第8話 妖女と美獣 後編

「んふふ……」


 ある夏の日、私はクーラーの効いた自室で十武君の隣に座りながら心地よさを感じていた。すると、その声を聞いて隣で勉強に集中していた十武君が不思議そうに私を見る。


「どうしたの? なんだか機嫌が良さそうだけど……」

「この時間が幸せだなと思ってただけ」

「……そっか。僕もこののんびりとした時間は好きだよ。鈴女ちゃんからの弄りさえなかったらもっと好きなんだけど……」

「それは小さい頃からずっとなんだからもう慣れた方が良いよ。もう十武君だって高校三年生なんだし」


 少し不満げな十武君に私は笑いながら言う。前髪とメガネの奥に隠された十武君の魅力に気づき、独り占めしてしまおうと考えたあの日から数年、小学生だった私達も揃って高校生となり、十武君も突然体を鍛え始めた事で、結構筋肉質な体になった。

けれど、相変わらず女子からの人気はない。それは当然だ。何故なら、私が妖怪の夜雀よろしく他の女子の目を盲目にしているから。

もちろん、実際に盲目にしてるわけじゃなく、十武君を極力女子の視界に入らないようにしたりファッションも絶妙にダサい物を選ばせたりしているため、これまで学校でも女子から声をかけられる機会はあまりなかったという。

そのため、一緒に出掛けても十武君は異性から指を指されながらひそひそ話をされ、十武君本人もあまり居心地が良いような顔はしていなかったから、正直申し訳ないなと思う。

だけど、前髪とメガネの奥に隠れた美しい野獣の存在に気づかれたら、それを得ようとする狩人が現れて、明日にでも私の前から姿を消してしまう可能性は高い。だから、今日も私は他の女の目を盲目にして、十武君を独り占めする。容姿も中身も名前負けしてる私が十武君を繋ぎ止めておくにはこれしかないのだ。

十武君への独占欲に心を支配されながら十武君の肩にもたれていたその時、十武君は少し緊張した様子で静かに口を開いた。


「……す、鈴女ちゃん……ちょっと聞いてもらいたい事があるんだけど良いかな?」

「うん、それは良いけど……どうしたの?」

「じ、実は……前々から好きな子がいるんだけど、そろそろ僕も大人になっていくし、いい加減想いを伝えようと思うんだ」

「え……」


 その言葉は私に強いショックを与えた。たしかにあの日に好きな子はいるという話は聞いた気がする。だけど、それが誰かはずっと教えてもらえず、私はその顔も知らない相手に対して敵意と嫌悪を感じていた。

一体それは誰なのか。誰が私の美しい野獣に見初められたというのか。嫉妬と怒りに満ちていく私の心は更に美女から離れていき、私自身となりつつあった夜雀も止まり木から飛び立っていってしまい、私はただの嫉妬に狂う醜い女になった。


「……だれ」

「え?」

「誰を好きなの? ねえ、教えてよ。十武君が好きなのは一体誰なの!?」

「お、落ち着いてよ……」

「落ち着けるわけない!何のために私がここまで頑張ってきたと思うの?! 十武君を取られたくないから、ずっと十武君を見つけられないようにしてきたのに、これじゃ……!」

「……やっぱりそうだったんだ」

「え……って、あ……!?」


 私は自分の失言に気づいた。十武君を取られてしまうという焦りから、私はうっかり自分の悪事を白状してしまい、それを十武君に知られてしまったのだ。


「あ、あ……」

「……おかしいとは思ってたんだ。ファッションには詳しいはずの鈴女ちゃんが勧めてくれたはずなのに、周りからダサいだの気持ち悪いだの言われるし、男友達からもこれはないって言われたからさ」

「ち、ちが……」

「その男友達が言うには、鈴女ちゃんは僕を使って遊んでるだけで、性格が良いとは言えないから、縁を切った方が良いんだって」

「や、止めて……」


 十武君の声を聞きながら私は涙を浮かべる。怖かった。私の中の醜さを指摘されて、十武君に軽蔑されて離れられてしまうのがたまらなく怖かった。

たしかに私は十武君の事を面白がっていた。だけど、それは昔の話で、今はただ単に十武君を誰にも取られたくなくて、それを阻止したいだけ。それだけなのだ。

そんな事を思いながら十武君を前に震えていたその時、十武君は優しく微笑むと、私を静かに抱き締める。


「え……?」

「でも、僕は言ったよ。鈴女ちゃんは僕の大切な幼馴染みだし、何か他に理由があるはずだって。それに、名前通りの美女なのに縁を切ったらもったいないってさ」

「と、十武君……」

「たぶんだけど、僕の素顔を見たあの日からそういう事を考え始めたんだよね?」

「……うん、そう。だって、あんなにカッコいい素顔を隠していたし、その後にキスしてきた時はいつもの気弱さとは真逆の野獣みたいなワイルドさを見せてきたんだよ? そんなの好きにならないわけがないじゃん!」


 涙を流しながら気持ちを伝える。そんな権利があるわけがないけど、私の中で秘めてきた想いは止まらなかった。


「あれからずっと十武君の事ばかり頭の中にあって、あの十武君とシたらどうなるんだろうって考えながら自分を慰める日々だったよ。だって……私はいつも十武君をいじってばかりで、そんな子供っぽい私の事を十武君が好きになるわけがないって思ってたから……」

「そっか……」

「だから、私は十武君を他の女の人から隠し続けたの。十武君の素顔を知ったら、絶対に誰でも好きになっちゃうし、私みたいな女じゃ相手にもならないから……」

「そんな事ないよ。だって、僕が好きなのは鈴女ちゃんだから」

「……うそ。そんなわけないよ」


 十武君の言葉を疑い、十武君に自分が相応しくないと考えて涙を浮かべていたその時、十武君は少しだけ体を離すと、突然私の唇を奪った。


「んっ……!?」


 突然のキスに私が驚いていると、十武君の舌が私の口の中に入ってきて、私の口内や舌を丹念に舐め回していく。


「ん、ふぅ……はぁ……」

「んぅ……うむっ、んはぁ……」


 私達以外にいない室内にキスによる息づかいと鼻息、ピチャピチャという艶かしい水音が響き渡り、その妖しげな雰囲気に私は興奮していった。

そして十武君の舌が口の中から無くなり、十武君が顔を離すと、私達の口の間には涎で出来た白い橋が窓から差し込む日差しでキラキラと輝き始めた。


「はあ、はあ……と、十武君……」

「……これでわかってもらえたかな? 僕が本当に鈴女ちゃんが好きだって」

「……でも、どうして? どうして私なんかを好きでいてくれるの? 私、他の子よりも見た目も中身も幼いし、十武君を独り占めするために酷い事をしたんだよ……?」

「たしかにした事は褒められた事じゃないよ。だけど、それが僕のためだったから嬉しいんだ。鈴女ちゃんの事、僕はあの頃からずっと好きだったし、実は鈴女ちゃんを押し倒す形になった時、だいぶドキドキしていたし、だいぶ我慢出来なくなってたんだ。だから、どうにか止めるためにキスだけで終わらせた。そうじゃなかったら、あのまま鈴女ちゃんを襲っていたよ」

「十武君……」

「鈴女ちゃん、僕は君が好きだ。他の誰でもない君が好きなんだ」


 いつもと同じ容姿で十武君が私に告白する。だけど、私はそれがとても嬉しかった。前髪とメガネで隠れていたあの素顔が本当の十武君だと思っていたけど、本当の十武君はいつも私の目の前にいた。少し気弱だけど、いつも優しく接してくれる十武君が本当の十武君なんだ。


「……私も十武君が好き。いつもの少し頼りない十武君もその前髪とメガネで隠れた素顔の十武君も全部が好き」

「……嬉しいよ、そう言ってもらえて」

「十武君……あの、その……」

「……待ちきれなくなっちゃった?」

「うん……」

「ふふっ、僕もだよ。初めてだからうまく出来るかわからないけど、鈴女ちゃんに気持ちよくなってもらうために精いっぱい頑張るよ」

「……うん、私も十武君のために頑張るね」


 愛する人を前にしてお互いに見つめあった後、私達は再び舌を入れた大人のキスをし、更に待ちきれなくなったのを感じてから私達は揃って服を脱ぎ、相手を愛おしく思いながら体を重ねた。

運良くお母さん達は出掛けていて、夜頃まで帰ってこないとわかっていたため、私達は気兼ねせずに相手への愛を言葉にし、その言葉は私達を昂らせていった。

自分でも気にする程にあまり発育の良くない私の身体でも十武君は綺麗だとか最高だとかあらゆる言葉で褒めてくれ、私はその嬉しさからまた泣いてしまった。

愛する人からの言葉とその人と愛し合えているという事実は私の胸の奥を満たしていき、醜さで顔を隠していた私の心もそのあたたかい光で照らされて、ようやく私は自分が十武君から美女であると認められていると自覚する事が出来た。

そうして何度も体を重ねて、お互いに声を上げながら絶頂を続ける事数時間、明るかった外も夕方頃になって少し暗くなり、私の目の前で横になって夕日に照らされながらも少し陰も帯びる十武君の顔はこの世の物とは思えないくらいにカッコよかった。


「……とてもよかったよ、鈴女ちゃん。まるで夢みたいだ」

「……私も。大好きな人から告白されて、大好きな人と一緒に幸せな気持ちになれて……こんなに幸せで良いのかなって不安になる」

「幸せで良いんだよ。だって、鈴女ちゃんはこんなにも可愛い僕だけのお姫様なんだから」

「……それじゃあ王子様はこれからも私を幸せにしてくれる?」

「うん、約束する。これからも君だけの王子であり続けるよ、鈴女ちゃん。こんなにも素敵な美女がいるのに、他の人にまで手を出そうなんてバチが当たるしね」

「……もし、浮気したら許さないからね」

「しないよ。そもそもこれまで通り、僕は外ではダサい男でいつづけて、鈴女ちゃんの前でだけ野獣の姿と王子の姿を見せるつもりだからね」


 クスリと笑いながら言う十武君の姿に私もクスリと笑う。愛する人と恋人になれた今だからこそ断言出来る。名は体を表す、この言葉はわりと真実だ。

中には私のようにそんな事はないと考える人はいるかもしれないけど、名前は少しずつその人をその物へと変えていくし、その変化をしっかりと見ていて、それを愛してくれる人だっているのだから。


「……十武君」

「うん、なに?」

「……私、他の誰よりも美女かな?」

「……うん、間違いなく。僕も武の文字に恥じない男になれてるかな?」

「なれてるよ、間違いなく。こんなにもカッコいい人、他にはいないし、とても勇ましくて強そうだもん」

「……そっか」


 私の答えを聞いて十武君は安心したように笑う。私自身はまだ自分が醜いと思ってるし、私の中の夜雀はまた独占欲を強くして他の人から十武君を隠したがると思う。

だけど、それでも良いんだ。そんな私でも認めてくれる人がいて、その人の放つ光で少しずつ私も自分から美しくなっていこうと思えているのだから。

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