第3話 今を知ること

 ガァンとけたたましい音を立てて、背後の鉄扉はしまった。

 振り返ってまじまじと扉を見る。

 赤茶色の錆びが目立つ扉からはほんのりと鉄の香がした。下部の中央には頭が入りそうなほどのスキマがあって、通路から光が入ってくる。


「独房かぁ」


 灰色の大小さまざまな石を積み上げて作った正方形の部屋だ。

 賢者の塔ですごしていた部屋よりやや小さい。一辺、大股で三歩程度か。

 目立つのはベッドと、鉄扉。

 それから向かいの壁上部にあいた採光窓。窓から入る光は、昼間の光を取り込んで部屋を照らしている。

 最後に、大きな壺。


「壺……」


 近づいてみると壺はほんのりと魔力光を放っている。

 高さは膝丈ほど。幅も同じくらい。丸っこい無骨な土の壺だ。

 部屋の隅っこに置いてある壺は、わずかばかりの青白い光で、壺のそばにある壁を照らしていた。


「アクタ壺だよ」


 背後から声がした。

 少しだけ頭を動かしてチラリと背後をみると、人型の黒い霧がいた。

 アクタ壺というのは一般的な魔法の道具だ。汚物を処理することができる。

 貴族の屋敷などには必ずあるものだ。


「トイレの代わりってこと?」

「察しがいいね。そのとおりだよ。それからあっちにあるのがベッドだ。キミのために用意したんだ」

「石の板に見えるけど」

「床に寝るよりもいいだろう。ひんやりとしていいものだよ」


 テンポよく会話が成立している。しゃがれた声は声質にもかかわらず聞きやすい。

 遠隔操作か。ボクは人型の霧の正体を考える。

 爬虫類を彷彿とする縦長の瞳。ユラユラと揺れる黒い霧状の体。背丈はボクよりやや小さい。

 見た目は、上位の人造悪霊だ。暴徒を鎮圧するときに使う魔法生物。

 かなり作りこんでいるようだ。霧の持つ密度、しっかりとした発声からそれがわかる。


「硬いね」


 石のベッドをグッと手で押してみる。冷たく硬い。見たままの石だ。

 足を伸ばして寝ることができる大きなベッドには麻の布が4つ折りに置いてあった。掛け布団のつもりらしい。ごわごわとした手触り。快適な眠りは期待できそうにない。


「新品だよ」

「それはうれしいね」


 恩着せがましい。

 新品というのは本当のようだ。黄土色で厚め布はシミひとつない。


「そうそう。食事は一日一度だよ。水とパン。明日はパンと水。次はパンに水だ」

「同じメニューじゃないか。ボクは肉が食べたい」


 独房を歩きながら会話を続ける。

 先ほどから、人造悪霊はボクの背後から位置取りを変えない。動けばついて動く。

 ボクの背後を取り続けながら。

 視線は感じない。音声のやりとりだけで挙動は自立型らしい。

 意外と人は視線に敏感で、それは悪霊を通じて見られていてもわかるほどだ。

 それにもかかわらず、ボクは背後の存在から視線を感じない。

 つまりは、術者はボクを見ていない。あくまで音のやりとりだけ。

 以上のことから、この人造悪霊は一定のルールに基づいて自立行動していると結論づける。


「罪人に贅沢はさせられないよ」

「ボクは罪人じゃないんだよね」

「まごうことなき罪人だよ。王様がキミの罪を認めた」

「王は絶対じゃないよ」


 この世界で王は権力者だ。だけど絶対ではない。王をしのぐ権威として神殿がある。

 女神様に仕え、世の安寧のために祈る彼らには王も配慮せざる得ない。

 そして監獄は神殿の管轄だ。


「だからボクは身の潔白を証明して堂々と出ていくよ」


 ボクは背後に立つ人造悪霊に……それを操る誰かに向かって宣言する。

 横暴な王に合わせて力ずくで独房から出てもいいが、それは最後の手段だ。

 独房からでもできることは多い。魔法が使えるとこういう時便利だ。


「ヒッヒッヒ。邪魔はしないよ。聞いていたとおりだね、君は」

「聞いた? 誰に? 何を?」

「言う気は無いよ。聞いたのは……いや訂正しよう。知っているのは、君は……誰にも迷惑かけずに生きていたいと願っている事だよ」


 否定はしない。確かにボクは平穏無事にすごしたいと思っている。誰にも迷惑をかけずにそっと……。


「多くの人がそうだよ」

「程度というものがある。王の使者に迷惑をかけたくないから、ノコノコと王の眼前へと出た。兵士に迷惑をかけたくないから大人しく投獄された。キミなら抵抗できただろうに」

「ボクは、そんなにお人好しじゃない」

「ヒッヒッヒ。周りの者から殺意を感じなかったから、甘んじて攻撃をうけ、投獄された」


 悔しいが図星だ。殺気がなかったからあまり抵抗しなかった。

 ボクにとって大抵の事はどうでもいい。賢者の塔は快適だったが、固執はしない。


「まぁ、いいや。ところでいつまで居るんだ?」

「ヒヒっ、同居は嫌かね?」

「ボクは一人でのんびり過ごしたいタイプなんだ。それに……生気を吸うタイプだろ、それ」

「仲良くしようじゃないか」


 人造悪霊の敵意に反応して、ボクはバッと振り向く。

 ボクと向かい合った人造悪霊はワンテンポ遅れて手を伸ばし、攻撃をしてくる。

 だけど、伸ばした手はボクに届かない。

 逆にボクの手が人造悪霊の頭をガッと掴んだ。


「遅いよ。ボケが」


 ボクは人造悪霊を掴んだ右手に魔力を込める。


「まさかっ、魔法すら使わず……」


 ヤツはノイズ交じりの声で呻く。


『バシュッ』


 間の抜けた音を立てて悪霊は消える。

 ボクが魔力を直接たたきつけた結果だ。魔法なんて使う必要もない。

 まったくもって嫌な歓迎だった。これからも襲われる可能性がでてきた。

 王様の気まぐれで、ちょっとした嫌がらせかと思っていたけれど違うらしい。

 事は予想外に深刻で、もっとドロドロしたものかもしれない。

 それにしても、わからないことだらけだ。


 ――面白かろう?


 唐突に師匠の言葉を思い出した。

 ボクが困っていると、いつもケラケラわらって口にしていた言葉だ。

 雪のように白い髪を上でまとめて、同じように白いひげと合わせて先端をピンクに染めた風貌。

 それが自慢で、頭に筆を載せているようだと自慢していた。

 そんな師匠が笑いながら口にしていた言葉。


「面白いわけないじゃないですか」


 ボクは思い出の中の師匠に言い返す。

 とはいっても師匠……世に聞こえた大賢者ラザムの知恵あってこそボクだしね。

 大賢者の弟子としてがんばるしかない。


「もう少し部屋を快適にしなきゃな。しばらく……ここで過ごすんだしね」


 あたりを見回して、これからを考えることにした。

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