04 雨の朝

 ぱたん。ぽとん。

 どこからか、水が滴る音がする。

 また風呂場のシャワーが漏れているのかな、この間大家さんに泣きついて直してもらったばかりだというのに――などとぼんやり考えたところで、ここが普段暮らしているボロアパートではないことを思い出した。

 はっと体を起こし、辺りを見回す。

 寝台と書き物机、それに年代物のクローゼットが置かれた、シンプルな客間。

 寝る前にしめ忘れたカーテンの隙間からは、どんよりと曇った空が覗いている。

 のそのそと寝台から降りて窓を開ければ、空から無数の雨粒が滴り落ちていた。

 窓を濡らす水滴に、昨夜の記憶が呼び起こされる。

「そうだった……」

 ここは《黄昏の街》にある父の家だ。

 無人だと思っていた家には正体不明の幽霊が住み着いていて、そして父のために涙を零してくれたのだ。


 彼が泣き出してしまって、なんと声を掛けていいか分からず立ち尽くしていた俺に、彼は目をゴシゴシこすると、わざとらしく明るい声を上げた。

「君はしばらくここにいるんでしょう? じゃあ、家の中を案内するよ」

 そうして始まった、幽霊による深夜のガイドツアー。

 一階は玄関とリビング、そしてキッチンと風呂、トイレ。

 階段を上がった二階には主寝室と書斎、そして客間が二つ。

「家の裏に物置小屋もあるけれど、そこは外から回らないと入れないんだ」

「あとねえ、キッチンの床に地下室への入口があるんだよ。前の持ち主が入口を塞いじゃったらしくて、入れなくなってるんだけどね」

「裏庭に小さな温室もあるよ。ショウが昔、蘭を育ててた」

 ひとしきり説明をしたあと、白い少年は二階の角部屋、客室の一つに案内してくれた。

「君の部屋はここね。こっちは角部屋で日当たりがいいから、きっと気に入るよ」

 バーの店主もそのつもりで整えてくれていたのだろう。客間は掃除がきちんと行き届いていて、布団もシーツも新しい物に替えられていた。

「それじゃあお休み」

 そういって部屋を出て行こうとする幽霊に、思わず待ったをかける。

「あの!」

「ん? なあに?」

「えっと……君のことは、何と呼べばいい?」

 例えこれが夢なのだとしても、いつまでも「ねえ」とか「君」とか呼びかけるのは、どうにも気が引ける。

「なんでもいいよ。ボク、自分の名前を覚えてないんだ」

 あっけらかんと答えた幽霊は、ああでも、と懐かしそうに笑う。

「ショウは『シロ』って呼んでた。髪も服も白いからって。ふふ、安直だよね」

 我が親ながら、呆れたネーミングセンスだ。

「でも「何でもいい」って言った手前、嫌だとは言えなくてさ。なんかもうそれで慣れちゃって。だから、呼びたいならシロでいいよ」

「分かった、シロ。君は……どこで寝るの」

「幽霊だから眠らないよ。朝になったら見えなくなっちゃうから、お話はまた明日の夜にね。お休み、ユウ」

 ぱたぱたと手を振って扉の向こうに消えていったシロを見送り、もうそこで体力の限界を感じて、寝間着に着替える暇もなく寝台に寝転んだところまでしか記憶にない。


 気づけば朝を迎えていて、降りしきる雨はしばらく止む様子もない。

 ひとまず階段を降り、しんと静まりかえったリビングを横切ってキッチンへ向かう。

 これも店主の計らいだろうか、キッチンの戸棚にはビスケットや珈琲、紅茶といった日持ちする食料が並んでいた。

 慣れないキッチンに手こずりながら何とかお湯を沸かし、マグカップに紅茶のティーバッグを放り込む。

 戸棚にはサイフォンやコーヒーミルなどもあったが、生憎と使い方が分からない。食器棚にはティーセットやコーヒーカップなどが何種類もきれいに収められていて、まるで喫茶店のようだ。一方で鍋や皿、調味料などは必要最小限しか揃っておらず、父があまり料理好きでなかったことが見て取れた。

「……そんなところ、似なくてもいいのに」

 思わずぼやきつつ、インスタントティーとビスケット、それに昨日汽車の中で食べ損ねたリンゴで軽い朝食を済ませる。

 使った食器をすべて洗い終えた頃には、窓の外が明るくなってきた。

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