新天地 五

 町を発ったオバちゃんは、草原を越えて、丘を越えて、山岳部を越えて、更にその先にある森までやって来た。改めて意識しつつ飛んでみると、結構な距離である。飛行魔法がなければ、どれくらい時間が掛かるか分からない。


 っていうか、飛行魔法があってもそれなりに時間を要する。


 そんなこんなで訪れた先には神様の石像。


 以前眺めた際と変わらずに鎮座する姿があった。


「……神様、いつになったら戻るんだろうな」


 せめて期日くらいは教えて欲しい。


 こっちにも予定とか、計画とか、そういうのがあるのだから。


 いや、無いかもだけど。


「…………」


 いつまでも眺めていても仕方がない。


 町で購入してきた掃除道具一式を利用して、石像の掃除を始める。近場に川が流れていたので、水はそちらで桶に汲んできた。傍から見たら、完全に墓参りだ。帰りがけに供えていこうと、花とか持ってきたのが影響している。


 表面に纏わり付いている蔦を取ったり、土埃を払ったり。


 三十分ほど格闘すると、神様の石像は綺麗になった。


「……ふぅ」


 シャツの袖で額の汗を拭って人心地である。


 女体化した影響か、体臭が変わった感じがして変な気分。


 まるで他人の汗の匂いを嗅いでいるような。


 いやまあ、気にしても仕方がないことだ。


 さっさと石像に花をお供えして、町に戻るとしよう。今晩の夕食は前々から気になっていた肉料理屋にしようかな。ウィンナーのような腸詰め料理が絶品とのことで、話を耳にした昨晩から、ずっと気になっていた。


 手早く帰宅の用意を整える。


 そうした最中のこと、不意に後方から声を掛けられた。


「そこの女、こんなところで何をやっているっ!」


「はい?」


 振り返るとそこには、手に剣や杖を携えて武装した一団が立っていた。


 数は四名。


 男性二名、女性二名のパーティーだ。


 いずれも十代から二十代前半と思しき若者たちである。顔立ちは男女ともにイケイケで、肉体美にも恵まれた美男美女のグループだ。男女が同数ということは、きっとそういうことなのだろう。


 アラサーの自分にはあまりにも眩しい光景だ。


「あの石像、もしかして女神様のお告げにあったやつじゃないかしら?」「たしかに女神様のお言葉に相違ない造形だ」「そうなると、あの者は何をしていたのだ?」「こんなところまでわざわざ足を運ぶなんて普通じゃないわよ!」「まさか、邪神を信仰する異教徒か?」「なるほど、邪神官なのね」「そういうことなら話は早いわ!」


 しかも、なんとも物騒な会話が聞こえてくる。


 邪神だそうな。


 異教徒だそうな。


 神様、めっちゃ悪く言われてしまっている。


「あ、あの、こちらは……」


「動くなっ!」


 両手を上げて無害をアピろうとした瞬間、吠えられた。


 一団の先頭に立った男性からだ。


 他一名も含めて、野郎二名は剣を構えている。


 女性も杖とかメイスとか、各々得物を手にして臨戦態勢。


 マジかよ。


 ここ半月ほどイージーだった人生が、がらっとハードモードの予感。


 こちとらパッと眺めた感じ、トイレ清掃のオバちゃんさながらなのに、フル武装の御一行から狙われてしまっている。おかげで絵面的にかなり間抜けだ。もう少し侮ってくれてもいいのではなかろうか。


 こういうときはオスの心を捨てて、存分にメスっぷりをアピールである。


「な、なんでしょうか、わたしは、わたしはそのっ……」


「ここでなにをしているっ!」


「掃除です、そ、掃除をしておりますっ!」


「そんなの見れば分かる!」


「っ……」


 だったら聞くなよ、なんだか無性に悲しい気分だよ。


 むしろこちらこそ、皆さんは何をしているのかとお尋ねしたい。


「その邪神像をどうするつもりだ。まさか、信仰しているのか?」


「…………」


 お返事的にはイエスなのだけれど、素直にお伝えしたら、どんな解答が返ってくるか分かったものじゃない。神様ってば、邪神ってどういうことだよ。まるでネズミ講にでも引っかかった気分である。


 石像の正面に供えられた真新しいお花が、すべてを物語っておりますね。


「あ、いえ、これはその……」


「…………」


 イケイケの一団は、正義は我にありと言わんばかりの眼差しで、こちらを見つめている。少しでも妙な動きをしたら、容赦はしないんだぜ、と訴えんばかりの面持ちだ。おかげでオバちゃんは碌に身動きを取ることもできない。


「白状しろ。貴様は何者だ?」


「あ、それは、その……」


 そもそも自分は何者なのだろう。


 一方的に連れられてやって来たけれど、改めて考えると、こういった場面で適切な回答が思い浮かばない。強いて言えば、神様の教徒的なポジにあるのだけれど、思い起こすと崇めるべき相手の名前すら確認していなかった。


 名前も知らない神様を信仰させるって、今更ながら難易度高いよな。そうだ、もしも進捗の悪さを指摘されることがあったら、その辺りを理由に言い訳を並べるとしよう。きっと納得してもらえるはずだ。


 いやでも、今はそれ以前にこの場を脱しなければ。


「あの、じ、自分は隣の大陸から来た移民の……」


 咄嗟に漏れたのは、町の露天商ザック氏と交わした会話の一抹。


 全力でアジアンな外見を偽るための嘘である。


「……隣の大陸の民が、このような場所で何をしている?」


「いえ、だ、だからその……」


 なんかもう面倒臭い。


 全てを放り出して、この場から逃げ出したくなる。


 だってこちとら、コミュ力が低いのだ。見ず知らずのいきり立った相手を宥めながら会話だとか、そんなの無理である。そういうのは営業の仕事だ。客先に出向くのが嫌で嫌で転職を繰り返していた人間からすれば、無理ゲーにも程がある。


 いいや、もう逃げちゃえ。


「あ、その、失礼します」


 オバちゃんは逃げることに決めた。


 もう全部知らない。


 さようなら。


 飛行魔法を行使して、身体を空に舞い上がらせる。


 神様の石像を持っていくことも忘れてはならない。


 飛行魔法でひょいと持ち上げて、そのまま一緒に空へと飛び立つ。


「っ……ま、待てっ!」


「さようならぁあああああああああ!」


 声も大きく吠えて、そのまま同所から脱出である。


 後は野となれ山となれだ。


 急加速に腹の肉を揺らしながら、我が身は空を飛んでいった。




◇ ◆ ◇




 結論から言うと、森で出会った一団は大物であった。


 しばらくしてから、自身がホームとする町を彼ら彼女らが訪れた。これを迎え入れる町の人々は、誰もが満面の笑みを浮かべて、ようこそ勇者様、ブナトットの町へ、などと声高らかに語って見せる。


 おかげで肩身が狭いったらない。彼らは町中を多数の町民たちにチヤホヤされながら悠然と歩く。その姿を尻目に、こちらは宿屋でガクガクブルブルと震えながら、外出もままならない日々を過ごしている。


「…………」


 どうしよう、このままだとヤバイ気がする。


 社会的に死んでしまう気がする。


 危機感の迫る状況が、日に日にメンタルを苛む。


 部屋の隅に鎮座する神様の像が、これでもかとオバちゃんの犯行を物語る。万が一にも室内に踏み込まれたのなら、一発でバレてしまうぞ。しかしそうかと言って、そこいらに捨てる訳にもいかない。


 この中には神様が宿っているぽいし、壊されてしまったら大変だ。


「……他所の町に引っ越すか」


 いやいや、それでは根本的な解決には至らない。


 こちらは顔を見られている。他所の町に移ったところで、噂一つで破滅はどこまでも我が身を追い掛けてくることだろう。なんたってこちらの世界の人たちは皆肌が白いし、顔立ちが濃いのである。


 当然ながら、黄色い肌はとても目立つ。


 絶対に一発で特定されて、地域住民から血祭りにあげられるのが目に見えている。


「…………」


 どうにかして外見を、外見を取り繕わねばならない。


 だが、白くなるのは限界がある。


 そうなると、黒くなる他に選択肢はない。


 やはり、サロンだろうか


 日焼けサロンで、こんがり焼くしかないのだろうか。


 更にギャルメイクなどして、別人を演出するしか。


「……駄目だ」


 碌な案が浮かんでこないぞ。


 こまったな。


「勇者様だ! 本物の勇者様だっ!」「握手してもらえませんか?」「俺、勇者様に憧れてるんです!」「賢者様、素敵です! こっちを向いて下さいませんか!?」「お願いです、剣士様。どうか稽古を付けて頂きたいのですが」「聖女様、あぁ、聖女様っ! なんて神々しいのでしょう!」「聖女様、どうか拝ませて下さい」


 そうこうしていると、窓の外から賑やかな声が聞こえてきた。締め切ったカーテンの向こう側で、町の人たちが騒いでいるようだ。他に音のない静かな室内、自ずと意識が向かったところで、窓枠とカーテンの隙間から外の様子を窺う。


 すると、宿屋に面した通りを見知った人たちが歩いていた。


 勇者様ご一行である。リーダーである勇者様を筆頭として、残る三名のパーティーメンバーの姿もある。戦士と呼ばれているのが二十歳前後の男性。残る二名は賢者様、聖女様と呼ばれており、共に十代と思しき女性たち。


「勇者様とパーティーの方々、もしよかったらうちの料理、食べていってくれませんかね?」「そういうことなら、うちの串焼きもいかがですかね? これがまた絶品なんですわ」「この菓子なんですが、町の名物でして、土産にお一ついかがですか?」「これうちの店の銘の入った手ぬぐいなんですが、使ってやってはくれませんかね?」


 めっちゃチヤホヤされている。


 これでもかとチヤホヤされている。


 なんて羨ましいのだろう。


「…………」


 一方で自分の惨めさはどうしたものか。


 宿屋の部屋に引きこもり、ガクガクブルブルと震えるばかりである。別に何も悪いこととかしていないのに、どうしてこうなってしまったのか。唯一の楽しみであった食べ歩きも、ここ数日は碌にできていない。おかげで少しお腹の肉が減った気がする。


 自分だって、チヤホヤされたい。


 老若男女から格好いい肩書で呼ばれて、笑顔で手を振られたい。


 多めに作ってしまった料理とか、おすそ分けされてみたい。


「……やるか」


 楽しそうに笑みを浮かべる勇者様たち。


 その姿を宿屋の窓から盗み眺めて、オバちゃんの覚悟は決まった。


 神様から受けた依頼、この機会に真面目に取り組んでみようではないか。

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