第8話 閑話 壺の文字(少女の視点)

 私は久しぶりに外出する。メモの書かれたツボを抱きかかえ森へと。

 森はとても危険なところで、私のような小娘1人では生きて帰れないこともある。

 だけど意を決して森へと入る。


「まだ日は落ちていない。大丈夫」


 無理矢理な笑顔で呟いた。

 それから監獄と外をわけ隔てる鉄柵に視線をやる。

 巨大で重い鉄柵の隙間から外の街道へと出るのだ。

 小柄な私なら苦労せず鉄柵の隙間を通り抜けられる。

 錆だらけの柵に服が触れて、茶色い跡が残った。

 柵を抜けて振り返ると、柱の陰に座り込む門番が目に入る。

 座り込んだ兵士は私に気がつかないほど泥酔していた。

 昔はこんなことは無かった。

 仕事を放棄する者はいなかった。

 ゆっくりと監獄の人達がおかしくなっていく。

 囚人も、看守も、皆が。

 この調子では森で助けをよんでも無駄だろう。


「大丈夫、大丈夫」


 自分に言い聞かせ森を進む。

 狼の吠え声が聞こえた。

 いつもであれば震え上がる声を聞いても、私はなぜか平気だった。

 そのうえ冷静だった。

 だから落ち着いて森の木々を調べることができた。

 私の目当てとするものは、監獄から出てすぐ近くにあった。メモの通りだ。

 絵のとおりの姿をした植物は、監獄のそばにきちんと生えていた。


 どのようにして、あの方……ジル様がここに生えていることを知っていたのかわからない。

 必要な材料は簡単に揃えることができた。

 そして指示通りにそれらを加工する。


 それは料理のようでもあり、何かもっと別の作業のようでもあった。

 葉っぱを刻み、湯沸かし、決められた分量の塩を入れて茹でる。

 それから薪の燃えかすを削って灰を入れる。

 ポコポコとわきたったあと、パンのかけらをゆっくり浸して、表面に浮いたあくを取る。


 出来たのは茶色く透き通った液体だった。


「美味しい」


 塩をあれほど入れたにもかかわらず、完成した液体は甘い。

 これが私の咳を止める薬らしい。

 思いもかけず手に入れた薬。

 数日前には夢想さえしなかったものだ。


「希望は毒になる」


 囚人が私にそう言ったのを覚えている。

 嫌な言葉だけれど、私の直感は正しいと伝えた。


「いつかはきっと救われる」


 私は小声で、だけどしっかりと呟く。

 嫌な言葉から目をそらすために。

 昨日まで呟きはただのおまじないだった。


 だけど今日は違う。

 救いはあった。

 そして、それをもたらしたジル様はあの鉄扉の向こうにいる。

 そう。

 あの独房に住むあの方は、私よりも劣悪な状況下で、他人である私の事まで気にかけた。

 善意がこれほど嬉しいとは思わなかった。

 誰かが気にかけてくれることが、こんなに心を温かくするとは思わなかった。


「私にも何かできることはないかな」


 ジル様に何か……。

 いえ、ジル様だけではなくて、別のだれかにも。

 

 ツボに書いてあるきれいな文字を見ながら考える。

 それだけで心が温かくなった。

 文字を撫でるだけでなんだか勇気が湧いてきた。


「ふふっ」


 飲んだばかりで効くかどうかわからない。

 それでも私は確信していた。

 寝る前に、そっとツボに書かれた文字を触った。

 ざらりとしたツボの表面にある文字がとても愛おしかった。


 世界が明るくなっていく予感がした。


「明日はきっといい日だ」


 私は小さく呟いて、倉庫の隅で丸まる。

 それから、ツボをソッと触ってから……少し考える。


「どんな姿をされているのだろう。どんなお顔だろう」


 延々とジル様の姿を想像する自分に気がつく。

 聞いたら教えて下さるかな。

 最後に「ふふ」と小さく笑って、それから静かに目を閉じた。

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