第4話 愛の絆
横たわる兄を見下ろし、ラサンテは笑った。
鉄の味を噛み締めながら、レセーンは苦笑した。光る刀身を横目で見遣り、大きく息を
「完敗だ」
勝敗は決した。
広間はしんと静まり返っていた。余りにも鮮やかな決着であった。
勝者は剣を引き抜き、敗者に手を差し伸べる。その手を取って身を起こし、レセーンは立ち上がった。
両者はすっと一歩引き、胸の前に血濡れの剣を捧げ持つ。
先程の激闘による疲労を感じさせぬ優美さで、二人は一礼した。
徐々に、喧騒が戻り始める。
二人の戦いの終幕に、拍手が沸き起こる訳ではない。一挙手一投足に集まる視線と、張り詰めた静寂こそが称賛であった。
再び人波を割り、壁際へと寄った。遊びのない斬り合いの後だ、足取りが重い。
「敵わんな……四肢が千切れそうだ」
壁に
「だから言ってるだろう、引き籠もり。とは言え、日頃本ばかり読んでいてそれだけ動けるとは大したものだがな」
褒めているのか貶しているのか分からぬ。
「分かっている。分かっているが……」
「いい気晴らしだった。また付き合え」
「……せめてあと三日は休ませてくれ」
毎度必ず、こうして散々な目に遭うのだが、それでも弟の朗らかな笑みが見られるならば、満身創痍になった甲斐がある。そう思ってしまうレセーンだった。三日後にはまた性懲りもなくここにいるのだろう。
「帰るか」
「ああ……」
ラサンテが踵を返す。追おうとするレセーンであったが――。
「待ってくれ、ラサンテ。その……歩けん」
情けなくも壁に張り付いて膝を震わせるしかなかったのである。
「はっはっは。そんなに
流石にもうラサンテはからかっては来ず、笑いながら肩を貸してくれた。
そうして二人は剣の間を後にした。
その後二人は水を浴びた。岩窟の中、滝壺で汗と血とを洗い流すのである。
よく冷えた水に身を浸せば、ようやく身体の重さが溶けてゆく。
「レセーン。近頃、何か変わったことはないか」
徐にラサンテは言った。
「……いや、特にはないが」
「ならいいが」
「何かあるのか?」
「やはり、色々とな。昨日も一人殺った」
事もなげにラサンテは言う。隣で、水に浸かりながら冷え冷えと空を睨むこの男が、レセーンには時折、空恐ろしく感ぜられる。
「そうなのか」
「ああ。兄貴に害が及ぶには至らんと思うが、一応は用心しておけ」
「……すまんな、いつも」
レセーンは嘆息した。
汚いことは弟に任せきりであった。王位継承権を持つ兄弟の命を付け狙う者は絶えぬ。己等を守るため、剣を抜くのは常にラサンテであった。捕らえた敵を拷問に掛け、首謀者や因果関係を炙り出し、手を打つのも常に彼であった。
レセーンはそれをただ眺めてきた。いや、実際に目にしているのは、ほんの一部なのだろう。預かり知らぬところで、ラサンテは人知れず数多の敵を屠っていよう。弟の夜の顔を、レセーンはほぼ知らぬ。
レセーンが安穏と研究をしていられるのも、ラサンテが裏で動いてくれているが故である。後ろめたさは、感じていた。
「別に構わんさ」
例え己の命の為でも、冷酷になりきれぬ。そんな兄だとよく解しているからこそ、ラサンテは代わりに手を汚し、兄を守り続ける。
稀有なことである。血縁関係など何の意味も持たぬ、この世では。
全ては力。両親であろうと兄弟であろうと、蹴落として這い上がり、生き残る。それが普通であった。
血の繋がりがあろうとも結局は他者であり、そして他者は皆、仁義なき戦いにおける敵に過ぎぬ。特に係累は最も身近な、警戒すべき敵であろう。
しかしこの兄弟は違うのだ。何があろうと、殺し合う気は微塵もないのである。愛という何とも美しい絆が、血以上に二人を結び付けているのであった。
「兄貴が捨てきれない情けの分、俺が非情になればいいだけの話だ。兄貴はそのままでいい」
「……耳が痛いな」
――悪魔の世界に、慈愛を持って生まれてきてしまったレセーンである。平静を崩さぬ表情の下で、絶えず、彼の心は揺れ動いていた。弟の手が血に染まることに感謝していない訳ではないが、心苦しく、かと言って自らの手を汚す勇気は持てぬ己が恨めしかった。
◇
水浴の後、二人は部屋へ戻った。着替えて来ると言ってラサンテは兄と別れたが、幾らも経たぬうちに戻って来、再びレセーンの部屋に居座った。
「おい、剣の手入れはちゃんとしろ」
机に置いてある剣帯を見るなり言う。身の回りのことには無頓着な彼も、剣の扱いにだけは煩い。
「分かっている。今やるから薬くらい塗らせてくれ」
レセーンは何やら壺を片手に、所々の傷へ薬を擦り込んでいた。自作の薬だろう。彼の調合の腕は間違いない。
「傷が多くて大変だな。届いてないぞ」
傷を負わせた張本人は、レセーンの手から壺を奪うと、苦戦する兄の背中に薬を塗ってやった。
「すまん。お前も使っていいぞ」
「それなら塗ってくれ」
「俺が塗るのか」
そう言いながらも、レセーンは丁寧に、弟の身体に軟膏を塗る。元はと言えば、日々の鍛錬で傷だらけになるにも関わらず、全く構わずに傷を放置する弟の為に、治癒の術を極めようと志したのであった。
仲睦まじき兄弟。兄が相手をしてくれたからなのか、ラサンテは上機嫌だった。
兄にしか見せぬ顔だった。剣聖と謳われ、矜持の塊と言われ、残忍な狩人、覇者として名を轟かせるラサンテは、兄にはこんなにもべったりなのである。外から見れば完全にラサンテが兄であり、レセーンが弟であるが、二人きりになれば、ラサンテは正しく弟であった。
剣を取り上げ、ラサンテの横に腰を下ろした。
血糊を拭い、錆を落とし、刀身を研ぐ。刃を磨く音だけが響いた。
「……なあ、レセーン。聞いたか」
「何を?」
「ルフェルが失踪した」
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