第7話 身代わり人形 後編
ある夏の夜、外から聞こえてくる車の音やセミの鳴き声以外に音がない静寂の中、俺は明かり一つ無い部屋の中で目の前の人物と抱き合う。
俺もその人物も一糸まとわぬ姿であり、直接肌を合わせている事で、相手の肌のサラサラとした感触と少し速くなった心音が直に感じられ、俺は何も言わずにドキドキしていた。
「……ふふ、有人君と裸でこうしてるとすごく落ち着く」
「……ああ、俺もだよ」
顔も薄ぼんやりとしか見えない相手の言葉に同意する。薄ぼんやりとしか見えないが、相手の顔は俺にとって一生を懸けて守り支えると約束した人の顔であり、その顔は俺と裸で抱き合っている事の嬉しさを露にしていた。
俺も今こうして抱き合っているのは落ち着くし嬉しい。だけど、やっぱりこのままじゃダメだ。このままじゃ誰も幸せになんてなれない。
「……なあ、“美和”」
「……うん、なに? あ、もしかして……もうシたくなっちゃった?」
「……違う」
「ふふっ、有人君は本当に甘えん坊だね。でも、私の事を有人君の好きなように──」
「……もう、止めてくれよ! “理美”!」
言葉を遮るようにしながら言うと、目の前の“美和”は少し不満そうな顔をする。
「……何を言ってるの? 私は美和、有人君の彼女でもう何度もエッチな事をしてきた仲だよ? それなのに、名前を間違え──」
「間違えてなんかない! お前は美和じゃなくて理美だ! 美和はもう……とっくに亡くなってるんだよ!」
悲しみに暮れながら言った俺の言葉に“美和”は無表情になる。
「……ちがうよ、有人君。私は生きてる、八木澤美和は中学二年の冬になんて亡くなってない。私は美和、あなたの恋人であれからずっと生き続けてる」
「……もう、良いんだよ。理美、お前はお前だ。もう……美和の代わりなんてしないでくれ。お前は高校二年生の八木澤理美なんだ……!」
そう、中学二年の夏に俺達以外に誰もいない家の中で何度も愛を確かめ合い、一生大事にすると誓った美和は死んだ。中学二年の冬に病死したのだ。
それまでの間、俺達は外でデート出来ない分を家で過ごし、あの日以来、俺達は体を重ねる事のないとても健全な付き合いを続けた。だからこそ、俺は美和が死んで悲しかったし、美和がいない世界なんて俺には必要ないとすら思い、葬式の後に一人で抜け出して、公園のベンチで泣いていた。
しかしその夜、美和から連絡を受けて公園に向かうと、そこに美和がいた。いや、正確に言えばそれは美和の姿をした理美だった。
理美も生まれた時から一緒の相方がいなくなって泣いていたし、美和の姿をしているのは美和の事を忘れたくないからなのかと思って近づくと、“理美”はまるで自分が美和であるかのように振る舞い、二人を容易に見分けられる俺ですら一瞬本当に美和なのかと思ってしまう程に完璧な美和を演じていた。
だからだったんだろう。その“美和”に吸い寄せられるようにフラフラと近づき、唇を奪ってその口内を舌で蹂躙して、そのまま理美と関係を持ってしまったのは。
双子だからなのかはわからないが、行為の最中の反応やその感触は全てが美和と同一で、俺は相手が理美だとわかっていても野外である事も忘れて何度も何度も美和の名前を呼び、理美も自分を美和であると俺に信じ込ませようとして美和を全力で演じた。
そしてその日から俺達の関係は変わり、俺と美和がそうだったように俺と理美は恋人同士になった。ただ、この恋人関係は少し特殊で、日中は理美のままだったが、夜になると今のように暗い部屋の中だけで理美は美和に変わり、俺も本当は相手が理美だとわかっていながら美和だと認めて何度も愛を確かめ合う。
今思えば、理美とこうして恋人関係になったのは必然だったのだろう。美和が生きていた頃、俺は理美も俺に好意を持っていた事を知っていて、美和もその事に気付いていた。だから、理美も美和が死んだ際に少しだけ魔が差してしまったのだ。美和が死んで生きた屍のようになった俺の前に美和の姿で現れ、美和の身代わり人形として生きる道を選べば、たとえ求められているのが自分ではなくとも俺を自分の恋人に出来ると考えてしまった。
そしてそれは俺も同じだ。美和の姿で理美が現れた時、美和の姿の理美を愛せば俺はこれまでと同じように美和を愛していられると感じてしまい、大切な人の妹であり大切な幼馴染みでもある理美を美和の代わりとして扱っていたのだから。
だけど、それがダメな選択だったと今になってようやく気付けた。俺が愛してきたのはあくまでも理美で、たとえ美和の姿をしていても俺が好きだとか愛してるだとか言って、生前の美和のように心から愛しているのは理美だからだ。
「お前を、大切な人の妹であり大切な幼馴染みでもあるお前を利用してきた俺が言えた事じゃないのはわかってる。でも、もう終わりにした方が良いんだよ。このままじゃ、俺達はずっと美和の事を送ってやれないし、美和だって天国で安心出来ないんだ」
「……わかってるよ、そんな事。でも、もう私は理美じゃなく美和でいたいって思ってるの! 有人が美和の事を好きなのはわかってたし、私じゃチャンスすらないんだなと諦めてたのに、有人から恋人として愛されるチャンスが巡ってきたんだもん。そんなの……逃せるわけがないよ」
「理美……」
「もうこんな穢れた私じゃ有人に愛される資格はない。同じように美和を喪って、心にぽっかりと穴が空いている有人の心の隙間を埋められる存在になれば、理美じゃなく美和になれば良いんだってズルい事を考えた私じゃダメなの。美和の身代わり人形として、自分の意思なんて関係なく有人にただ愛されていればそれだけで──」
「……本当にそれで良いのか?」
「え……?」
俺の言葉に理美が目に涙を浮かべながら疑問の声を上げる中、俺は今度こそ理美を強く抱き締める。
「有人……」
「……美和の代わりとして扱ってきて本当にごめん。でも、理美さえ望むなら、理美さえ許してくれるなら俺は一生理美だけを愛していく。美和にも一生大事にすると誓ったけど、お前にもそれを誓うよ」
「…………」
「理美、俺はお前が好きだ。美和の代わりじゃない“八木澤理美”そのものが好きなんだ。美和の代わりに愛していたつもりでも、俺はやっぱりお前と一緒にいる時間も好きだったんだよ。そうじゃなきゃ、美和の代わりにしていたとしても、ここまで関係が続かなかったって断言出来るよ」
「……でも、こんな私を愛してくれたって私は私を許せないよ。大切な双子の姉の死を利用して……こんなの美和だって絶対に許しては──」
「それは俺だって同じだ。だから、これからは一緒にその罪を償っていこう。二人にとって大切な人を利用してきたこの罪を二人で背負っていくんだ」
「……一緒に背負ってくれるの?」
「ああ、もちろんだ」
にこりと笑いながら言ったその言葉に理美の目から涙が溢れ始めたのか俺の肩には冷たい雫がぽとぽとと落ち、静まり返っていた室内にはしばらく理美の泣き声が響いた。
そうして泣き続ける事数分、泣き声が止んだ事を確認してから部屋の電気をつけると、そこにはもう美和はおらず、目を赤くしながらも安心したように笑う愛しい理美がいた。
「えへへ……いつもは暗い中だったから、こうして明るい中で一緒に裸なのはなんだか恥ずかしいな」
「たしかにな。でも、これでようやく理美自身を愛してやれるよ。理美、三年間待たせて本当にごめん。その分、これからはずっと一緒だ」
「うん……でも、一緒なのは私達だけじゃないよ。美和だってこれからも一緒。もうこの世にはいなくても、私達にとって大切な人だから」
「……そうだな。それじゃあ理美、そろそろ……」
「……うん、いっぱい“私”を愛して、有人」
その言葉に頷いた後、俺は再び理美を抱き締めてから理美の唇に自分の唇を重ねる。もう何度もしているはずの事なのに、美和の代わりとしてじゃなくしっかりと理美を愛しているからかその感触はとても新鮮だった。
そうしてしばらく舌を絡めたキスをした後、俺は理美をベッドの上に倒して三年間待たせた分を取り戻すように理美を愛し始めた。
美和として振る舞ってきた時とは違い、理美としてのその愛撫などへの反応は細かい点が少し違っているようで、それに気付けた事に嬉しさを感じながら俺は理美に気持ちよくなってもらうように努め、理美も美和として振る舞っていた時とは少し違う形で俺を愛してくれ、その姿に愛おしさを感じながら俺は何度も絶頂した。
それから数時間後、俺も理美もようやく体力の限界を迎え、二人揃ってベッドの上に横になると、隣にいる理美が優しく微笑んでいた。
「ありがとう、私を愛してくれて。すごく嬉しかったよ」
「理美……」
「好きな人からしっかりと愛されるってこんなに幸せで嬉しい事なんだなって実感出来た。美和も有人と初めてをあげあった時はこんな気持ちだったのかな……」
「……そうだったと思う。あの時の美和、本当に嬉しそうだったし、俺も美和と両想いだったのはすごく嬉しかったから」
「……うん、やっぱりそうだよね。美和、本当に有人の事が好きだったし、有人と話したり遊んだりしてた時、すごく幸せそうだったから」
呟くように言う理美の顔は懐かしそうだったが、次第に目からは涙がこぼれだし、俺はそんな理美の姿を綺麗だと思いながら静かに抱き締めた。
「……理美、向こうに行ったら二人で美和に謝ろうな」
「うん、うん……!」
「理美、これからはお前はお前だ。もう美和の身代わり人形じゃない。俺の大切な恋人だ」
「……ありがとう、有人。本当に……ありがとう……!」
涙混じりに言う理美を抱き締めながら俺は理美の姿を見つめる。理美は自分を穢れた私なんて言っていたが、ちゃんと自分を取り戻した理美の姿はとても美しくて愛おしかったし、理美が穢れているなら俺だって穢れているのだ。
だから、俺はもう理美を美和の代わりになんてしない。それは理美にも美和にも失礼な事だし、こうして自分の意思で泣き続けている綺麗な人を失わせるわけにはいかないからだ。
「……美和、向こうで待っててくれ。少し遅くはなるけど、ちゃんと理美と一緒に行くし、その時はまた三人で話したり遊んだりしよう」
天国にいる美和に呼び掛けた後、俺は理美を愛し続ける決意を固めながら俺の胸の中で泣き続けるしっかりと血の通った愛しい恋人をもう離さないように抱き締め続けた。
数日後、俺達は美和の墓参りに行った。掃除をしたり花を変えたりしてから俺達はようやくちゃんと付き合う事にしたと告げ、手を合わせながら美和の事を大事にしきれなかったと思っていたその時だった。
『……最期まで愛してくれて、大事にしてくれてありがとう、有人君。理美の事、お願いね』
「え……」
「あれ……?」
突然美和の声が聞こえたと思っていると、理美も同じように感謝と俺を託す旨の言葉が聞こえたと言い、俺達はしばらく顔を見合わせていた。
しかし、微笑みながら頷きあった後、俺達は墓を見ながら声を揃えながら言った。
「「美和、これからも一緒だよ」」
その声が天国の美和に届いたかはわからないが、ふと墓石に白い蝶が止まっているのが見え、不思議に思いながら見ている内に蝶は飛び立ってから俺達の周りをくるくると飛んだ後、影も形もなく消え去った。
あれが美和だったのかは今でもわからない。ただ、一つだけ言える事があるなら、命には代わりなんてなく、その人との想い出はいつまでも心に残り続けるという事だ。
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