第8話 妖女と美獣 前編
世の中には名は体を表すという言葉がある。その意味は、物や人の名前というのはその中身や性質を的確に表す事が多いという事で、実際に私の友達もその名前らしい性格だったり性質だったりする子が多い。
じゃあ、私はどうなのか。私の名前は
短い栗色の髪に血色の良い肌、そこそこ良い顔立ち、といったらよく聞こえるかもしれないけれど、私は他の女子に比べて背丈も小さくてあまり体の発育もよくない。そのため、男子から恋愛の対象としては中々見られず、女子の友達からもちょっと妹みたいな扱いをされる。
そんな私だから、名は体を表すには当てはまらないと思うし、同じように当てはまらないと感じている相手もいる。
それは歳上の幼馴染みである
十武君は私よりも二歳歳上のメガネを掛けた男の子で、恥ずかしがり屋なところがあるからか少し長めの黒い前髪で顔の上半分を隠していて、少し驚かしただけでもだいぶビビってしまう程なため、私は歳上の男の子というよりは少し面白いお兄さんという風に考えていて、私と十武君は恋愛的な意味では合わないと考えていた。
だから、結構私は反応を面白がって突然抱きついてみたりキスをする振りをして顔を近づけてみたり、とおよそ恋人でも異性にはあまりしないような事を平気でやっていて、十武君があたふたしたり更に前髪で顔を隠そうとしたりする姿を完全に面白がって遊んでいた。
だから、夏の暑さが厳しいその日も私の家に十武君が遊びに来ていて、家にいたお母さんが少し買い物に行ってくると言って出掛けたのをチャンスだと思った私はまた十武君いじりを始めた。
「ねえ、十武君」
「な、なに……?」
「女の子と付き合った事ってある?」
「なっ……い、いきなり何を言い始めたの……!?」
「だって、私達だってもう小学生だよ? お父さん達はまだそういうのは早いって言うけど、あの子は可愛いなとかあの子のああいうところはカッコいいなとか思うものじゃない?」
その頃、私はまだ小学四年生で十武君は六年生だったけど、私のクラスでは女の子達がコイバナに花を咲かせていて、何組の誰々が最近カッコいいとか何年生の誰某が実はイケメンだとかそういう話題は尽きず、私も好きな相手はいなくとも話自体は嫌いじゃなかった。
ただ、十武君はあまりそういう話は得意じゃないのかだんだん顔を赤くし始め、また恥ずかしそうに髪で顔を隠し始める。
「つ、付き合うなんてそんな……ぼ、僕を好きになる女の子なんているわけないし、鈴女ちゃんだってそうでしょ?」
「うーん……まあ、私から見ても十武君って頼りになるとかカッコいいとかそういう目で見るような男の子じゃないかな」
「う……」
「でも、さ。その前髪を切ったら何か変わるんじゃない?」
その言葉に十武君はビクリと体を震わせる。
「だ、ダメだよ……! この前髪があるから人前に出られるのに切るなんて無理だよ……!」
「でも、中学生になったら身だしなみのチェックはされるんじゃない? 服装やメイクはもちろんだけど、髪の長さなんて真っ先に気づかれて注意されるでしょ?」
「そ、それはそうだけど……」
「それに、見ててなんだか暑苦しいんだよね。十武君は暑くないの?」
「暑いよりも恥ずかしい方が嫌だから……この前髪は中学生になったらどうにかするから、今は勘弁してよ……」
「ダーメ。そう言って中学生になっても嫌だって言うのが目に見えてるから。ほら、とりあえずヘアピンで留めてみようよ」
そう言いながら適当なヘアピンを手に取り、私は十武君に顔を近づける。その瞬間、十武君は顔を赤くし、必死な様子で首を横に振る。
「だ、ダメだって……!」
「ダメじゃないの。まったく、男らしくないんだから……好きな子とかいないの?」
「い、いなくはないけど……」
「あ、そうなんだ。でも、そのままだとその子も十武君を好きになってくれないと思うよ? 私だったらうじうじしていて前髪で顔を隠してる男の子なんて好きになれないし……」
「う……で、でも……」
「もう……いい加減観念して」
十武君のあまりにも潔くない姿に呆れながら私は髪を押さえる十武君の手を退けようとした。しかし、ひ弱だと思っていた十武君の力は結構強く、中々除ける事が出来なかった事に驚くと同時に十武君も男の子なのだと改めて思い知った。
しかし、ここで諦めるわけにはいかないという思いがあったため、私は無理にでも除けようと更に力を加えた。すると、十武君の手は髪から離れたけれど、その反動で私は後ろに倒れこみ、十武君もそのまま前に倒れ、どうにか私の両隣に手をついた事で衝撃でメガネも外れて、メガネのない素顔の十武君が私の目の前に現れた。
「いてて……あっ、大丈夫? 怪我はしてない?」
「え……う、うん……だい、じょうぶ……」
怪我は大丈夫だった。しかし、私の心は大丈夫じゃなかった。何故なら、メガネが外れて顔を隠していた前髪が無くなった十武君の素顔はあまりにもカッコよくて、直視するのが恥ずかしかったのだ。
元から色白で鼻も少し高いのはわかっていたけれど、隠れていた目は切れ長で結構鋭くて目元は涼しげ、そんな男性アイドルやモデルにならいそうなイケメンが目の前にいて、もう少し近づけたらキスすら出来そうな距離にそんな顔があったら誰でも顔を赤くするだろう。
ましてやこんな状況だ。床に背中をつけて天井を見上げる形になっている私に覆い被さるような格好で顔を近づけながら心配そうに見てくる十武君の顔を真っ直ぐに見る事が出来ず、私は顔が燃えるように熱くなるのを感じながら少しそっぽを向いた。
その姿を見て何か勘違いしたのか十武君は更に心配そうな顔になり、もっと顔を近づけながら私に話しかけてきた。
「本当に大丈夫? なんだか顔が赤いよ?」
「だ、大丈夫だって……」
「声もなんだか震えてるし、少しもじもじもしてる……もしかして具合悪くなっちゃった? ベッドに運ぼうか?」
「だ……だから、大丈夫だって!」
照れ隠しで大声を出しながら顔を正面に戻すと、私は唇に柔らかい物が当たったのを感じた。顔の向きを戻した事でだいぶ近づいていた十武君の唇に触れていたのだ。
本当にキスをしたわけじゃなく、擦れるような形で触れたからか十武君の唇の柔らかさも少し控えめに感じ、私はその事に物足りなさを感じている自分に驚いていた。
十武君はあくまでもビビリで恥ずかしがり屋の面白いお兄さんであり、そういう状況になってドキドキしたりもっと触れたいと思ったりするような相手ではないと頭ではわかっていた。
だけど、見えてしまった素顔は名前の『武』という時に相応しい程にカッコよく、少し高めの鼻も相まってどこか外国人風の顔にも見えてしまい、十武君をカッコいいと思う自分と十武君はそういう人じゃないという自分で私の中はぐちゃぐちゃになっていた。
「鈴女ちゃん……」
吐息混じりの声で名前を呼ばれてハッとする。目の前の十武君の目は少し血走っているように見え、唇が触れ合うくらいの距離だからかその吐息も直にかかり、そのいつもの様子とは違う姿に私は十武君がいつもの気弱な人間ではなく、獲物を前にお預けを強いられて我慢出来なくなっている野獣のように見え始めていた。
「と、十武君……」
「……キス、するね」
「え……」
その言葉に対して驚いている内に十武君は静かに唇を重ねてくる。大人がやるような舌を絡めるような物じゃなく、ただ唇を重ねるだけの簡素な物だったけれど、その時間は結構長く、ただ唇を重ねるだけのキスのはずなのに、十武君は中々唇を離さず、顔にかかってくる十武君の鼻息がその興奮具合を私にしっかりと伝えてくる。
私も別に嫌ならどうにか押し退けて逃げてもよかったのだ。だけど、十武君に覆い被さられながら唇を重ねるだけのキスをしているこの時間が何故か心地よく、ずっとこの時間が続けば良いのにと思い始めていた。
しかし十数分後、十武君は満足したのかそのまま唇を離し、その色気のある顔で優しくにこりと笑った。
「……ごめんね、初めてのキスを奪って」
「え……?」
「あれ……も、もしかして初めてじゃなかった?」
「う、ううん……初めてだよ」
「……そっか、よかった」
「よかったって……?」
「ううん、こっちの話。さてと、そろそろメガネを掛けないと……」
そう言いながら私から離れ、十武君はまた前髪で顔の上半分を隠しながらメガネを探し始めたけれど、私はそんな十武君から目を離せなかった。
いつもの気弱で情けない十武君だと思っていたのに、私の同級生だけじゃなく十武君の同級生や少し歳上の人すら魅了してしまうだろうと確信出来る程のイケメンっぷりと私を異性として意識している様子だったワイルドさのある野獣のような十武君という二つの姿を見せられて私は混乱すると同時に十武君に心を奪われていた。
だけど、そうなるとそんな姿を他の人に見せるわけにはいかない。前髪を切ってメガネまで外した姿を見せてしまったら、同じように十武君を好きになる人が出てしまい、その人に十武君を奪われてしまう恐れがあるのだ。私はそれがどうにも許せなかった。
「……ズルいけど、こんな十武君は私だけの秘密にしないと」
十武君を見ながら呟いていると、十武君はメガネを見つけた様子で喜び、再びメガネを掛けた前髪で顔を隠した状態で私の目の前に現れた。
「ビックリさせてごめんね、鈴女ちゃん。そういえば、前髪の件って……」
「……やっぱりいい。なんだかそういう気分じゃなくなったから」
「そっか。それならよかったよ」
安心したように息をつく十武君を見て私も安心していた。十武君に自分が女の子から好かれる容姿だと気づかせるわけにはいかないため、私も前髪を切るのは反対だったからだ。
「……十武君は渡さない。十武君がカッコいいのを知ってるのは私だけで良いの」
そう呟く私はやはり美女ではない。私はその力で相手の目を盲目にさせてしまう妖怪の夜雀なのだ。
「……名は体を表す、か」
み“よすずめ”という私の名前を思い出しながら自嘲気味に呟き、私はそんな自分はやはり十武君とは合わないのだと自覚した。
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