新天地 二

 神様の言葉通り、オバちゃんボディーは空を飛んだ。


 頼む、飛んでくれ、と念じたところ、ふわっと浮かび上がって、みるみるうちに高度を上げていった。右に行って欲しいと思えば右に行くし、左に行って欲しいと思えば左に行く。周囲の木々を超えて、青空のもとを自由自在に飛び回ることができた。


 最高の気分だった。


 おかげで自然と激しく飛び回り、気づけばゲロを吐いていた。


 めっちゃ酔った。


 自分が酔い易いのを忘れていた。


 当面は安全運転でいこうと心に決めた。


 ただ、そうして無茶をしたおかげで、向かうべき先が判明した。


 森を抜けた先に山があり、山を越えた先に丘があり、丘を超えた先に草原があり、草原を横断して流れる川と、川に寄り添うように作られた町を見つけたのだ。規模はそれなりのもので、町の周りには背の高い壁がぐるっと設けられていた。


 酔いが落ち着くのを待ってから、改めて町まで移動した。


 ふわふわと空を漂うタンポポの綿毛のように、青空の下をゆっくりと飛ぶことしばらく。森を越えて、山を越えて、丘を越えて。町にほど近い場所まで、じっくりと時間を掛けての空中散歩である。


「……っていうか、普通に入れるのかどうか」


 城壁に設けられた門が確認できる位置までやってきた。


 日本国内であれば、町から町へと移るに当たって出現するのは、何とか市へようこそ、みたいな立て看板が精々である。これといって誰に邪魔されることもなく、幾らでも出たり入ったりできる。


 一方でこちらは物々しい雰囲気だ。


 出入り口には鎧で身を固めた兵士っぽいのが多数立っている。


 手には槍。


 めっちゃ怖い。


 そんな方々が、町に入ろうと列をなした面々を、一人一人チェックしている。確認を受けている人の中には、兵隊さんから叱られて、追い返されてしまった方もいた。お前は入れてやらない、早くあっちに行け、みたいなの。


「…………」


 よくよく観察していると、人々は町に入るのに際して、なにやら金銭のをやり取りしている。これはもしかしなくても、入場料とか必要なタイプの町だったりするようだ。しかしそうなると、こちらのオバちゃんは危うい。


 なんせ無一文だ。


「……ヤバイな」


 きっと人頭税的な銭を求められるのだろう。


 なんて面倒くさいんだ、異世界ファンタジー。


 完全アウェイな環境も手伝い、既に挫けそうである。


 町に入らなければ文化文明の恩恵は受けられない。食事や寝床を手に入れることも難しい。便利な家電製品に囲まれて、ビニール袋でパックされた食品を口にしながら育った身の上を思えば、現地貨幣のゲットは最優先事項である。


 これで我が身が可愛らしい美少女であったのなら楽勝だった。初歩にして最強の錬金術、売春が威力を発揮する。近代パパ活ガールたちの間で流行している技だ。当然、腹の出たオバちゃんボディーに需要はないだろう。


 っていうか、町へ入る為だけに、男のモノを咥えるのは抵抗がある。


「…………」


 こうなると残された手段は現地調達である。


 門の外側、町の外壁に沿って露天のようなものが幾つも見て取れる。そこでは商人っぽい雰囲気の人たちが、行き交う人々と金銭をやり取りする様子が確認できた。主にお客が露天に商品を持ち込んでいる。


 また、そちらで取り引きをした人々の幾割かは、同所で得た貨幣を手に入場の列に並んでいく。つまり手持ちの品を質屋で売り払い、そのお金を消費して町に入る、みたいなメソッドがシティーのイシューに対してコンセンサスを受けているのだろう。


「なるほど」


 そうなると、こちらのオバちゃんにも可能性が湧いてきた。


 ネトゲみたいな感じで野生生物を倒して素材を収集、これを持ち込むことで町に入ることができるかもしれない。要はホームレスの空き缶集めみたいなものだ。全力で一次産業な感じが、元デスクワーカー的に考えて身にしみる。


 ただ、それと同時に少しだけドキドキワクワク。


 だってネトゲ大好き。


 最近はソシャゲとかFPSばっかり流行してくれちゃって、新作も碌にリリースされなくなったネトゲ業界。そんな業界でもやっぱり大好きだ。ファンタジーの世界でまったりしつつ、プレイ時間にモノを言わせたステータスと装備で新規にチヤホヤされる。


 これが最高だった。


 月額課金オンリーという、今は失われし聖地が愛しい。


 あれこそが自身の生きる場所だったと、昨今では強く思える。


「行くか……」


 まだ見ぬ獲物を求めて、歩みは山岳地帯に向かった。




◇ ◆ ◇




 空を飛んで場所を移動することしばし、獲物はすぐに見つかった。


 岩肌も険しく聳え立つ山脈は峰の一角、そこに道なき道を行くクマっぽい生き物。本日の食卓を求めてのことだろう。頭上を飛んだオバちゃんの身体を熱っぽい眼差しで見つめて、ガルルルルと喉を鳴らしている。


 身の丈は二メートルから三メートルほどと思われる。


 ネットで眺めた大型のヒグマよりも更に大きい。


 毛並みは真っ白で、これがまた神々しいまでの艶やかさを誇る。


 おかげでそれはもう驚いたよ。


 今でこそ空に浮かんで、一方的に上から下に見下げている。だからこそ、落ち着いて相手の様子を窺っていられる。これがもしも地上でバッタリと遭遇したのなら、全力で逃げ出していたことだろう。


 というよりも、つい先程まで地表に近い位置を飛んでいたところ、数メートルほどを飛び上がった相手に強襲された次第である。爪が顔面を掠って肝が冷えた。二、三センチほどズレていたのなら、顔の肉を削がれていたことだろう。


「いくらなんでもヤバいだろ、ここの生態系は……」


 こんなのに襲われたら、一撃で殺されてしまう。


 北海道のヒグマも真っ青である。


 両手に生えた強靭な爪は、遠目にもありありと窺える。軽く一振りされただけで、顔の肉はおろか、その先に構えた頭蓋骨までをも砕かれてしまうのではないか。そう予感させるだけの代物だ。


「……他を当たるか」


 流石にこれは駄目だ。


 そのように判断して、空に浮いた姿勢のまま踵を返す。


 ただ、直後にふと閃いた。


「…………」


 もしかしたら、なんとかなるかもしれない。


 そんな思いだ。


 思い立ったが吉日、オバちゃんはチャレンジすることにした。


「い、いくわよぉ!」


 数十メートルを隔てて地上を徘徊する白いクマ。


 その肉体を対象に捉えて、自身が浮かんでいるのと同様、飛行魔法を行使する。より具体的にご説明させて頂くと、浮け、浮け、空高く浮き上がれ、と念じてみた。それはもう執拗に両手を突き出しての行いである。


 するとこちらの思いが通じたのか、クマの巨体が浮かび上がり始めた。


『ぐぉぉおおおおおおっ!?』


 戸惑うような鳴き声がクマから漏れる。


 同時にバタバタと激しく両手両足を動かし始める。まるで目に見えない水に飲まれて、溺れ慌てているようだ。オバちゃんはこれに構わず、対象を上に上にと上昇させていく。高みへと誘ってゆく。


 当然、対象はこちらに向かって、声も大きく吠える。


 テメェ何するんだよ、と訴えんばかりの咆哮である。


『ぐぉおおおおおおおおおっ!』


 思わず怯みそうになる。おしっこを漏らしそうになる。


 っていうか、少し漏れた。


 きっと女体化した影響で、膀胱が緩んでしまったのだろう。


 そういうことにしておく。


 大きく開かれた口には、爪と同様に鋭い牙が並ぶ。


 これをできる限り見ないようにして、尿漏れババァは飛行魔法を継続。自身より更に高い位置へと白いクマを向かわせた。


 どういう理屈なのか、意識を込めると結構な勢いで飛んでいく。上昇を続けると、巨大な図体もだいぶ小さく感じられるようになった。


 これを確認したところで、いざハンティング。


 オバちゃんはクマに掛けた飛行魔法を解いた。


『ぐぉぉおおおおおおおおおおおっ!?』


 すると、こちらの想定した通り、相手は地上に向かって真っ逆さま。


 時間にして十数秒ほど。


 ドスンと低い音を立てて、クマは岩肌の地面に衝突した。


『ぐ、ぐぉぉぉぉ……』


 多少怯んではいるけれど、怪我をしている感じがない。


 大してダメージを受けていない予感。


 この世界の重力加速度がどれほどのものかは知らない。こうして眺めた落下速度を思えば、地球と大して変わらないのではなかろうか。それでも元気なクマさんの頑丈さは、眺めていて恐怖を覚えるレベル。流石は異世界ファンタジー。


「よし、もう一回」


『ぐぉおおおおおおっ!?』


 再び飛行魔法を行使して、クマの身体を空高く持ち上げる。


 そして、落とす。


 今度は落下に際して、下向きに加速させてみた。


 すると、地面と衝突したことで、クマさんの手足があらぬ方向に曲がった。


 どうやらダメージが入った予感。


 位置エネルギー最強伝説。


「クマさんの攻略法、見つけたり」


 この作業を更に三度ほど繰り返して、無事に白いクマを倒した。


 最後の一回については、先方の頭部を地面に向けつつ加速。気合いを入れた為か、かなりの速度で落下。おかげで見事に首がひしゃげてしまった。強面だった顔面も大きく崩れてしまい、グロテスクな感じが見ていて結構キツい。


 相手が無抵抗な生き物だったら、少なからず良心を刺激されただろう光景だ。


 ただし、こちらのクマ氏は先制して襲いかかってきた、見た目相応の凶悪な生き物である。これといって武器を構えていた訳でもないのに、命を狙われたとあっては、対象を屠ることに抵抗はない。たぶん。


「……よし」


 剣と魔法のファンタジーだからといって、炎を飛ばしたり、雷を落としたりする必要はなかった。高いところまで持ち上げて、落とすの最強。更に勢いをつけたりしたら、もう手に負えないのではなかろうか。


「町に戻るか……」


 絶命したクマをこれまた飛行魔法で浮かせて、町に戻ることにした。


 荷物の運搬にも使えるし、これは素晴らしい魔法だ。神様、ありがとう。




◇ ◆ ◇




 結論から言うと、町には無事に入ることができた。


 入場料は銅貨十枚。


 一方でクマの引き取り料金が金貨五枚。


 手続きに際しては色々と説明を受けたけれど、大まかにはそんな感じ。素直に一人で狩ったと説明したところ、居合わせた兵士や買取業者は随分と驚いていた。とてもいい気分だった。めっちゃチヤホヤして頂いた。


 ちなみに貨幣の価値は、金貨一枚で銀貨百枚、銀貨一枚で銅貨百枚とのこと。おかげで余裕を持って町に入ることができた。また、余ったお金を当面の生活費に当てることで、今晩の宿に悩む必要もなくなった。晩ごはんもちゃんと食べることができる。


 お宿は一泊二日で、銅貨五十枚くらいからが相場らしい。お夕食は銅貨十枚前後でご用意させて頂きますとのこと。お酒を飲むのであれば、一杯銅貨三枚から五枚ほどで選べるそうな。おつまみも同じくらいの料金帯から提供していると言っていた。


「…………」


 おかげで気づいた。


 少し奮発してチェックインした、一泊銀貨一枚のお宿。


 そのベッドに腰掛けて、オバちゃんは気づいてしまった。


「……人生イージーモードだ」


 これなら余裕で食っちゃ寝できる。


 今流行りのスローライフってやつだ。


 一日一匹、クマさんを狩ってくるだけで、お宿と晩ごはんを確保可能。


 しかも余剰の金貨を貯金に回すことができる。


 銅貨十枚で一食とのことなので、ざっくり計算すると、日本円で毎日数百万円を積み立てることが可能となる。おぉ、改めて円で意識すると、より一層イージーさが際立つ。一ヶ月二十営業日で仮定すると、月収一億円近いですよ、奥さん。


 同じ額をサラリーマンで稼ぐことは不可能だ。経営する側に回らなければ、絶対に到達できない額である。しかも、額面ではなく手取りだ。獲物を売り払う際に諸々抜かれてはいるのだろうが、それでも凄い。


「…………」


 そこまで計算したところで、一つ考えた。


 これを利用すれば、見た目がアラサーのオバちゃんであっても、町の人たちからチヤホヤしてもらえるのではなかろうか。お世辞にも整っているとは言えない外見やお腹のお肉に目を瞑って、その偉業を褒め称えてもらえるのではなかろうか。


 お金は力だ。


 お金は魅力だ。


 どんだけ偉ぶっている人も、お金を積まれたら敵わない。


 素直にしっぽを振り始める。


 お金さえあれば、イケメンだって不細工をおだてて下さる。


 きっと存分に構ってもらえる筈だ。


 前の世界でも年収の高い人たちが、その事実をひけらかしてチヤホヤされているのを幾度となく見てきた。お金持ちがネットで成金画像をアップロードして、お金に弱い人たちにチヤホヤされているの、この上なく羨ましかった。マジ憧れた。


「……やるか」


 当面の目標が決まった気がするぞ。

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