第16話(猟犬side)不可解だらけのローゼンハイム

 荒野を綺麗に駆ける車輪の跡を追うのは容易かった。

 だが、再び信じられないことに出くわす。

 車が停車した痕跡や野宿の跡がまったくないのだ。

 このローゼンハイム領が目的地であったことは明白だがここまで早馬を乗り継ぎながらでも数日かかる道のりを一晩かからずに駆け抜けたというのか?

 家ひとつの重量を担いで?


 目当てのシンシア嬢よりも彼女を乗せた謎の車に興味を惹かれていた私だったが、それは当代のローゼンハイム伯爵に案内された工房にて逆転する。



「父は天才でした。先先代より受け継いだ錬金術をさらに昇華し、絵空事であった金の錬成、不老不死、生命の創造、未来予知についても学術的なアプローチを行い、その実現に迫っておりました。もし、20いや10年の時間があればそれらも成し遂げたのでしょうけど」

「それは是非とも貴方様が父上の意志を継がなくてはなりませんな」

「ご冗談を。私に父の才の片鱗もございませんよ。元々、当家に伯爵の爵位は重過ぎるのです。相応の地位に落ち着いて穏やかに過ごしていきたい」


 謙虚ぶっているが強欲の極みというものだ。

 どうせ、その相応の地位とやらは王国民の1%にも満たない有閑な貴族階級を指しているのだろう。

 自分の恵まれた環境を当たり前と思い、満たされない部分を不条理不幸だと嘆く。

 お前たちの食べ残しを作るために餓死した農奴も少なくないというのに。


 それでも為政者としての威厳や理知があれば貴族としては合格。

 しかし目の前のお坊ちゃんは30を過ぎるというのにあどけなく頼りない雰囲気。

 これで錬金学者としても偉大なる父に及ばないならば凡愚としか言いようがない。

 シンシア嬢を供物に捧げられたとしても、我が主人がこのような家との繋がりを欲しがるとは到底思えない。


「それはそれとて、シンシアのことは残念だが今回の件はそちらに落ち度があるな。我が家を出立してすでに領内は出ていたし、花嫁を迎えるというのにまともな護衛も用意できていなかったのだから」

「はい、そのとおりです。賠償については言い値でお支払いするつもりがあると主人は申しております」


 あさましい。

 だが、ここは話を合わせてやる。

 変に拗れて事件現場を探られでも動きにくくなる。

 シンシア嬢が死んだことにしておきたいのはこっちもだからな。


「伯爵様におかれましては妹君を亡くされ、さぞ心お傷みでしょう。それを承知で妹君のことをお教え願いたい。我が主人も…………息子の嫁に迎える筈だった女性の事を少しでも心に収めておきたい………と申しております」


 唇を震わせ感極まった表情で訴える。芝居だけどな。


 しかし伯爵は困ったような顔で考え込む。


「そうは言われてもな……私もヤツに詳しいわけではない」

「でしたら詳しいご兄弟は? 歳の近いものなら一緒に育っている分、彼女にお詳しい方もいらっしゃるでしょう」


 私の問いに伯爵は苦虫を噛み潰したような顔をする。

 少しして耳打ちするように、


「ここからの話は内緒にしていただきたいのだが……」


 と前振りをして語り出した。


「実は……あのシンシアは本当に私の妹か怪しいのだ。ああ、勿論ローゼンハイムの娘であることは間違いない。父上が認知して籍に入れておったからな」

「認知…………ご落胤ということですか?」

「ありふれた話だ。父上が王都滞在中に身の回りの世話をしてもらった侍女とデキていたというだけの話だ。まあ、研究一筋で遊びも知らないと思っていた父上に世俗じみた欲があったのは驚きだったがね。問題だったのはそのことを10年以上隠していたということだ。『母親が死んだから今日から屋敷で面倒を見る』とか言っていきなり成人手前の娘を連れてこられたんだ。おかげで母上たちは荒れて荒れて……父上もヤツを隔離するように別邸を建てたりしたからな。この屋敷でシンシアと交流があったのは殺されてしまった侍女だけで」


 雲行きが変わってきたぞ。

 シンシアは先代ローゼンハイム伯爵の正式な子ではない?

 内緒にしてくれ、と言っているが我が主人がそんな重要な事を見落とすわけがない。


 貴族家との婚姻はその家の権威目当て、さらにいえば血統を自家に取り込むことが最大のメリット。

 その事を貴族側も分かっているから身分が下の者に莫大な結納金と引き換えに娘を下賜することは多々ある。

 しかし、それが行きすぎてしまい、養女として貰い受けた娘を自家の娘として嫁がせる血統ロンダリングと呼ばれる悪しき風習が出回った。

 当然、国側も対策を取り、貴族家の正式な娘として産まれた子は中央に届出を出させ管理している。


 今の話だけ聞けばシンシアはその管理から漏れている。

 我が主人が見逃すはずがない。

 敢えて騙されたフリをしてでも、シンシア嬢を欲しがったということか?


「まあ、母上たちが荒れた気持ちも分かるよ。ご存じのとおりヤツの見てくれはアメジストを思わせる豪華で類稀なる美貌だ。ヤツの母親がどれほどの美人だったかは推して知るところだな」


 見てくれなど我が主人が気にかけるものか。

 田舎領主の娘などわざわざ貰い受けなくとも絶世の美女とされる愛人が何人もいる。

 だとしたら主が求めた価値は————


「錬金術師としてはどうだったのですかな?

 稀代の錬金術師である御父上の才は引き継がれたのでしょうか」


 私の質問に対して伯爵は不機嫌を隠さずに応える。


「でなければ屋敷に置きますまい。父上の関心は嫡男の私よりヤツに注がれていた。この工房だって生前は私が入る事を禁じられていたんだ。私には借金ばかり残して、愛人の娘に工房を授けるなんて人をバカにするにもほどがある!」


 手元の机をガンッと叩く伯爵。

 皮肉にも嫉妬に憤るその表情だけは年相応の情念が宿っている。

 疎ましい腹違いの妹を商人に売り払い万々歳といったところだったんだろう。


 哀れで惨めな貴族様だ。

 だが、おかげで確信が持てた。


「伯爵様。よろしければお父上が遺された論文などを拝読させていただけませんか?」

「なに? そなたは錬金学に通じておるのか?」

「通じているなどとは畏れ多い。少しその麓を撫でた程度です。しかし、せっかく高名なるローゼンハイムの工房にまで出向いておいて錬金術の極地に触れる事なく帰っては悔やんでも悔やみきれません。卑賤な従者の願いをひとつ叶えてくれませんか?」


 その分、主人への口利きに力を入れますので、と申し添えると伯爵はにべもなく応じた。


 さて……とりあえず、シンシア嬢の価値が家でなく本人にあるという事が分かった。

 あとはその価値が何であるか見定めるのだ。

 彼女を攫った者は常軌を逸した速度での移動を行なっている。

 指名手配を行なっても空振り。

 痕跡を見つけてから動くのでは後手後手に回ってしまい、追いつく見込みが立たない。


 相手の動きを読むのだ。

 そして罠を張る。

 回り道かもしれないが今は彼女の謎を解き明かすのが先決だ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る