僕の本当の剣は、ほら……ニゲラを見たら、わかるだろ?」
「あ……」
「あれじゃテクニカルブレイドに適さない。アイリスには逆立ちしたって敵わない。だから一から、本気で新しい剣に取り組んだ。……君から見たら、まだまだだろうけど」
キオンが照れくさそうに鼻をかく。
そうか、わたしはとっくに本当のキオンに触れていたんだ。
それが思いの外嬉しくて。
「それなら、なおさら決勝戦はとっとかないとね」
「時間の猶予をくれるなら、僕はありがたいよ。アイリスは好きだけど、テクニカルブレイドは勝ちたい」
「わたしも! キオンのこと大好きだけど、テクニカルブレイドは絶対に負けない」
白みはじめた空の下、わたしはキオンと朝まで色々な話をした。
合間に何度もその、色々して。
「――キオン」
「ん?」
「ありがとう」
「こちらこそ、ありがとうアイリス」
凄惨な情景は、頭から消えはしない。
けれど新たな思い出だって消えずに刻まれる。
丘を踏みしめて、歩けるほどには。
歩くことができるなら、いつかは乗り越えられるのだと思う。
花を植えよう。
見渡す限りの綺麗な花を。
楽しいことも辛いことも引っくるめて、何度だってここを訪れようと心に誓った。
◇◇◇
目が覚めると、わたしを見下ろすようにキオンが微笑んでいる。
「おはよう、アイリス」
寝顔を見てニヤニヤしていたのだ。
そう思うと仕返ししたくなって、日焼けた首すじに噛みついた。
「あ痛たたたっ!? ちょ、朝食なら準備してるから!」
「ぷはっ。それは、ありがとう。でもなんでひとりだけ服着てるの?」
言ってて恥ずかしくなったわたしは、シーツを引き寄せて体を包んだ。
ばつが悪そうにローブを羽織りながら、キオンが言い訳する。
「何度も起こそうしたけど、ぜんぜん起きなくて。僕はほら、もう行かないと」
「わたしを置いて行っちゃうってこと?」
「いや、今日なんの日かわかってる!? 昨日だって食事だけって話だったのに、こんな――」
「……イヤだった?」
「そんなわけないだろっ!」
腕を引き寄せられ、落とされるキスの嵐。
唇に、首に、唇に、頬に、唇に。
キオンの優しい口づけが、わたしを満たしていく。
「アイリス、今日は第六回目の大会だ」
「うん。晩御飯は豪勢にするね」
わたしが笑顔で言うと、キオンは一瞬たじろいで。
でもすぐに不敵な笑みを返す。
「楽しみだよ。アイリスに勝って食べる手料理は、さぞ美味しいに違いない」
「過去四回、優勝者は誰だっけ」
「く……今回は一味違う。“チェンジャー”と二人一組で戦うはじめての公式戦だ。油断してると足もとをすくわれるよ」
「キオンとコンビ組む相手、女の子?」
「せ、性別は関係ない。――じゃあ僕は先に出るから、アイリスも遅刻しないようにね!」
せわしなく、キオンは家を出ていった。
ふぅん。
女の子か。俄然、勝ちたくなってきた。
いつもの制服に袖を通し、サーコートを身につける。
前髪をピンで止め、今日出すゴミを手際よくまとめた。
まあ、相手がどうであれ、わたしは変わらないのだけども。
キオンのことは大好き。
愛してる。
でも、テクニカルブレイドはキオンにだって、他の誰にも負ける気はない。
なぜならこの競技に心を奪われ、キオンと同じくらい愛しているからだ。
「――行ってきます」
無人の家に挨拶を告げ、晴れ渡った青空の下へ足を踏み出す。
わたしの剣技は、今大会も観衆を魅了して沸かせるのだと確信していた。
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