第15話 図書館
前世の記憶に「雨降って地固まる」というのがある。
雨が降った後はぬかるみだけが残るとボクは思うのだけれど、それは間違いらしい。
いや、間違いであると実感している。
ボクの失言から始まった一件を経て、クリエとの仲はとても縮まった。
『カンカン』
いつものように鉄扉がノックされる。
「はいはいー」
「カァ」
「にやぁ」
「ジルも、皆も元気だね」
ボク達の反応に、クリエが明るい声で答えた。
そう。あの一件の後で、お互いに敬語をやめたのだ。
かしこまった言葉をやめて、砕けた調子で話をする。
ボクはそれだけで楽しい。クリエも楽しければいいなと思う。
「ジル、昨日の続きなんだけど」
「数学だね」
少し前からボクは彼女に数学を教えている。数学といっても、四則演算。足したり引いたり、かけ算に割り算。
雑談ばかりなんだけど、それでも彼女は空き時間に自習しているので、進捗はとてもいい。
「ルルカン、連れていっていい?」
そして別れ際、彼女の要望で黒猫をお供させる。
魔法の節約のため服従の魔法はつかわず、同調の魔法のみを黒猫にかける。
ちなみに黒猫の名前はルルカン、鳥の名前はチャド。命名したのはクリエだ。
スライムもどきの名前はローベ。これはコアに書いてあった名前だ。
コアからは名前の他に沢山の情報を得ることができた。
一番のおどろきは、ローベは神話に出てくる悪神ズィボグを信奉する集団によって作られた物だということだ。
そこから導き出されるのは、この監獄は、悪神ズィボグにまつわる建物がベースだということ。つまりは悪神の神殿もしくは祠がベースということだ。
彼らのことは不明な部分が多い。今でも活動しているという噂もある。
そのことを知って、ボクは自分の中で監獄の危険度をあげた。そして使命感をおぼえた。昔であればどうにかして逃げる選択肢もあったけれど、今はクリエがいる。彼女の事を考えると、そうは言っていられない。
これは本格的に調査が必要だと思った。
「ジル、見てる?」
廊下を歩きながらクリエが言う。
ボクは黒猫ルルカンごしに彼女を見上げた。明かりの乏しい廊下でもはっきりと見えた。
黒猫の視界で見ているせいだろう。猫は夜目が利く。
視界は想い通りにはならない。同調の魔法しかかけていないからだ。というわけで行動はルルカンまかせ。
ルルカンは「にゃ」と小さく鳴くと歩くスピードをあげて、クリエの前へと躍り出た。
「今日はお仕事が終わったから、このまま図書室へ行ってみますね」
彼女は宣言すると、迷いなく廊下を進む。
そういえば、暇なときに監獄を案内してほしいと言ったのだっけ。彼女の言葉を聞いて、少し前にしたお願いを思い出した。
「小さい頃に、ここで字を習いました」
図書室に入った彼女は歌うように言った。そこは小さな部屋で一方にこぢんまりとした本棚があった。部屋にテーブルと椅子が一脚だけあって、そのテーブルや椅子にまで本が置いてあった。本棚だけでは入りきれない本だらけの場所だ。
そして図書室は使われている形跡が無かった。
「模範的な囚人のお爺さんで、死ぬまでここにいました。お爺さん以外の人をここで見たことがありません」
言いながらクリエが部屋にある唯一の窓を開ける。ギシリと木の軋む音を伴って、両開きの木の扉が開くと、サッと光が入った。舞い上がった埃が、外の光をうけてキラキラと光っていた。
「私も来たのは久しぶり。ケホッ、ケホケホ」
埃を吸ったクリエが笑顔のままくしゃみをした。驚いたルルカンは本棚を駆け上がり、グルリと頭を回した。そのせいで、さらに埃は舞った。
猫はキョロキョロしつつ素早く動く。
めまぐるしく動く視界は身体に悪い。ボクは少しだけ眼を回したらしく、気持ちが悪くなった。でも、大きな問題ではない。
「ジルはどれか読みたい本って有りますか?」
クリエが本棚の上に座るルルカンの眼前に、スッと本を差し出す。
つま先立ちして「んん」と小さく唸り本を差し出す彼女は大変そうだ。
彼女の様子をみるだけで、気持ちの悪さなんて何処かへいってしまう。
本か。
魔道書は欲しいな。監獄の図書館に、危険な魔法の載った本は無いだろうけれど、何もないよりはマシだ。
「あっ、今日はルルカンに魔法を使っていないのですね」
埃を払った本をルルカンの目の前に持っていくことを数度繰り返したあと、彼女がはにかんだ。
プィとそっぽを向いたルルカンを見て、ボクが猫を操っていないことに気がついたらしい。
彼女は残念そうに本を本棚に収めた。
「ちゃんと見ろよ」と心の中でルルカンに悪態をつくが、もちろん効果は無い。
猫の気まぐれには困ったものだ。
服従の魔法は、残り使用回数が少ない。だから、最近は節約志向なのだが、それが裏目に出た。
とはいっても、チャンスはいくらでもある。
幸いなことに独房暮らしはまだまだ続くのだ。
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