第3話 剣士二人

 ラサンテは長剣を引き抜き、乱戦の中へと歩いてゆく。レセーンも続いた。不思議なことに、すっかり血の臭いに酔い、戦いに熱中している戦士達も、彼らに気付くと道を開けた。

 剣聖ラサンテ。

 あちこちで交わされるその囁きには、畏怖や羨望、憧憬、嫌悪、それぞれが抱く種々の感情が表れる。

 だが、彼は大衆の毀誉褒貶など気にも留めぬ。これまで、挑んでくる者を尽く捩じ伏せ、有無を言わさぬ実力を確実に証明してきたからである。今となっては挑戦者も少なくなった。誰が何と言おうとラサンテの剣聖の座は揺るぎなく、彼の君臨が気に食わぬ者も陰でそねむことしかできなかった。

「者共、殊勝な心掛けは褒めてやるがそこを退け」

 決して大音声ではないが、彼の声は高圧的によく響き、瞬く間に剣士達を追い散らした。

「見るがいい。俺と兄の剣舞を」

 剣帯を外すラサンテの纏う気が徐々に鋭く、張り詰めてゆくのが感ぜられた。こうなると最早、彼を思い上がった若造だと貶すことは誰にもできぬ。それは真に、魔界に冠たる戦士の覇気であった。

 レセーンも静かに剣を抜き放った。誰もが一歩後退ってしまうような強烈な気魄にも揺らがず、真っ向から受け止め、対峙する。柔らかだが重みのある、泰然たる姿を崩さぬ彼も、今ばかりは氷の気を漂わせる。

 いつの間にか痛いほどの沈黙が広間を支配していた。皆が剣を下ろし、息を凝らして戦いが始まるのを待っている。類い稀なる才能を持ったこの兄弟が、剣を交えるのを。

 向かい合った両者は芯の通った美しい礼をした。

 レセーンの深呼吸。神経を研ぎ澄まして剣を握り直し、斜に構える。

 ラサンテの剣も、兄にぴたりと狙いを定めて静止する。

 二人の瞳には今、静かなる戦意の炎が点っていた。

 王座を賭けた果たし合いも斯くやと思われる殺気が、陽炎のように揺らめく。引き絞られた弓弦のように緊張は高まっていく。

 極限の均衡を破るのは、果たしてどちらか――


 膨れ上がった気が遂に爆発した。

 先に仕掛けたのはラサンテだった。


 土が抉れんばかりの力強さで地を蹴り、一瞬にして間合いを詰める。目にも留まらぬ素早さで剣がレセーンに打ち下ろされた。

 澄んだ高い音が響き渡る。

 まさに電光石火。頭から股まで一気に斬り下げ、骨さえ断って相手を真っ二つに両断するはずの第一撃を、しかしレセーンは撥ね上げ見事に受け流す。彼の反射速度も並ではなかった。

 ラサンテは更に踏み込み、飛び退った彼に次々と斬撃を叩き込む。横薙ぎに胴を狙ったかと思うと、返す刀で下から斬り上げ、早くも首に剣尖を伸ばす。それを、レセーンは的確に見切り、躱し、弾き返す。

 刃を受けること十数合、未だ一つの掠り傷も追わず、完璧にラサンテの剣を退け続けた。

 この時点でレセーンの技倆は五本指に入るだろう。あまり部屋から姿を現さず、弟の武勇もあって兎角軽んじられがちな彼であるが、実際には文句なしに文武両道の貴公子である。

 レセーンは後退を続け、遂に壁際まではあと数歩。「早く掛かって来い」と、ラサンテの目が言う。そろそろ潮時であろうか。

 襲い来る剣に、思う様己の剣を打ち合わせて弾くと、レセーンは大きく高く、飛び退いた――そして、空中で身を捻り、壁を蹴った。

 その肢体は軽々と宙を舞い、ラサンテの背後にしなやかな身のこなしで降り立つ。そしてすかさず斬り掛かっていった。

 こちらも素早い突きと斬撃であった。ラサンテは敢えて避けぬ。尽く刃で以て受け止める。

 軽く振り払うように見える動作も、実のところ込められている膂力は相当なものだ。凡庸な剣士ならば手が痺れて得物を取り落としかねない。

 しかし、返ってくるこの程度の衝撃で驚いてはいられなかった。これはほんの序の口、毎度のことながら、弟の馬鹿力には感嘆を通り越して呆れるレセーンであった。


 ラサンテの戦い方は、力強く烈しい。序盤から容赦なく追い詰める。

 対してレセーンは、水のように捉えどころがない。滑らかに刃を逃れつつ守勢に徹し、自身は体力を温存し、相手に隙が生まれるのをじっと待つ。

 しかしラサンテ相手では、体力不足が祟ってそういう訳にもいかぬ。

 一連の斬撃を全て撥ね返され、間合いを取り直したレセーンであったが、その間に再び攻守は入れ替わった。さながら流麗な舞を演じながらも、焦り始めるレセーンであった。

 一度攻勢の流れを作られてしまえば、幾ら躱せど、それはもう呆れるほど執拗に猛追される。その勢いは余りにも凄まじい。ラサンテを相手に守勢から攻勢へ転じることは酷く困難であった。


 ラサンテが剣聖たる所以。

 相手の隙を瞬時に見出す目、正確無比な狙い、それでいて自身の守りも決して疎かにせぬ、攻守が一体となった戦い方。他の追随を許さぬ彼の強さは、極められた身体捌きの上に恐るべき膂力が加わってこそ成り立つものであった。決して力頼みの攻撃ではなく、構えから技に至るまで全ての精度が高く、洗練されているが為に、レセーンでさえ反撃の機を掴めないのであった。


 そうこうする間にも、ラサンテの剣先はレセーンの服に、身体に届き始める。

 技術だけならば負けてはいない。彼と弟との、剣士としての差は、絶対的な体力の差である。

 己にないもの――並外れた持久力、日夜の鍛錬により鍛え上げられた鋼の肉体を持つ弟を、彼は尊敬こそしたが、妬みはせぬ。それが、血を吐くような努力の末に、ラサンテが勝ち得たものだと知っているが故。

 頂点に立たなければ満足できぬラサンテ。弱さ、醜さ、そして敗北というものを何よりも嫌う彼。

 弟が誰も見ぬ場所で這い蹲り、己自身と闘い、限界に挑み続けているということ。兄であるレセーンは知っている。彼の強さは壮絶な辛苦の対価。それを才能だ何だと言って妬むのは、無礼千万であろう。

 ラサンテが選んだのは剣、レセーンが選んだのは魔導。刃を交えて敵うはずがないのは明白である。しかし、それでも弟を追う。本気で斬り合える相手がいない、力があるにも関わらず解き放つ機会がない、というラサンテの鬱屈を少しでも晴らしてやれるよう。


 繁吹しぶく血は目を潰し、四肢は鉛と化す。肺は焼け付き、視界は瞬く。

 口許に笑みすら浮かべ、紅の双眸を爛々と輝かせながら、狂戦士は怒涛の勢いで己の兄へ斬り込む。

 いよいよ佳境。剣聖相手にこれだけ戦えば上出来であろう。

 ぷつりと集中が限界を向かえ、レセーンがふっと笑えば、すかさず。


 レセーンの手から剣が飛び、そのまま彼は体勢を崩して倒れ込み、そして首の真横に剣が突き立った。

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