第10話 無能で無力な生き物

 背中に鉄特有の冷たさと振動が伝わる。

 それはまるでボクの心へと緊張を流し込む魔法の品のようだ。

 警戒するボクの眼前で、魔物はじわじわと天井一杯に広がっていく。

 闇夜で色はわからない。だけれど、動く音とそのシルエットだけでそれがある種の知性をもった液体だとわかった。それから天井に張り付く様子から粘着性をもっていることも。

 粘着質の液体は全てがこの部屋に入り込んではいない。

 採光窓は夜空を通さない代わりに、粘着質の液体がズルズルと流れ込む姿だけを見せる。

 目は闇に慣れているとはいえこの暗さで戦うとなると辛い。


『ガンガン、ガン』


 とりあえず扉を叩いてみる

 異常事態を音で把握してくれれば助けが来るかもしれない。

 頭上に広がる魔物から目を離さず何度も何度も扉を叩く。

 ところが反応がない。

 監獄でこれだけ音を立てれば何らかの反応があるかと思ったがそうではないらしい。


「もしかしたら……これは仕組まれたことなのか」


 頭上のスライムにも見える何かへと語りかけるように、一人言葉を吐く。

 監獄の罪人には罰があってしかるべきだ。

 この世を幻獣の王と創世した女神は、罪人に対して苦痛のみを与えるなと説いたという。そして改心の場として監獄を作るよう命じられた。だけれど、神話はそこまでだ。苦痛のみでなければ、人が人に罰を与える事は許されている。

 ボクは無罪だけれど、これは罰の一種か?

 外界から遮断するだけに限らず、何かに人を襲わせる。そういった類の罰なのだろうか。


「ジュルリジュルリ』


 不気味な音を立てて頭上の液体は静かに波打つように身体をゆする。

 外にまたたく星は、ほんのわずかな光を牢獄へと届ける。それが液体の表面に反射する。

 今や部屋の天井一杯に広がった頭上の液体を。


「さてどうする」


 対策を考える。

 助けは期待しない。

 これが罰則の一種ではないとしても、自分のコントロールできない事象を頼りにするのは良い考えとは思えない。

 では、どうやって?

 そこまで考えたとき、向こうの攻撃が始まる。

 天井にへばりついた粘着質の液体は、まるで触手のようにその身体の1部を伸ばして向かってきた。

 自らの重さだけではなくて、その動きには意思が篭もって見えた。


『バチン!』


 その先端は物音を立てて地面を叩いた。

 どうしてこんな目に。理不尽な状況に少し腹が立ってくる。

 さらに攻撃は続く。先程と同じだ。身体の一部を伸ばしてきた。

 二度目は床に寝ていた鳥がねらわれた。

 見捨てるには忍びない。ボクは軽く地面を蹴って、鳥に接近し、左手でひろいあげて脇に抱える。そしてバックステップで攻撃を避けた。

 肩に軽く攻撃が掠ったが布には異常は無い。スライムとは違って酸による攻撃ではないらしい。つまりはただの打撃……ボクは掠ったあとを一瞥してそう判断した。

 3度目の攻撃は、鉄扉にぶち当たった。


『ガッゴォォン』


 先ほどボクが扉を叩いた時よりもはるかに大きな音が響く。

 攻撃の隙間をぬって、服従の魔法を使ってみたが効果は無い。相手には服従を受け入れるほどの知性が無いらしい。つまりは単純なルールに基づく存在というわけだ。

 続けて4度目。

 今度は大規模だ。天井から何本もの攻撃が同時にすすむ。

 それはまるで水飴の入ったツボをひっくり返したように、一斉に垂れ落ちてくる。水飴と違うのはその落下スピードと、落ちたものが再び天井にへばりつく本体へ吸収されること。これは自然現象ではなくて明確な攻撃なのだ。

 トロリと粘性をもち、そしてわずかばかりの光に反射する液体。


「ちっ」


 悪態をつく。

 軽くステップを踏み、連続する攻撃を避ける。攻撃のスピードはなかなかのものだが賢者の塔で修行したボクには大した事がない。師匠である大賢者ラザムは近接戦闘においても革命を起こしていたのだ。

 その薫陶を受けたボクにはこの程度の攻撃は楽に捌ける。

 繰り返すステップの中で、少しだけ昔を思い出す。

 10歳で師匠より体捌きが上手くなった時のことだ。あの時、師匠はボクの頭をゴシゴシと荒っぽく撫でた。頭が痛いと睨むボクに、師匠はパッと離れてから「バーカ」と子供じみた捨て台詞を吐いて去った。とてもたのしそうにしわくちゃの顔を笑顔にして。

 いや。今はそんなことより眼前の敵だ。

 そしてとりあえず考えをまとめる

 僕が知っているもので1番似ている魔物はスライムだ。

 思考する液体状の魔物……スライム。

 通常スライムは焼き殺す。

 剣もハンマーも通じない。

 油を食わせて油と同化したところに火をつけるのがセオリーだ。

 それがスライムの最も簡単な倒し方。

 ところが今の僕は火を熾す魔法を装備していない。

 それに気がつき、怒りが込み上げてくる。こんな無能で無力な生き物に、ボクは必死に考えることを強制されている。


「クソが」


 ――おちつかんか。馬鹿ガキが。


 頭に血が上ったボクの脳裏に師匠の声が頭に響く。

 そうだ。

 冷静になって……いや、そんな気にはなれない。


「問題ないですよ、師匠。この程度、頭が怒りにひたされていても対処可能です」


 そう思い出の中の師匠へつぶやく。

 それから対策を考える。

 少々苦しいがそれをするかと即座に決意する。

 それは奴の体を沸騰させること。

 実現する方法は手持ちの魔法にある。

 いつもであれば水をお湯に変える方法。もしくは冷めたスープを温めるために使う魔法だ

天井一面に広がるその体積を見ると、使う魔力もおのずとわかる。

 結構つらいがしょうがない。

 範囲を設定する。この部屋の全てを、1つの器としてイメージする。

 壁に手をつき液体の加熱を試みる。


「ふっ」


 息を吐いてから、気合いを入れて詠唱する。

 出し惜しみなく魔力を放出する。

 魔法が完成し、天井にへばりつく存在に異変が起こった。


『ブクブク』


 それは音を立てて泡立つ。沸き立つスープのように。

 向こうの反撃は無い。

 勝負は決まっていた。

 しばらく泡立つ音が続いていたが、急に静かになった。そして天井の液体は崩れだした。

 ポロポロと端っこから天井から剥がれ出していく。

 剥がれた液体だったものは、ポトポトと小さな音をたてて地面に落ちた。

 ボクの肩に、欠片が落ちる。それではいいまるでゼリーのお菓子のように見えた。


「なんとかなったな」


 敵が動かなくなったことを確認し少しだけ安堵した。

 結局こいつの正体は何だったんだろう。

 床一面に散らばる残骸を見て考える。酸の身体をもっていないからスライムでは無い。

 そしてこの巨体には生物や魔物らしいものは見いだせなかった。きっと魔法生物なのだろう。こんなものが独房に入り込むってのはいい気持ちがしない。

 嫌な感じだ。

 明日、彼女に魔物について確認しよう。

 こいつの死骸も検証しなくちゃいけないし、やる事が増えてしまったな。


「魔法でヤツを熱したから部屋まで蒸し暑い」


 気休め程度に手のひらで顔を仰ぎつつ悪態をつく。汗は額をながれ、引っ込む様子がない。

 本当に暑い。何処かで感じた蒸し暑い夏そのままで憂鬱な気分だ。

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