第3話

 大々的に打ち上がる花火を、わたしはヘーゼル団長と共に“円形闘技場”から見上げた。


「ついにこの日を迎えたな。それで、調子はどうなのだ」

「わたしは上々ですが……団長、目の下のクマが凄いことになってますよ?」


 闘技場――通称“円形闘技場マルシド”の完成からはや半月。

 ヘーゼル団長が睡眠や肌の張り、髪のツヤ、寿命などもろもろ犠牲にして進めてきたテクニカルブレイドの公式戦が、本日開催される。


 さきほどの花火を皮切りに制限が解除され、すぐに観客席が人で溢れていく。

 闘技場を囲む見下ろし型の客席は、二階席と三階席に分けられ、最大で千八百名を収容できるらしい。


「客席の入りは六割といったところか。初回にしては上出来ではないか」

「わたしのおかげでしょうか」

「否定はしないが……ここで失敗すれば見切りをつけられる。それと、勝てるのだろうな? 優勝はマルシド騎士団の名声を高める意味合いもあるのだ」


 前髪をかき上げ、ピンで止める。

 クリアになった視界で闘技場を見下ろすと、競技に参加する“ファイター”も続々と姿を現していた。


「わたし以外の優勝候補もいるでしょうね、絶対」

「なに? どれだ?」


 二階席から身を乗り出すヘーゼル団長。

 闘技場から、地下の控え室に向かう集団の中にキオンの姿は無い。


 宣言の通り、あの日からキオンは一度もわたしの前に現れなかった。


 それでいい。

 わたしは“本気”のキオンと戦いたいと言った。

 必ず来る。

 この大会で優勝するために。


 きっとそういうものだから。


 ヘーゼル団長のもとに団員のひとりが歩み寄り、何やら囁く。

 頷いて、団長はわたしに目配せをした。


「参加が締め切られた。ファイターは十六名。トーナメントの対戦表が貼り出されるから、君も確認しておくといい」


 各階の客席中央と、ファイターの控え室に対戦表が貼られるとのことだ。

 キオンが参加していることは、もはや疑ってもいないわたしだけど、一応目を通すことにする。


 トーナメントの良いところは、負けない限り必ずどこかで戦えることが素晴らしい。


 大勢の隙間をかいくぐって対戦表の前にたどり着いた。


 キオン・アスタバ。

 さっそく見つける。

 対戦表の一番左に名前がある。


 あとはどれも知らない名前で、わたしの名は右端に確認した。

 キオンと戦えるのは決勝ということになる。


 まあ、いい。

 どうせ誰にも負ける気は無いのだ。


 ただ油断はしない。

 知らない名前ばかりなのは、第一回の大会だから当然。

 猛者が紛れてる可能性は十分あった。


「そろそろ第一試合が始まる。控え室に行かないのなら席へつけアイリス」

「……わかりました」


 試合開始の前に、あらためてテクニカルブレイドという競技の説明が団員によって拡声器で伝えられる。

 主に観客へ向けての説明だけど、公式戦までにふたつルールが追加された。


 ひとつ、ブレイドを落とした者は敗北とする。

 ふたつ、相手の身体にブレイド以外で接触する行為の禁止。


 以上だ。

 ヘーゼル団長によれば、今大会で改善点を洗い出し、今後も定期的にルールの更新を行っていくとのこと。


“毎年進化する競技なのだ”と髪をいじりながら不敵に笑っていた。

 怖かった。


『それでは第一試合を行います! 対戦する両ファイターは入場をお願いします! キオン・アスタバ――』


 キオンだ、キオンが来る。

 興奮し過ぎて、相手の名前は聞いてもいなかった。


 ――来た。


 黒い髪。

 服も、プロテクターも、ブレイドも漆黒。

 全身黒づくめのキオンが、うつむき顔を伏せながら、天然石を削り出した闘技場に上がる。


 瞳だけをギロリと前に、まるで相手を射殺さんとする冷たい目だった。


 いつも見ていた優しい笑顔なんてもの、そこには無くて。

 これが本気のキオンなのだと、わたしは嬉しくて背すじをゾクゾクさせる。


「あのブレイド……マルシド工房製では無いな」

「そうなのですか? たしかに、わたしのブレイドより少し細くて色も違いますが」

「装具の規格は、一応わかる限りの街の鍛冶職人に書面で提供している。試合前に装具のチェックも行っていることだし、どこの製作でも問題はない」

「なるほど。では、わたしのブレイドやプロテクターも規格の範囲内なら改造しても構わないのですね」

「その際はマルシド工房を通せ。マルシド騎士団の騎士がマルシド工房以外の装具を使うなど、顧客の信頼を著しく損なってしまう。そもそも技術力においても我らが工房こそ国一番、いや世界一の――」

「あ、ほら、はじまりますよ!」


 マルシドマルシドうるさい。


 キオンと相手のファイターが、ちゃぷちゃぷと足音を響かせ闘技場の中央に寄る。

 それでも開始線の立ち位置は、互いに七、八メートルも離れている。


「なぜ闘技場の床に水を張っているのか、聞きたそうな顔だなアイリス?」


 そう。

 闘技場は足首ほどの水で満たされていた。

 聞きたいけど、長くなりそうだったから考えないようにしてたのに。


「簡単に言えば演出のひとつ。巨大湖の中心にある円形闘技場マルシドに相応しい舞台であろう。もうひとつの理由は……見ていればわかる」


 だったらせめて見たあとに語り出してほしい。

 前髪をかつてないほど捻り回しているヘーゼル団長を見るに、喋りたくてうずうずしてるようだ。


『一回戦、第一試合――開始!』


 審判の団員が声高く宣言――すると同時に、キオンが深く踏み込んで前へ跳ぶ。

 水塊がキオンの後方に激しく散る。


 まばらな雑音に支配されていた観客席が、一斉にワッと歓声を上げた。


「これだ――! 派手な視覚効果は見る者を高揚させる! さらに踏み込みや歩法で発生する水柱は、ファイターがどう動くのか素人にも直感的に伝わるのだ!」

「もう黙っててくださいッ!」


 こんな大会に出てくるくらいだ、相手も近接戦の心得はあるのだろう。

 自分の距離に戻そうと斜め後方に下がるも、キオンは水を蹴ってピッタリ相手に肉薄する。


 横一文字の黒い剣閃。


 キオンのブレイドが敵の首を斬り裂いた。

 相手の首もとから、真っ赤な血煙がブシュッと噴き出る。


 え……血!?


「驚いたか? 驚いたであろう!? これぞ研究の成果! 生々しさより虚構を重視し、闘技場の水と同じく派手さと視覚効果を兼ね備えた――むぐぐ!?」


 ヘーゼル団長の口を手で塞いだ。

 いろいろ仕込んでくれていたのはわかりましたから、集中させてください。


 でも確かにこれは、ファイターがどこを斬ったのか客席からでも一目でわかる。

 観客席は悲鳴にも似たどよめきに包まれていたけど、血煙が作り物の演出だと理解すると一気に熱狂した。


 キオンの迫力に押されてか、相手がさらに後ろへ距離を取る。

 こうなってはもう駄目だ。


 水しぶきを上げて突撃したキオンは、足、腕、足、腕と上下に揺さぶる斬撃を披露し、あっという間に試合は終了した。


『ポイント五! 勝者、キオン!』


 割れんばかりの拍手と歓声。

 対戦相手は全身が真っ赤に染まり、偽物の血とはいえ非常に痛々しい姿でふらふらと舞台を去る。


 負けたらああなるのか。

 想像すると、すごくイヤだ。


「実力差がありすぎたな」


 ヘーゼル団長の感想に同意する。


 あれではキオンの実力がわからない。

 やっぱり彼の本気を見るためには、決勝に残るしかないのだろう。


 それはそうと、テクニカルブレイドという出来たばかりの競技で観客がこれほど盛り上がるなんて。

 どこを見渡しても、みんな今の試合を振り返ったり、続く試合に思いを馳せたり楽しげだった。


 誰かが泣いたり、絶望した姿はひとつも無い。


 本当に剣で世界を変えられるかもしれない。


「わたしも控え室に下ります」

「そうか、存分に体をほぐしておけ」


 わたしの剣でも、みんなを――




 控え室は東西の二つにわかれている。

 対戦表にちなみ、わたしはキオンとは別の控え室に入る。


 わたしの試合は最後、第八試合だけども、キオンの試合内容から出番も早そうだと察した。


 控え室は妙な緊張感に包まれて、ひとり、またひとりと闘技場へ向かっては、帰ってきたりこなかったりする。


 帰ってきた者は勝利者。

 安堵したやわらかい表情に、よかったねと声をかけたくなる。


 そういえば、優勝したら賞金が出るんだっけ。

 わたしが勝っても騎士団に回収されるだけだろうけど。


 お小遣いくらい貰えないだろうか?

 どうにも緊張が足りないのは、賞金に対する情熱が他の参加者に比べて低いせいなのでは。


『――続きまして、一回戦第八試合――』


 さて、行かなきゃ。


 プロテクターの装着を終えたわたしは、ブレイドを手に闘技場へ向かう。


『我らマルシド騎士団が誇る美貌の剣士、その剣閃は“流水”が如く! アイリス・ミグロード!』


 そんな紹介されたら、負けたときどんな空気になるのだろう。

 ちなみに流水をリクエストしたのはわたしだ。


 見上げれば、周囲どこからでも降ってくる歓声を浴びて、はじめての迫力に打ち震える。


「わあ……」


 思わず片手を上げたりなんかして。

 それでまた会場が沸いた。


 楽しい。

 気持ちいい。


 こんな気分で、戦いにのぞむ日が来るなんて。


 開始線に立ち、敵を見据える。

 強面こわもてですごい筋肉の巨漢だ。

 ブレイドもプロテクターも小さく映る。


 けど、すでにどう戦うかは決めていた。


『第八試合――開始!』


 合図の直後、思い切り踏み込んで接近する。

 敵を間合いに捉えたそばからブレイドを薙いだ。


 首からパン、と血が弾け一ポイント。


 ええと、それからキオンは――


 わたしは少し身を引いて、敵を誘い込む。

 踏み込んでくる敵の左足と、ブレイドを振りかぶる右腕が対角線に並んだ瞬間、二つを結ぶように斬り上げる。


 二ヶ所同時に斬りつけたことにより、凄まじい量の血煙が客席へ舞い上がった。


 大歓声の中、怯えたように敵が引く。

 追うわたしを突き放そうと、ブレイドが振り落ちてくる。


 まだ。

 まだ――今。


 すんでのところで身を沈めてブレイドをやり過ごし、今度は右足から左腕へと斬撃を走らせた。

 再びの同時断ちで、大噴出する血煙。


 これで五ポイント。

 アイリス優勝。


『さ、三回! たった三回の斬撃で決着! 勝者、アイリス!』


 地鳴りみたいな喝采に、手を振って応える。


 深く息を吸って……吐いて。

 込み上がる感情を抑えようと試みた。


「…………~~~~っ」


 やった。

 やったやった!

 感情押し殺すなんて無理!


 わたしは嬉しさを噛みしめつつ、にやけそうになる頬を引き締め舞台を下りた。


 キオンは見てくれていただろうか。

 わたしは今の試合、キオンの第一試合を真似てみたつもりだ。


 本気を出してくれるよう、煽る形になってしまったのは趣味が悪かったかな。


 ……嫌われないといいけど。




 一旦観客席へ戻ると、ヘーゼル団長が深く頷く。


「よくやった」

「ありがとうございます」


 いつものヘーゼル団長に対し、わたしも努めて平静な態度をつらぬいた。

 でも前髪をくるんくるん弄っていたので、団長の本音は明白だった。




 少しの休憩を挟んで、二回戦がはじまる。

 一回戦と同様、キオンは無傷で問題なく勝ち上がる。


「彼だろう。君が優勝候補だと言っていたのは」

「はい、そうです」

「勝てそうか?」

「今のところは、負ける要素が見当たりません」

「うむ。私の目にもそう見える。が……」


 キオンの底知れなさを、ヘーゼル団長も感じ取っているのだろう。

 それきり口をつぐんでしまった。


 そしてわたしも、二回戦を勝ち進んだ。




 ――三回戦。

 別の言い方をすれば準決勝、残りは四人。


 わたしは控え室でそのときを待っていた。


 大きな歓声が響いたが、控え室を出ていった男は帰って来ない。

 キオンの勝利を確信した。


 これであとは、わたしが勝てばキオンと戦える。

 拡声器で呼び出される前に、プロテクターを身につけて闘技場へ向かう。


『さあ次はどんな華麗な剣舞を見せつけてくれるのか、アイリス・ミグロード! ――対するは名前以外が一切不明の異国のファイター、ニゲラ!』


 異国?

 ニゲラと紹介された対戦相手は、黒いフードと装具を身に纏い、どことなくキオンに似た雰囲気を思わせた。


 けれど、実力までキオンと同等だとは感じない。

 視線や所作で大方は判別できる。


 わたしは、負けない。


 開始線に立ったとき、ニゲラが吐き捨てるように呟く。


「こんな……遊び同然のもの」


 挑発のつもりだろうか。

 乗ると思われているのか、舐められたものだ。


 それに他人は関係ない。

 大事なのは自分の心で、たとえ遊びのような競技だとしても、わたしはテクニカルブレイドに自分のすべてを懸けると決めたのだ。


 世界を剣技で笑顔にすると。

 だから――


 とりあえず開始したら突っ走って首を斬る。

 作戦は今決まった。


『三回戦、第二試合――開始!』


 作戦通り突貫する。

 ニゲラはまるで反応出来ていない。


 ブレイドを振り上げる動作に合わせて、さらに前――懐へ飛び込んだ。


 ここまで密着したらブレイドは振り下ろせない。

 ブレイド以外の接触は禁止とくれば、距離を取るはずだ。


 そこをわたしのブレイドで――


「“シーラの丘”」


 耳もとで、いやに大きく響いたニゲラの囁き。


 思考が止まる。


「決して忘れねぇぞ、この……悪魔がッ」


 動きまで止めてしまったと気づいた刹那、お腹に鋭い痛みが走った。

 目線だけを下げると、極短いナイフがしゅるりとニゲラの手首に飲み込まれる。


 暗器……?

 でも、こんな傷くらいなら。


 ニゲラはすぐに飛び退き、観客へと曝された腹部にじわりと血が滲みはじめた。

 次第に足が震え、握力が失われてブレイドが放れそうになる。


 テクニカルブレイドの、初の大会。

 これは大事な、大事な公式戦。


 ヘーゼル団長だって言っていた。

“失敗すれば見切りをつけられる”って。


 はじめての大会でこんな事件が起きたと広まれば、もう誰もこの競技を楽しめなくなる。

 誰も、見てくれなくなる。


「――アイリスっ!」


 異変を感じたのか、静まり返る闘技場にヘーゼル団長の声が響いた。


 駄目。

 絶対に駄目だ。

 気づかれては駄目。


 わたしの願いが……キオンとわたしの夢が終わってしまう。

 それだけは――……嫌だっ!


 わたしはブレイドを両手でなんとか抱え、自らの首を押し斬る。


『あ、ああっと――こ、これはいったい……』


 腕も足も斬りつけ、全身を作り物の血で濡らした。

 闘技場の入場口を振り返ると、ヘーゼル団長が今にも飛び出してきそうな形相で立っている。


 声に出すわけにはいかないので、目で訴える。

“絶対に来ないでください”と。


 わたしの自惚れじゃなければ、この場に駆け込んで来そうな人がもうひとりいるのだけど……


 決勝前、だからね。

 杞憂なら、見てなかったのなら、それでいい。


 それより急がないと。

 いつまで立っていられるかわからないほど、膝がガクガク揺れていた。


「……今日は、記念すべきテクニカルブレイドの、第一回の大会だ。このまま、わたしが優勝してしまっては、順当でおもしろくない……と、そう思わないか?」


 観客席のどよめきが大きくなる。

“そんなことない”と“もっと戦ってくれ”と声が聞こえて、泣きそうになる。


 だけど、やり遂げないと。

 盛り下がっても、形だけでも無事に大会を終わらせないと。


「そこで、第一回大会優勝の栄誉を、わたしは譲ることにした。キオンとニゲラ、両名とも迫真の剣技を、わたしに見せてほしい」


 ニゲラは姿をとっくに消している。

 だったらキオンの不戦勝になるのかな。


 喜びそうにないな……ごめんなさい。


 わたしは足を引きずるように、入場口を目指して歩いていく。

 後ろでは審判の団員が、わたしの発言を拡声器でまとめてくれてるのだろう。


 もうあんまり聞こえないけど。


 入場口では団員を引き連れたヘーゼル団長が待ち構えていて、観客から見えなくなったわたしの肩を抱き止めてくれた。


「――医者――うなっている!」

「すぐ――られる――です――」


 こんなこと、前にもあった。

 花が咲き誇る、あの丘――シーラの丘。


 あの戦争で、わたしは……


 どんどん暗くなっていく視界に、身を任せるようにわたしの意識は離れていった。

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