第9話 決して冷えない恋 前編

 燃えるような恋という物が世の中にはある。それは相手の事ばかり想って仕方ない程の熱量のある恋であり、時には急に冷めて別れるというケースもあるだろう。

俺もそんな燃えるような恋をしているが、俺の恋は決して冷えないと断言出来る。そもそも冷えてるのは俺でも恋でもなく相手だからだ。

相手の名前は冬野ふゆの氷麗つらら。生まれの関係で体温がとても低く、性格もとてもおとなしいというか寡黙で、あまり感情を表に出してこない女の子の幼馴染みだ。

氷麗とは家が隣同士で、二歳の頃にウチの夏目家なつめけが後から引っ越してきたのだが、両親同士がすぐに打ち解けて、その頃から一緒に遊ばせられていたからか俺達もいつの間にか仲良くなると、毎日のように一緒に遊ぶようになっていた。

その頃から氷麗は体温が低く、俺は何かの病気なのかと疑ってそれを氷麗の両親に訊いたら、氷麗の両親から驚くべき事実が明かされた。

なんと氷麗は雪女と人間のハーフらしく、普通の人間に見えていた氷麗のお母さんは一族の中でも血色が良い雪女で、氷麗のお父さんは大学時代に登山部の活動の途中で知り合って一目惚れをしたのだという。

その時の氷麗のお母さんはあまり人間を好きではなかったらしいが、何度も懲りずに会いに来る事が流石に鬱陶しくなったらしく、暖房も自分に手を出すのも無しで自分と一夜を越せたら少しは見直しても良いと言って、見事にそれを成し遂げた氷麗のお父さんにすっかり惚れて結婚をしたのだという。

そんな人間と雪女の熱々夫婦から産まれた氷麗もそんなに他の人間には興味はないようで、幼稚園の時も男子からのちょっかいや女子からの遊びの誘いにも乗らずに俺のところへ来て、それは小学生になった今でも変わらない。

そのため、俺は女子から氷麗の気持ちの通訳を頼まれるし、氷麗の容姿に惚れてる男子からは憎しみと嫉妬の視線を向けられる。

その視線を向けられるのはあまりいい気分ではなかったし、その頃はまだ氷麗に惚れていたわけではなかったが、氷麗はお母さん譲りのサラサラとした色白の肌の目元が涼しげな美形で、同じくお母さん譲りの長くて艶のある銀髪という他の男子からすれば高嶺の花のような存在だったから、そんな氷麗から少しでも好かれているのは結構自慢だった。

では、氷麗に対して恋心を抱いたのはいつか。それは小学校四年生の夏休みの時だった。人間と雪女のハーフとはいえ、氷麗はとても夏が苦手であり、宿題を少しでも進めるためにウチに来たというのに、氷麗は暑さから俺のベッドにへばりついてしまっていた。


「……暑い」

「夏だから仕方ないって。ほら、ベッドにへばりついてないで早く終わらせようぜ?」

「……無理。暑いからやる気が出ない」

「お前なぁ……さっきアイス食べて体は冷えたんじゃないのか?」

「……まだ冷えきってない。このままだと、溶けてどろどろになる……」

「どろどろの氷麗……」


 その様を想像して少し体をぶるりと震わせた後、俺は氷麗をベッドから引き離すために肩を掴んだ。


「どろどろになるとかよくわからない事言ってないで早くやるぞ。そうじゃないと、お前がお母さんに怒られるだろ?」

「……大丈夫。お母さんも夏は苦手だから、そもそも怒ろうとすらしない。その分、冬は怖い」

「まあ、雪女だしな。お前も冬は元気なのに、夏だとどうにもうまくいかないよな……」


 未だにベッドにへばりつく氷麗を見ながらため息をつく。夏の氷麗とお母さんはとても気だるそうであり、夏の間はお父さんが仕事もこなしながら家事の半分を請け負っているようで、大変じゃないかと前に聞いてみたが、大切な人のためだから大変じゃないと嬉しそうに笑っていた。

その笑顔はとても幸せそうであり、氷麗の両親がどれだけお互いに愛し合っているのかを実感出来る程だった。俺はそんな氷麗のお父さんが結構好きであり、お父さんも俺の事を気に入ってくれているからか家での氷麗の様子を教えてもらう代わりに俺は学校や通学路での様子を教えるという情報交換を行っていた。

これはお父さんへの報告行きかと苦笑いを浮かべていたその時、突然氷麗は俺に視線を向けてきた。その顔の動きでサラサラとした長い髪がふわりと浮かび、氷麗から漂った何とも言えない甘い香りが鼻腔をくすぐり、俺はその香りと見つめてくる氷麗の姿にドキリとしてしまった。


「ど、どうしたんだよ……」

「……ほむら、ドキッとした?」

「えっ……?」

「今の私にドキッとした?」

「と、突然なんだよ……そ、それはちょっといつもとは違う感じがしてドキッとはしたけどさ」

「それじゃあ、私に手を出したくなった?」

「なっ……!?」


 突然の質問に動揺する。俺も異性には興味はあるから、その手を出すという言葉もこういう意味で言ってるんだろうなと察しがついていた。だからこそ驚いていたのだ。そういう事に興味がなさそうな氷麗がいきなりそんな事を言い始めたから。


「お前……本当に暑さでどうかしたのか? そんな事をいきなり言い始めた事なんてないだろ?」

「うん、初めて。でも、不思議。こういう事を言えば、焔は手を出してくると思ってた」

「……出さないって。氷麗の事は可愛い奴だと思うし、そういう関係になれたらそれはそれで幸せだと思う。だけど、俺達はまだまだ子供で、そんな中で手を出そうものなら、俺はお前の両親に申し訳ないからな」

「……お母さんは別に何も言わない」

「え?」

「むしろ、出されるなら焔が良いと言ってた。私が人間と雪女のハーフだと知っても恐れる事なく接してくれて、何かと世話を焼いてくれてるから、それなら焔に生涯を捧げた方がいいとお母さんは言ってた」

「おばさん……」


 氷麗の言葉を聞いて俺は頭を抱える。たしかに俺は氷麗が人間と雪女のハーフだとしても怖がる気はないし、別にそれを言って回る気もない。

だけど、少しずつ異性に興味を持ち始めてるこの時期にそんな事を言われたら、氷麗の事を意識せざるを得なくなるし、下手したら本当に手を出してしまう可能性が出てくる。それくらい氷麗は幼馴染みの贔屓目を無しにしても魅力的な異性ではあるからだ。


「はあ……氷麗、とりあえずその事は忘れて宿題やるぞ。おばさんがそういう考えをしているのはわかったけど、宿題をやらなくていい理由にはならないし、宿題をやらなかったらやらなかったでおじさんにも怒られるからな」

「それは困る。だけど、その前にエネルギー補給をする」

「エネルギー……ああ、水分補給か」


 どうせそうだろうと考えながら言っていたが、俺の予想に反して氷麗はいきなり俺を後ろからギュッと抱き締めてきた。


「え……お、お前……!?」

「……エネルギー補給」

「いやいや、俺に抱きつく事でエネルギーの補給にはならないって! というか、俺は冷たくて気持ちがいいけど、お前は俺の体温で熱いだろ!」

「……たしかに焔の体温は少し高め。だけど、気温とは違って心地よい熱さ。このくらいなら私も平気だし、むしろ眠たくなってくるくらいホッとする」

「ホッとするって……」

「焔は私と一緒だとホッとしない?」


 抱き締められてる事で氷麗の声は耳元で聞こえており、囁くような声で言っていた事から俺は妙な気持ちよさを感じてしまっており、その気持ちよさから体をぶるりと震わせてしまった。


「ほ、ホッとするけど、このままだと宿題を終わらせられないって……」

「宿題は後回しでいい。今は焔を抱き締めてエネルギー補給をするのが大事」

「だから、俺を抱き締めてもエネルギーにはならないって……」

「私の場合はなる。こうして抱き締めてると、焔の体温がゆっくり私の中に染み込んできて、焔と一体化してるみたいでとても心地よい。それに、抱き心地も良い。ずっとこうしていたいくらい」

「ず、ずっと……」

「そう、ずっと。ずっと……こう、して……」


 突然氷麗の言葉が途切れ途切れになってきたかと思うと、抱き締めてくる氷麗から寝息のようなものが聞こえ始め、やがて氷麗はすやすやと眠り始めた。


「ん……んん、んぅ……」

「氷麗……ったく、ちょっとドキドキさせてきたと思ったら、そのまま寝るなんてどういう事だよ……」


 俺は前の方に回ってきていた腕を優しく外し、氷麗の体をゆっくり剥がしていった。そして床にペタンと座りながら気持ち良さそうに氷麗が眠っているのを確認した後、俺はため息をついてからどうにか抱き上げ、そのまま俺のベッドの上に横たわらせて腹部に軽く毛布をかけてから少しだけエアコンの温度を変えた。


「……これでよし。俺的に少し肌寒くなるけど、氷麗からすれば過ごしやすくはなるし、これでもう少し落ち着いて寝れるだろ。

それにしても……まさか氷麗からあんな言葉がでてくるなんてな……」


 そう言ってから俺はすやすやと眠る氷麗の顔を見る。氷麗は本当に安心しきった様子で眠っており、眠っている分、いつもよりも無防備だったため、その姿に俺は思わず喉をゴクリと鳴らしていた。


「……氷麗は俺が手を出しても問題ないっていう感じの事を言ってた。つまり、俺とそういう関係になっても良いって事になるよな……」


 小さな頃からずっと一緒で、少し世話の焼ける幼馴染みだと思っていた氷麗とそういう事をするような関係になった自分を想像した時、俺の心臓の鼓動は速くなり、息も少し荒くなっていた。


「はあ、はあ……つ、氷麗……」


 その無防備な顔にキスをしたりまだ未成熟な体に触ったりしたらどうなるのだろう。そんな考えが頭をぐるぐると回り、俺の顔が氷麗の顔に近づき、手が氷麗の胸辺りへ動き始めたその時だった。


「んむ……ほ、焔……だい、すき……」

「氷麗……」


 氷麗の寝言で俺の顔と手は動きを止め、そのままどちらも引っ込めた後、俺は氷麗の頭を優しく撫でた。


「……やっぱり、そういうのは俺達にはまだ早いな。でも、今回の件で確実に俺は氷麗をただの幼馴染みから魅力的な異性へと見方を変えた。それは間違いないし、今だって誤って一線を越えそうになってたし、そうならないようにこれからも気を付けないといけないな。氷麗を大事にしたいのなら」


 氷麗の寝言に救われたが、あのままだったら確実に手を出していた。だから、俺はこれからもそうしないように気を付けるべきなんだ。氷麗の事を好きになっていたと自覚し、氷麗の事を大切にしたいと思っているからこそ、下手な真似は出来ない。


「……氷麗、俺もお前の事が大好きだぞ」


 愛しい眠り姫に対して少し拙い告白をした後、俺は肌寒さを感じながらも再び宿題を片付けるためにペンを手に取り、氷麗が起きてからすぐに終わらせられるように答えについての解説などを空いてる紙に書き始めた。

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