第3話 同体

 絶え間なく流されている炎症鎮痛薬が効いているかでは無く、この検体交換した、素粒子物理学の権威黄大樹博士の身体の疼痛に俺が慣れてきただけだった。妻椿の手を借りて、離脳手術後の全身を姿見を見せて貰ったが、ファンシーな俺では無く、それは正しく他人の黄大樹だった。何かの映像技術の差し替えかと思ったが、脳神経の接続は確かに大成功してか、挙動の全てが思った通りに身体がトレースして、俺はどうしても新しい俺になっていた。

 いや、果たしてその見かねた姿は、肌は赤く爛れ、臓器の全てが熱い。一体何をどうしたらこの有様になるのかと、本能の悔し涙が出ては、無菌室で防菌服の妻椿も泣き腫らす。


 ブラストラン合同療養所総帥劉再縁は、流石にこの酷い有様を見かねたか労いと説明に入る。これは検体提供者の記憶が奇跡的に引き継がれるかの確認も有りきで、ギリギリの線で問い掛けてくれた。そして、そもそもの俺達の検体交換は、この重篤状態から解放する為の止む得ない支援で、この根気にいる投薬完治は確かに残された方法で、見立てであと2年は掛かかろうかだと。俺のそれではの表情が浮んだのか、察されてこの2年間こそが、大陸が世界の平和的牽引役になれるのかのそれだ。検証している時間飛躍機が完成すれば、紛争に次ぐ紛争が如何に愚かの未来を示せるかだ。未来の出来事の事実改正をすれば、次元の歪みを生むかになったが、大義の前では、仮に無限に連なる平行次元が一つ位増えても何ら問題無いと、大陸の幹部らしき言葉で締められる。


 病床2年かは、そのまま炎症でさいなまされるのでうんざりはする。そして一概に言われる、検体提供者の記憶が夢うつつに来るかと思ったが、それは一向に来なかった。疲れ果てると、どうしてもそこ迄辿り着けないものかと、不思議な安堵に包まれた。俺は普通の凡人、大天使ガブリエルが見えたのも、それは妻椿の必死の今生への引き戻しが具現化したと、ややそういう事だと結論づけた。 


 そして検体交換約1ヶ月で容体が急変した。身体中が沸騰する、特に腎臓が厄介で、そこからの尿管の流れがどうしても熱過ぎて激痛しかなかった。炎症鎮痛薬は最大限を超えて投薬され、医療モルヒネも投薬されて、やっと俺は落ち着き気を失う事が出来た。

 そして、半ばの意識が戻りまた沈む中で、真夜中の人影が無菌室に入室した。特別個室は面会謝絶の筈だが、月明かりに見える、ライン入りの襟立てグレースーツに、アルカイックスマイルの東洋人が俺の顔側までに覗き込む。その男はただ物騒な事を切り出した。


「初めまして、来栖憲次郎さん。私は、こう言う時は名刺を渡すものですが、記念品として現在の大陸側に徴収されては厄介なので控えます。私は遠未来人のハロイ・ゲイン。東洋人の姓名では無いのは、世界が上手く調和しているとお察し下さい。初めから申しますと、黄大樹は時間旅行を非破壊エントロピー機器のコンパクトに成功し、過去ではなく、敢えて未来に解を求めた結果、3200年代迄到達して、時間旅行に基礎を翻訳し、またこの時代に帰ってきた。本来であれば秘密時間管理局が処罰を下すべきなのですが、今後1000年は大陸のシステムがベースになっているのでお咎めなしの判断です。家族に甘いのはここは地域柄故とお目溢し下さい。そうここまではお目溢しの範疇ですが、黄大樹あれだけ止めろと言ったのに跳躍するから全身裂傷を起こして、来栖憲次郎さんのこのお姿です。ただ理不尽と同情を禁じえません。そして、この悲惨な状況も改善すべきと、先の院から私が派遣されました。先ずは遠未来機密の短針基部5個を四肢から抜きます。その代わりに新たな短針基部を一つ直接お渡ししましょう」

 ハロイ・ゲインは勝手知ったる如く、身体に埋め込まれた短針基部5個をスっと的確に抜き出した。そして、そして新たに額に1本、短針基部が吸い込まれると、俺の熱が忽ち引き、荒れ痺れ果てていた舌の痺れが引き、自ら驚く程に流暢にこうと。

「ハロイ・ゲイン、俺は博士じゃないのに、何故助ける」 

「決してお気になさらず。私も来栖一族の末裔だからこそ助けます。あなた達の遺伝子レベルでの認識才能は特Aで、恒星間旅行でも辛抱強く隣の天体に無事に辿り着いています。基幹星地球ではただ賞賛しか有りません。栄えある来栖一族ならば、御先祖をお助けするのは、ただ忠しか有りません。大国の温情はこういうところに、非常に涙脆いものでしてね。そう、この後手数は増えますが、然るべき措置に移行する筈です。今度こそ来栖憲次郎さんを解放させて頂きます。それでは暫し、お眠り下さい」

 俺の瞼は、ハロイ・ゲインの手でゆっくり降ろされて、そのまま、懐かしきいつかの深淵迄の辿り着いた。


 ただそこは、西表島らしきのマングローブでは無く、俺の特別個室だった。無菌室のシートが張られているのに、今はそんなの御構い無しに、ブラストラン合同療養所の夜勤職員が雪崩れ込み、遅れて着の身着のままの担当医の美樹本公一先生が檄を飛ばす。兎に角致死量ギリギリの投薬だ、大裂傷の胸を開いて心臓ショックを与えても縫合出来ないから、処置は慎重にだった。不意に生命維持装置の心拍波形が一直線になり、聞きたく無い長いサイン波が病室に漏れ響いた。

 俺は不意に袖を引かれ、翼を降ろした幼すぎる妻椿に引かれた。いやそれは妻椿の幻影では無く、いつかの大天使ガブリエルの仮の姿だった。


 そして、一瞬にしては長い暗闇の中で入り、時を過ごした。


 暗がりから出たのは、とても普通の手術室では無い、モニターの山に、両手マジックアーム2式が左右に並んだ、近未来の手術室だった。そしてその手術台には誰かの身体の陰影が浮かび、側には羊水に満たされたガラスの試験管に入った大脳があった。瞬時にこれは俺の大脳だと察した。大脳は電極とアダプターを通じて、各種モニターに表示される。その何れもが妻椿の幾つもの姿で、あれここ迄可憐だったかが過ったが、俺の思考の愛情プロセスでこうも美しくなるものかと、ただ唸った。

 そして大天使ガブリエルは皆に見えない事を良い事に、俄然妻椿の姿に釘付けになった。その影響なのか、大天使ガブリエルの様相は、ゆっくりと理想の妻椿の乙女になっていた。そして。


「憲次郎、あなたって野良悪魔に囲まれやすいのね。分かってる、これ事実上死んだのよ。ただ存在理由としては生きていると言う、何か微妙よね。それがこれ、こんなの滅多に見れないから見ておきなさい」 

「この慌ただしさ、まさか、このまま生きるのか」

「そう、離脳手術で、成功確率は120%でしょうね。本当堪え性だけは段違いよね。それは子孫も隣の天体に辿り着けるものよ」

「また誰かとして生き返るとしても、それでもアイデンティティはあるのか」

「はいはい、ありふれた哲学者さん。何より生きていれば良いことあるわよ」

「いや、ここで人生のマジックで、他人に手札切られる俺って。いっそ天国の方が楽そうだけど」

「それは無いわね、自らの人生も歩みもせず、きっと後悔するから。そもそも椿さんどうするの」 

「いや、それは、大天使ガブリエルがいるから、このままでも良いよ」

「はあー、そうじゃ無いでしょう。そりゃあ、機会があれば12度目の結婚はしてみたいけど、何かそれ違うかなって。それでは、恐らくこれが別れになりそう。また出会っても仲良しでいましょうね」


 大天使ガブリエルは、俺の額を小突き押し込み、ゆっくり近未来的な手術室に仰向けに倒れながら、深く過った。椿が待ってるのに、何を大天使ガブリエルに遠回しに告白してるんだ。俺はそう言う人気女子がそう好きだが、そもそも性別不明の思念体とこの先どう一緒になりたいだ。阿保ってこう言う事かと。このまま着地バウンドする筈が、深い奈落に落ちる。何処まで落ちるんだ、体感的には3G、空気抵抗で浮く筈がそれも来ない、流石現在魂の存在だけはある。

 

 そして視界が伸びる様に開く、覚醒だった。いつもの特別個室も、今では電子音が尋常では無く鳴り響く。そう身体は軽いが、ただ軋む。疼痛が伴って無いのは幸いなのか。さっきの深淵で見た情景ならば、検体交換、離脳手術は2度目も成功かだった。

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