第9話(猟犬side)猟犬と呼ばれる女
私がグレゴリー家に仕えるようになって5年になる。
モンスターを解体し、各部位を食料や素材に加工して売り捌く商売を軸に王国でも名の知れた大商会を経営しているグレゴリー家。
だが、その実態は決して清いものではない。
対抗勢力への圧力、貴族との癒着、不忠者への粛清。
どこにでもある話といえばそうなのだが、当主であるエドワード様の苛烈さは常軌を逸している。
この世のすべてが自分の思い通りにいかないと気が済まないと言わんばかりの執念を以て権力を振り回す。
そんなお方の家来として働くことはなかなかに肝が冷える。
戦場とはまた違う緊張感に苛まれながら、髪を編み、薄く化粧を施して今日も私は仕事に向かうのだった。
エドワード様が私を呼び立てたのは商会本部にある地下の個室だ。
家具もろくに置かれていない殺風景な部屋に護衛の剣士を両脇に連れたエドワード様が椅子に腰掛け、拘束され床に転がされた従業員のハンス、それから見慣れぬ男が3人を見下ろしていた。
「おお、来たか。オルガ」
「お待たせいたしました。ところでこれはなんの始末で」
「うむ。次男のヘンリーが嫁をもらうという話は聞いておるな」
「ええ。ローゼンハイム伯爵家のご息女をもらわれるとか。あまり社交の場に出てはおりませんが、紫水晶と評せられるほどに美しい御令嬢だと」
「見てくれなどどうでもいい。問題はこの愚か者どもが、その嫁の輿入れをしくじったということだ!」
激昂し、椅子に座ったままハンスの顔を蹴り上げた。
小さな悲鳴をあげてうずくまるハンス。
「馬車と食糧の手配、護衛の配備、日程の調整。たかがこれだけのことをしくじったのだ! この愚か者は!」
「お、お許しください! まさか伯爵家が手ぶらで娘を送り出すなど想定外で!」
「その想定外に対応するのが貴様の仕事だろう! こんなゴロツキ崩れの冒険者などを護衛に雇うなど! 貴様のそのケチ臭い判断がどれほどの利益を逸したのか分かっておるのか!?」
ハンスの腹を蹴り続けるエドワード様。
いつにも増してひどい怒り……いや、焦りか? 珍しいな。
伯爵家の御令嬢といっても没落寸前の名ばかり貴族。
領主としての実権も既に他家に握られていると聞く。
貴族家の縁といえばそれなりに価値があるように見えるがそんなものエドワード様にはいくらでもあるのだ。
好色家のエドワード様は沢山の腹違いの子どもを抱えており、貴族家に嫁に行かせた娘もいる。
それにローゼンハイム家が無理なら他に代わりはいくらでもいる。
現代において貴族は国からの重税と小賢しくなった民の反抗の板挟みになっており、かつての栄華からはほど遠い暮らしを送っている家がほとんどだ。
大商会のグレゴリー家への嫁入りなど希望者で行列ができることだろう。
「オルガ! この者どもを殺せ! できる限り苦しむようにな!」
ほら来た。くだらん汚れ仕事だ。
まあ、お陰で飯を食えているのだから文句を言うつもりはない。
私は胸元に隠した暗器を取り出そうとしたが、
「ま,待ってくれ!! ローゼンハイムの娘は生きている!!」
護衛の男の一人が口を割った。
エドワード様はギロリと男を睨みつける。
「どういうことだ? ハンスからモンスターに襲われて殺されたと聞いたぞ?」
「殺されてない! 馬にしがみついて逃げやがった! 俺はちゃんと見た! だけど、生きていることが分かれは捜索され、俺たちが逃げたこともバラされるから黙っているようみんなで口裏を合わせたんだ!」
「ふむ……本当か? 貴様ら」
エドワード様が尋ねると護衛たちは首を縦に振る。
その場にいなかったハンスだけが愕然とした顔をしている。
エドワード様は少しだけ怒りを鎮められた。
「なるほど。だったら貴様らにはまだ生かす価値がある————オルガ! このゴロツキどもを連れてローゼンハイムの娘、シンシアを捜し出せ!」
またひどい命令が出たものだ。
「エドワード様。お言葉ですがシンシア嬢の生存は絶望的かと存じます。ローゼンハイム領からここまでは『帰らずの平原』が横たわっております。モンスターが多数棲息し旅慣れたものであっても方向感覚が狂う危険地帯です。貴族令嬢がたった一人で食糧もなく生き残れる環境ではありません」
「アレはただの貴族令嬢ではないのだ! 生き延びている可能性は十分ある! 絶対に捜し出せ! 仮にのたれ死んでおっても連れて来い! アレには金鉱をも凌ぐ価値があるのだ!」
顔を真っ赤にして唾を飛ばすエドワード様。
焦りの原因はそこか。
ここでシンシア嬢を失ってしまえば膨大な利益を逃す。
商人として看過できない話だろう。
「御意に。彼女が生きていた場合、近隣の人里に向かうでしょうから尋ね人の広告も行うべきでしょう。さらに手厚く保護する姿勢を示しておけば向こうのほうから」
「捜すだけではなく、本人に来るように差し向けるわけか。フフ……流石はブラッセルの猟犬と呼ばれた女よ。金の使い所を分かっておる」
古い異名を引っ張り出されるとこそばゆくなる。
だが、主人の憂さを晴らすための汚れ仕事よりは有意義な仕事か。
年若い娘が荒野で飢えに苦しんでいるなど気分のいいものではない。
なんとか助けてやりたいものだ。
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