第9話 賢者

「賢者という言葉には2つ意味があります」

「2つですか?」

「1つが賢い者。これは多くの事柄を知る知恵者に対して使われます。それからもう一つは、大賢者ラザムの弟子です。ラザムの弟子は全員が賢者と呼ばれます。こちらは能力があってもなくても……なんです」


 鉄扉を背にボクは得意げに言う。

 扉の向こうから「そうなのですね」と優しい少女の声が聞こえた。


「だからボクも賢者と呼ばれるのです。賢さとは関係なくね」

「でもジル様はすごく賢い方ですよ。私に薬の知恵を授けてくださいましたし」

「たまたま知っていただけですよ」

「でもすばらしいです!」

「他にね……」


 褒められて、こそばゆい。そして気分が良くなったボクの口は軽い。


「師匠はすごいんです。魔法に新しい概念、詠唱を不要とする手段、詠唱印と言うものを作ったんです」

「詠唱印でございますか?」

「魔法はそれまでは詠唱することが必要でした。声を出して……。ですが、世の中には他の手段によって魔法を使う民族がいました」

「私は物を知らないですが、そうなのですね」

「えぇ。踊りによって魔法を完成させる技術などがそうです。師匠はそれらを検証し実験することで、詠唱を不要する方法……誰もが知らないけれど、確かに存在する世界のことわりを発見したのです」

「何も言わずに魔法を使うのですね」

「そうです。指を、そして腕を、決められ手順で動かすことにより詠唱せず魔法を発動できます。これにより、詠唱と詠唱印の同時使用による複数呪文の同時行使。多重に魔法が使用できるようになりました」

「やはりジル様も詠唱印……お使いになることができるのですか?」

「実は結構得意なんですよ」

「素敵です」

「いやー、それほどでも」


 最近は楽しい。

 賢者の塔でのんびり暮らしていた時よりも、この狭くて暗い独房の方が楽しいと言うのは不思議な話だ。

 

 理由は簡単。

 賢者の塔では会うことのなかった同年代の女の子と、楽しく語って過ごせるからだ。

 先日に教えた薬を飲んで、彼女の咳は一気に止まったらしい。

 彼女が言うには、その日の夜には効果を実感できたという。

 予想を遥かに超えた効き目だったわけだ。


 体調も良いと言うので、体力の回復による自然治癒も期待できそうだ。

 とはいっても念には念を入れる。

 完治できる薬を用意するのだ。

 そのことを伝えると、彼女は「必要なものがあれば教えてくださいね」とかわいい声で答えてくれた。

 

 彼女の名前はクリエというらしい。

 小さい頃にこの監獄に連れてこられ、下働きとしてずっと働いているのだという。

 声しか聞こえないのが非常に残念だ。


「では、そろそろ行きます」


 しばらく話をしたあと彼女が去っていく。

 あまり長居をするとサボっていると思われるらしい。

 看守に怒られてしまうのだとか。

 そりゃそうかと思い、引き止めるような事はしない。

 どうせ明日になれば彼女は来てくれるのだ。

 

 周囲の観察が一通り終わったので、今度は建物の中をどうにかして探りたいと考えている。

 彼女に何か小動物を捕らえてもらうことを考えたが、下手をすると彼女を巻き込んでしまう。

 ということで、それはやめた。

 どこまで協力をお願いするのかは慎重に考えたい。


「まぁ特に身の危険も感じないし」


 柔らかくした石のベッドで横になり、ぼんやり考える。

 ここは妙に心地良い。

 彼女と話ができるというのもあるし、意外とこの石の部屋はすごしやすいのだ。

 景色はともかく気候がいい。

 もちろん、警戒はしているが、特に危険性を感じない。


「これならあいつは来なくていっか」


 わずかに外の景色を見せる採光窓を眺め、賢者の塔にいる友人のことを考える。

 最初はいなくて心細かったが、どうでもよくなった。

 力づくは最後の手段だったわけだし。


 そしてそういう日々が続いた。

 食事を持ってくるクリエとの会話は続いている。

 鉄扉に背を預け座っての会話だ。

 話題はとりとめの無い事が多い。


「今日も回収しなくてもよろしいのですね」

「はい。物を保管するという点でツボは便利なので」


 彼女はパンと水の入ったツボを持ってきてくれるわけだが、そのツボの回収を控えてもらっている。

 そうすることで空のツボが独房に増える。


「今度は何を詰めるのですか?」


 ここ数日繰り返される質問。

 昨日は木の実の保管。

 その前は、魔導具の材料になりそうな小石の保管。

 今日は何を保管するのか、彼女は興味津々だ。


「ジャムを作ろうかと思っていまして。果物のジャムです」

「まぁ」


 鉄扉ごしにクリエが感嘆し、クスクスと笑った。

 咳が止まったことで彼女はずいぶんと元気になった。そのせいか、すごくよく笑う。

 楽しげな彼女の笑い声を聞くと、ボクもやる気がでてくる。


「鳥を操って、果物を集めました」

「ですが、ジャムを作るには火が必要では? 火を焚くと、煙が出るかと……」

「魔法で果汁を温めます。煙は出ないのです」

「さすがジル様! 私、煙が独房から出たらさすがに看守が怒るとおもったのです」

「ボクは静かにコソコソと好きなことをやりますので、ご心配なく。ジャムは……完成したら、お裾分けしますね」

「楽しみです!」


 果物だけで作るから、味は薄味になるだろう。

 それでも味は期待できる。

 森に実っている果物は、甘い物が多いのだ。

 そして完成したらパンにたっぷり塗って食べる。


 美味しければクリエにお裾分け。

 ダメだったら、改善していって、出来が良くなってからクリエにお裾分け。

 夢は広がる。

 こんな感じで、看守が部屋の中を見ない状況をいいことにボクは好き勝手している。


 工具がないのが少しだけ残念。

 だがこれもなんとかしようと思っている。

 どうにか鳥以外の動物……つまりは監獄内を歩きまわっても目立たない動物を、服従させることができればなんとかなりそうなのだ。

 それができれば、建物内の道具を少しだけ借りることができる。


 これが現在の目標だ。


 ネズミがいないかなと思って、床にパンくずや果物を置いてみているが進展は無い。

 でも、牢獄にネズミくらいはいそうだし、解決は時間の問題だろうと考えている。


「それでは、ジル様。そろそろ失礼します」

「うん。またね、クリエさん」


 こうして日々は過ぎていく。

 そして僕が平和な生活にだらけきった夜更けのことだ。


『ジュルリ……』


 物音がした。

 それは猛獣がよだれを飲み込んでいるような不気味な音。

 その音がもたらす嫌な気配に目が覚める。

 明かりのない暗い部屋。

 窓はあるが外が暗ければ部屋の中は真っ暗だ。


『ジュクジュク』


 粘着質な水音がして、窓から何かが入ってくる。


「スライム」


 その音から推察できる魔物の名前をつぶやく。

 粘液状の魔物だ。

 だが文献などで知るそれとはサイズが違う。

 それはジュクジュクと音を立てながら独房に入ってくる。

 そしてベッドの上にて警戒するボクへ、何かを飛ばしてきた。

 バッとベッドから跳び離れ攻撃を避ける。


『ガァン』


 ボクの背中は鉄扉に当たり、音が響いた。

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