第56話(目撃情報)森のクマさん

 私のお父さんは木こりをしています。

 森の奥に建てた小屋にお父さんとお母さんと私と弟が3人。

 家族6人で暮らしています。


 平和な日常が揺らぐできごとがあったのは、私と一番上の弟が日課の採集を終え、家に向かっている時のことでした。



 採集に向かう時はいつも熊よけのベルをつけていきます。

 ガランガラン、と鳴り響く金属の音に動物は怯えて近寄ってこなくなるからです。

 ですが、その日は様子が違いました。


 ガランガラン、と大きな音を立てているのにキツネやヤマネコが次々と私たちの前を横切るのです。


 なんだか不吉な、嫌な感じがしました。

 歩く速度を速めると弟が、


「待ってよ! お姉ちゃん!」


 と叫びました。

 イライラしながら振り向くと、弟の後ろの茂みがそこだけ嵐にあったように大きく揺れました。


「走ってぇっ!!」


 反射的にそう叫んでいました。

 弟は素直な子でした。

 もしへそまがりの子だったらダメだったと思います。


 私の声に弾かれるように走り出した弟の背後から大きな熊が飛び出してきました。

 熊よけのベルを持っているのに! と思いましたがその熊の姿を見て納得しました。

 額に砥石のようなツノ、左右の犬歯がナイフのように長く鋭い上に身体は3メートル以上あります。


 これはモンスターだと分かりました。

 お父さんがいつも教えてくれていたからです。


「自然の獣は生きるために他の獣を狩る。だから自分に危険を与える可能性のある人間には滅多に近寄ろうとしない。ベルは人間であることを示すモノだ。しかしモンスターは殺すために人を襲う。ヤツらに見つかったらひたすら逃げろ」


 熊の姿は明らかに人の命を刈り取る形をしていました。

 私は弟の手を掴み走り出しました。

 熊は思ったより遅かったです。

 おそらく長すぎるツメやその巨体が走る速度を殺しているのでしょう。

 それでも私たちが振り切れない程度には速かったですし、いつか捕まってしまうと思いました。


 ですので、私は家とは違う方向に向かいました。

 あんな大きな熊に襲われては我が家なんてひとたまりもありません。

 家にはお父さんにお母さん、それにまだ小さい弟たちがいますから。


 ベソをかく弟を励ましながら走って、走って…………そして森の外に出ました。

 いつも暮らしている森の中とはまるで景色が違います。

 木も生えておらず身を隠す場所もない。

 もうすぐ私たちは追いつかれてあの熊に殺されてしまう、と思いました。


 だから、私は覚悟を決めました。


「お姉ちゃんを置いて、逃げなさいっ!!」


 弟の手を離し私は振り返りました。

 10メートルほど離れた場所にいた熊は私が振り向いたことに驚いたのかピタリと動きを止めました。


 ですが怯んでいるわけではありません。

 甘そうなリンゴの実が自分の手が届くところに生っている時に思わず笑みがこぼれるように私を見て笑っているのです。


 恐怖は不思議と感じませんでした。

 死から逃れられない運命だと受け入れたからです。

 願わくば熊が私を弄んでいる間に弟が逃げることができればということだけです。


「グワアアアアアアアア!!」

「うわああああーーーーーーっ!!!」


 熊にも負けない大声で対抗します。

 すると次の瞬間、熊は大きな身体に弾みをつけて私に向かってきました。



 ああ、どうかみんな無事でいて。

 私の大好きな家族にはこんな悲惨な結末が訪れませんよう————



 ドゴォォォォォン!! メキメキメキメキっ!!



 熊が、目の前から消えました。


「おー、派手にやっちまったな」


 男の人の声がしたのでそちらを向くと……なんでしょう?

 鉄でできた小屋みたいな何かが突然現れています。

 地面に跡がついているし、もしかして物凄い速さで飛んできたのでしょうか?


 その鉄の小屋の中から黒髪の男の人が降りてきました。

 続けて紫髪のお姫様と金髪の大柄な女の人が。

 ワケのわからない事態に戸惑っていましたが、熊のことを思い出し視線を泳がせます。

 すると、現れた男の人たちの足下にはなんと、さっきまで私と対峙していた熊が転がっているではありませんか!?

 しかもピクリとも動きません。

 死んでしまったのでしょうか?


「エルドランダーさん、大丈夫ですの?」

『問題ありません。【スピードタックル】が発動していれば多少の衝突ではビクともしません』

「ほほぉー! 美味しい経験値! たまんねえな」

「もうちょっとエルドランダーさんを慈しんではいかがですの……」

「屋敷に突っ込んだことを思えば軽い軽い。で、オルガ。この熊肉食べられる?」

「ビッグハンドだな。このサイズはあまりお目にかかれないが北部では食用にもされているし美味いだろう」

「く、クマさんのお肉なんて食べられませんわ!」

「そんなこと言っていざ食べてみたら『うんめえですわー☆ パクパクですわー』となるに100万リピア」

「賭けにならないな」

「お二人とも私を悪食みたいに!?」


 呑気そうな声で男の人とお姫様が喋っています。

 危機が去ったことに私は安堵して腰が抜けてしまいました。


「お嬢ちゃんも少し持って帰るかい?」


 男の人がにこやかに笑いながら話しかけてきました。



 その後、お裾分けをもらった私と弟は家に帰ってそのことをお父さんやお母さんに話しました。


「それはね、きっと神様の御使いでしょう。あなたたちはまだ死ぬ運命にないと手を差し伸べてくださったのよ」


 と言われましたが、地面に2本の跡を残して彼方へと走り去っていった彼らがそんな遠い存在だとは思えませんでした。

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