新天地 四
この世界、少なくとも自身が辿り着いた町における銀行の貯蓄とは、元の世界における貸し金庫のようなシステムであった。一定の利用料を支払うことで、堅牢な銀行施設のいち区画に、専用の金庫を借り受けることができるそうだ。
契約したのは同行で最も小さな金庫。大きさはティッシュペーパーの箱ほど。それでも日割りで銅貨三枚、一ヶ月あたり銀貨一枚。つまり毎月一万円ほどの使用料が求められるとのこと。これは結構な額ではなかろうか。
当然、銅貨を入れていたら赤字だ。
金庫の中に入れるのは、高額貨幣や貴金属が主となる。
町に滞在している間は、貸し金庫に直接貨幣を出し入れする。そして、町から町へ移動する際は、預け入れた貨幣を証書に改めて、これを携えるのだとか。そうすることで、他所の町の店舗でもお金が引き出せるとのこと。
為替手形に相当するシステムが、こちらの世界にも存在しているようだ。また、そうして発行された証書を利用した信用取引や、預け入れた金銭の運用など、他にも色々な仕事を担っているらしい。
「しかし、ザックさんが人を連れてくるとは珍しいですな」
「このお姉さんは、かなりデキるよ。副店長も仲良くしておくべきだ」
「なるほど?」
今居るのは銀行の応接室と思しきお部屋。
そこでザックと呼ばれたイケメンの商人と共に、銀行の副店長だという男性と向かい合っている。室内には根の張りそうな調度品が随所に並べられており、高級感漂う雰囲気に圧倒されまくり。腰を落ち着けたソファーもフカフカで心地いい。
先方は見たところ四十代後半くらい。スーツのようなパリっとした服装をしている。見事なM字ハゲの人物で、堀の深い顔立ちをしている。その顔に浮かんだ笑みは人懐っこいもので、人柄が良さそうに映る。
ところでイケメン商人の名前、今日初めて聞いたよ。
「あのぉ、ザックさん。自分はそれほど大したものでは……」
「この人は毎日、傷一つ負わずにホワイトベアを狩ってくるんだ」
「たしかにそれは驚きですな」
おっと、予期せずチヤホヤされている予感。
こっちの世界に来てよかった。
こんなに直球でチヤホヤされたの何年ぶりだろう。
しかも手に職を持った大人からとあっては、かなり良い気分である。相手の社会的立場が高ければ高いほど、チヤホヤされたときの喜びも大きなものになる。銀行の副店長とか、きっと相当なものだろう。
おかげでザック氏の交友関係が謎だ。
どうして露天商が銀行の偉い人と知り合いなのか。
「人は見かけによらないとは、普段から意識して過ごしているのですが、いやはや、なかなか驚きましたよ。もしよろしければ、お名前を伺ってもよろしいですかな? 私はこの銀行で副店長を勤める、ミレニアムと申します」
「ど、どうも。吉田と申します」
「ヨシダさんですか。なかなか珍しいお名前ですな」
「あ、はい、よく言われます……」
「小さな店舗ではありますが、今後ともご贔屓にして頂けたらと」
「あ、どうぞこちらこそ、よろしくお願いします」
何か喋ろうとする直前、あ、って言ってしまう癖を治したい。
なんだろうね、この謎の条件反射は。
「それとあの、こちらの銀行はとても立派な建物だと思いますが……」
「いえいえ、滅相もない。他の支部や本店と比べたら、こちらの銀行はまだまだ小さな方ですよ。仕組みも旧来のものが多いです。ただ、おかげで私のような平民であっても、副店長などという偉そうな立場を任せて頂いております」
「そうなんですか」
もしかしたら自身が考える以上に、こちらの世界は文化文明が進んでいるのかも知れない。剣と魔法のファンタジーだと侮っていたら、あとで痛い目を見るかも。勉強とか大嫌いだけれど、一度ちゃんと学ぶべきかも。
「首都に所在する本店は凄まじいですよ。一度は見ておいて損はないですね」
「いつか機会があったら、足を運んでみたいと思います」
「ええ、是非そうして下さい」
そんなこんなで銀行でのやり取りは過ぎていった。
概ね好意的に受け入れてもらえたと思われる。
ただ、ザック氏の立ち位置については、確認することができなかった。どういったバックグラウンドを持っているのか、その確認は追々行っていこうと思う。急いで確認する理由もない。もう少し仲良くなってからでも遅くはないだろう。
◇ ◆ ◇
翌日以降、日々はクマを狩る生活に戻っていった。
朝起きて、顔を洗ったり何をしたりと身だしなみを整える。宿屋の一階フロアで朝食を取ってから、山岳部まで飛行魔法で移動。上空からクマを探し出して、同じく飛行魔法の上げ下げにより討伐。
遺体を回収して、昼過ぎにはザック氏の露天で換金。
そんな感じだ。
毎日がイージー。
イージーだからこそ、ついつい浸かってしまう。
向上心を忘れてしまう。
若返りの方法を求めるという目的意識も薄らいできた。
結果として本日もまた、少し遅めの昼食など取りながら、午後はどうやって暇を潰そうかと頭を悩ませている。主な暇つぶしは飲食店の開拓。宿屋の周りは割と回ってしまったし、今後は少し遠出をしてもいいかも知れない。
などと考えたところで、ふと通行人にぶつかってしまった。
「ぎゃっ……」
相手は十代中頃ほどの女の子だった。
それなりに重量のあるオバちゃんだから、衝突に際しては少しばかり衝撃を感じた程度である。お腹のお肉が大きくプルルンと震えるのを感じた。一方で相手は見事に倒れて、路上に尻餅をついてしまった。
「あ、すみません。大丈夫?」
相手に向かい一歩を踏み出すと共に、片手を差し出す。
パッと見たところ、子供のホームレスって感じ。ボロボロのローブで全身を包んでおり、そこから覗く手首や足首の肌には、垢の積もる様子が窺える。フードの合間に垣間見えた髪の毛もボサボサだ。
「……ありがとうございます」
「いえいえ」
彼女はこちらの手を取り、すっくと立ち上がった。
応じて鼻先に悪臭が漂う。
その匂いは世界を隔てても、決して変わることのないものであった。
「……それじゃあ、私、い、急いでおりますので」
「え? あ、はい」
こちらが相手の具合を窺っていると、少女はすぐさまに駆け出した。短く一言を交わした限りである。パタパタとオバちゃんの脇を背後に向かい過ぎていった。出会い頭にジロジロと見すぎたかも知れない。
「…………」
この世界にもホームレスはいるようだ。
いや、こういう世界観だからこそ、決して少なくない数が存在しているのだろう。碌に社会保障も望めない生活環境であることは、町で僅かばかり過ごしただけであっても、なんとなく想像がつく。
おかげで自ずと、その背中に自身の姿が重なった。飛行魔法がなければ、自分もまた彼女と同じ立場に身を落としていたことだろう。そのように考えると、自然と脳裏に浮かんでくる事柄があった。
神様からの指示だ。
「…………」
クマ狩りの舞台となる山岳部を超えて、その更に先にある森。同所に建った石像に信仰を集めてくれとのお達しだった。しかし、思い起こせば自分はこれといって何もアクションを起こしていない。
こうして楽勝モードでクマを狩れるのは、ひとえに神様のおかげだ。神様からもらった飛行魔法あってこその行いである。もしも仕事の進捗が悪くて、これを取り上げられたらどうしよう。
そんな思いが少しばかり胸のうちに焦りを生んだ。
「……ちょっと様子とか見に行くか」
墓参りじゃあないけれど、石像の掃除くらいはしておこう。
後々で心象が良くなったりするかも知れない。
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