第4話 先自隗始

 今度の俺は、普通に剽軽そうな家庭的なおじさんだった。妻椿は地毛が伸びればこうだからとソフトアフロのウィッグを乗せた。いや別に慣れれば問題ないが、主治医の美樹本公一先生曰く、検体移植したものの大脳がリジェクションを起こしそのまま脳死し、この身体しか無かったそうだ。高齢の検体交換ではどうして万が一はある術例らしい。その家庭的なおじさんの身体に、そう簡単に馴染むものかと思ったが、開頭手術1週間で上半身が動いた。実際の検体交換では3ヶ月の手厚い療養が必要らしいが、今回の離脳手術は格別だったらしい。

 離脳で、そう幽体離脱してあのガラスの試験管を見ていた。美樹本先生はそれ迄の経過を語る。俺は疼痛に堪えたが、黄大樹博士の肉体が限界を示し心肺停止でご臨終になった。ただ俺の大脳パルスは動いていたので、別の身体の脳死も経過予後冷凍保存への検体交換になって、それが今の姿らしい。今も発展開発中の大脳のバイパスを探すのはただ困難で、手術の大半はそこに時間が掛かる。しかし今回の俺は特別で、脳天に電極を通したら、12経路のバイパスがごく自然に通過して、ミニマム電極部を埋め込み、手術は手早く収納されたらしい。そこから離脳手術の全見取り図が見直しされ、更新された医療モデルの先例になったらしい。


 そして時は巡り、2028年3月下旬。ブラストラン合同療養所の中庭は日本そのままの八重桜が咲きほころび、俺は妻椿の押す車椅子に引かれながら、かっての日本は華やかさは、やはり大陸本土の豊穣には叶うまいと、ただ日々の花見に浮かれていた。


 その日々で、妻椿が受けた説明に耳を傾けた。時間旅行を訴える素粒子物理学の権威黄大樹博士は表舞台から消えたものの、大国中国は時間鉄道局を立ち上げニュースに躍り出た。勿論、三面記事的な扱いでまずは月面旅行こそが優先だろうと、横並びに小粋なジョークでさらりと流しているらしい。妻椿は果たしてそんなものかなと思いあぐねるが、今は何処かの療養所に移送された黄大樹博士と俺にはきちんと分かるつもりだ。

 遠未来人のハロイ・ゲインによって額に打ち込まれた短針基部の恩恵の閃きか、時間旅行の理論はトレース出来た。コンパクト化された非破壊エントロピー機器は、肉体をコーティングしては経過時間軸を圧縮してジャンプ出来る、時間旅行の基礎理論にもっとも適したものだった。ただ西暦3200年に飛ぼうものなら、どうしても肉体の疲弊を超える。黄大樹博士もいつか気づくだろうが、地域特有の結界領域で使えば、より非破壊的で肉体の負担がかからない筈だ。理論的にはワームホールを使わない同一次元の時間旅行であるから、仮にも他の次元の管理局が存在したとして、干渉は無いと思われるから、切った張ったの抗争劇は皆無だろう。


 そして、この身体の時任兼相の事も妻椿から聞いた。元は文科省の二次団体の職員で生涯学習教育のファイリングをしていたらしいが、多分に漏れずAI処理に押し出され、そこに函館遷都に伴い大量の天下りが厳選し送られ、人事として敢え無くリストラクチャリングされたらしい。故か、俺と同様に家族の絆を維持するべく検体交換に応じたらしい。

 官も民も容赦無いが、函館を新たな首都しては、国際情勢は慎重な牽制措置として成功しているらしいから、紛争に巻き込まれ誰彼問わず死傷するよりは、今となってはベストな判断かと思う。


 そう妻椿が二度目の困難は双方向契約書に書かれていないものの、人道上多くの諸事情に問題ありと、膝を詰めたらしい。双方向契約書にその存在はマスキングされるも、太守国の失態は叡智とはで、理解を持って付帯事項の契約が差し込まれた。先進的離脳手術への貢献度と生涯に渡る完璧なケア手順。何よりはオプションが加味された事で明細が上乗せされ、全借金は返済される見込みだ。際どい口止め料に関しては相手の背後には大国がいる。誰が虎の尾を踏むかで大人の対応で上手く躱して、良好なままに交渉を着陸したそうだ。さすがは元経済産業省の敏腕官僚だ。


 また俺は重い口を開き、大天使の事や遠未来人も切り出した。妻椿は難しい顔をするが、二度目の離脳手術でキャプチャーされた自然発達したには不自然な脳神経のバグらしき画像を、術式説明の際に見せられたらしい。心当たりも何もバグが分かる筈もなく、話の流れでそういう事なのねで、短く区切られた。そのか細い短針基部は特段CTに写ってなそうだから、美樹本先生からは特に切り出されなかったと。何より特別個室はIDと虹彩認証で無断侵入は出来ないらしい。

 まあ大天使ガブリエル曰く現次元での実像化は不可能とも言うし、俺の血を引くかの遠未来人も、深夜登場で姿をそう簡単に晒す程間抜けではないだろう。


 そして日常会話のついは、今更廃都の東京に住めるかだった。函館遷都の舵取りで、週一の輪番停電は週二に増え、電力融通は建設大ラッシュの北海道東北地区に強力に送られているらしい。都心では悲鳴を上げながら、太陽光パネルをスペースがあれば容赦無く設置しているらしいが、輪番停電明けと見るや大量消費が始まり、程なく自己停電が相次ぐらしい。

 何を首都圏に拘るかだが、首都圏に膨大な流通網が張られている以上、それは止まらず、その恩恵につい肖ってしまうのが、今は虚しき都会人の性になる。

 そして妻椿が行きましょうか、俺は行くにしてもパリは観光するべきところと嘆息交じりにの答える。


 そのユーロ・フランス・パリに関しては、強烈な誘いを受けた。検体交換した女子、大脳は世界的ファッションブランド:ラ・プアゾン・モータルの才媛ジェイル・ハシェック、身体はサン・ドニ通りに立つ娼婦アンヌ事混血のアンドリュウ・蘭堂が、ただ陽気に話しかけて来る。

 俺の二度目の離脳手術が成功して無かったらここ迄絶好調では無いからと、意味があるか程に長く美しい足を組み替えては、満面の笑みで問いかける。パリジャンは義理堅いから、憲ちゃんの面倒見るわよと。パリジャンはただスノッブで、義理堅いは佃島界隈で見られる引き締まった顎のラインを持ったクオーターのその身体の性分で、とことん乗っかる軽薄さについて行けないと、誘いの話をいつも半分にしておく。ただ今日は違った。


「私のスカウティングは本気よ。憲ちゃんの職務で得た、アジア人の骨格は、エクサバイト時代のホスティングでも処理出来るかの産物よ。アパレルカラー全部言えるしまず合格。どうにか気鋭の検証オフィサーとしてパリには来て貰うわ。あらやだ、ラ・プアゾン・モータルどんどん儲かっちゃうわよね。はあ、ここよね、アパレルブレンドを一から立ち上げて仕事一辺倒なんて、これ迄の人生って何なのかしらね。名声、称賛、感謝、そして勲章、そんな事に忙殺されて、一度もベッドで心から満喫した事が無かったわ。それがこの何処に所属したがらないアンヌが、マフィアに延々付きまとわれていざ膾切りの現場を、雇用ビジネスの干渉で乗り切った事から、まあ恩義として検体交換はどうなのかしらとそれとなく説くわよね。アンヌも三十路超えて、いつ迄娼婦としてはうんざりしてたから、あと20年位の身体でも、カンヌの分与した邸宅で穏やかで普通の営みが待つなら、帳尻の合う人生よね。そう、アンヌも早くから娼婦をこなしていたから、女性としてもう出来上がってるのよ。この肉体が定期的に乾くから、積極さが電極を通じて、ふとしたセクシャリティで敏感に疼くのよ、心身共にキッチリね。憲ちゃん、椿ちゃん、もうリハビリは十分でしょう。私と一緒に早くパリに戻るわよ」


 いや俺は単純に立つのもしんどく、妻椿の支えが無いとといつもの言い訳に入るところで、ジェイルは付き添いの世話係の手も借りず、勢い良く車椅子から跳ね、ウェイブの長いウィッグも軽やかに付いてきた。その身体は身長178cmで10頭身は有り、股下もヒール無しでやたら映える、貧民街出身でなければ、ランウェイモデルで世界中を飛び回っていた事だろう。いや、アジア人特有顔のオリエンタリズムは一切無く、佃島界隈を歩くさばさばしたややバタくさい美人なので、やはりショウへの積極的なスカウト迄に至らないのは、生まれ持ってのどうしてもの不運だったかもしれない。

 ジェイルは、頬みを絶やさず、長丈のワンピース病院着のボタンを上から一つ一つ丁寧に外して行き、7つ全部を解いた。そして右襟を持っては、下着をつけていない右半分の美しい裸身を晒した。美白と褐色の肌の配分が絶妙で、お客なら5秒で吸い付いた筈だ。ただ現在のジェイルの得た身体は仕草がただたおやかで、逆光が無ければ何時迄も見つめていた筈だ。今日の俺は、何故かいつもの中庭の樹影に隠れるベンチ側にいる事を後悔した。そして柔らかい両手が俺の両目を塞いだ。


「憲ちゃんには、目の毒よ。外国人のポルノは見慣れて無いでしょうから」


 ジェイルは半裸のまま爆笑し、妻椿は今すぐ正しなさいとプンスカだ。

 ただ俺の心境は複雑だ。シチズントータルカードの人物画像処理で得たアジア全域の人物像を見てきたが、心と体が心体相まっての美しさは途方も無い時間が掛かる。この検体交換がいつかの将来で適法になるか知った事では無いが、美的目的に傾倒するならば、このジェイルであっても馴染む迄に軽く10年は掛かると算段する。その時でも、ジェイルは40代に見えるかの女盛りなのだから、ジェイルの幸福とは果たして、ますます老い行く脳の年齢が悦楽の刺激に耐えられるのか、また手に入るものなのだろうか。

 いや、これから適時に進化して行く新時代は、俺達がキッチリ作れば良い事だ。何せ未来は果てしなく長い。隣の天体にいつか辿り着けるなんて言っても、一人で信じてくれれば、いやガブリエルは信じた、椿も信じた。もう始まってるじゃないか。

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逆光の樹影、ガラスのリノウ 判家悠久 @hanke-yuukyu

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