第4話 穢れなき月に恋をして 前編

 穢れ、それは一般的に清潔さや純粋さを失った状態を指し、宗教的な観点から神道や仏教の概念の一つで、私達が現在触れている時間や物体、肉体や行為などが清浄ではない事を指すらしく、ユダヤ教やキリスト教では“罪”なのだという。

ならば、私はあの日から穢れを纏った罪人で私が恋した彼女は天の浮かぶ月のように穢れの無い一人の天使なのかもしれない。

その子の名前は月代つきしろ満香みか、母親同士が元々付き合いがあった事で生まれた頃から知っている幼馴染みで、好奇心旺盛で天真爛漫な可愛らしい笑顔がいつも眩しい少し幼げな顔つきの栗色のショートカットの子だ。

対する私は、長い黒髪で満香や家族からは綺麗系な顔とは言われるけれど、あまり他の人に話しかける事が出来ない方で、家族や満香以外とはそれ程喋らないから、同年代の子達から結構暗い子だと思われていて、男子から声をかけられるのは常に満香だ。

だけど、私は別にそれでも構わなかった。無理をして話そうとしても変な感じになってしまうだろうし、満香に誘われさえしなかったら本を読んだり絵を描いたりしている方が気持ち的に楽だったから。

そんな私を満香はいつも慕ってくれていて、わりとスキンシップも多い方なため、初めは驚いて困っていた私もだんだんそれに慣れていき、抱きついてきたりおもむろに手を繋いできたりした時にはまたかと思うようになっていた。

そんな満香は外で遊ぶよりも私の家で遊ぶ方が好きなようで、お泊まりをしに来る事もしょっちゅうなため、私の家には非常時に備えて満香のお母さんが用意した満香用の着替えもある。だからか、その日も満香は元々約束していた勉強会用の道具と遊び道具以外は持ってきておらず、満香のその様子には少し呆れていたが、いつもの事ではあるのでそれはそれで受け入れていた。

そうして勉強会をしていた時、勉強があまり好きではない満香は結構序盤で顔をしかめ出し、その数分後には後ろ向きにばたりと倒れこんだ。


「あー……!もう勉強は飽きたよぉ……!」

「……始めてまだ一時間も経ってないでしょ? ほら、宿題を終わらせないと後で大変なんだからさっさと続きをする」

「そうだけど……ああ、外では秋らしく枯れ葉が舞って、その上を人や動物が歩いてとても良い音が響き渡っているというのに、私はこうやって数字や漢字と戦わないといけないなんて……!」

「勉強はそういう物。せっかく泊まりに来てるんだから、早く勉強を終わらせた方が良いでしょ」

「うぅ……新葉にいはちゃんが冷たい。同じ月の文字を持つ名字同士協力しようよ~……」

「してるからこうやって勉強会をしてるの」


 私の返事に満香は不満そうに頬を膨らませる。満香の言う通り、私の名字は稲月いなづきというため、たしかに同じく月という漢字が入っている。

満香はそれが嬉しいらしく、今みたいに何かとその話題を出してくるし、私と満香のフルネームを合わせると、縁結びの神様として知られる白兎神しろうさぎのかみこと因幡の白兎に似ていると言って、もう少しで二人合わせて女神様になれたのにねなんて言う事もある。 

たしかに私の名字の『いな』と名前の『は』、満香の名字の『しろ』で後は『うさぎ』だけではあるけど、そもそも因幡の白兎がメスの兎だったという確証はないし、女神になったところで何かあるわけじゃない。

もっとも、そんな事を言っても満香は知らん顔するばかりなので、それについては言わなくなった。ただ、その話をする時の満香は何故か嬉しそうで、それはいつも疑問だった。


「……まあでも、私と満香じゃ真逆なんだけど」

「え、どういう事?」


 起き上がりながら訊いてくる満香にわたしはため息をついてから答える。


「たしかにお互いに名字に『月』は入ってるけど、満香は満月と三日月で私は新葉だから新月。太陽の光の反射が最大だから明るくてみんなから喜ばれて見上げられる綺麗な形の満月とアクセサリーやマークでも使われやすい三日月、それとは逆に太陽の光の反射が見えない状態で暗くてみんなからはあまり興味を持たれない新月じゃまったく真逆でしょ?」

「そうかなぁ……」

「そうなの。ほら、早く宿題を終わらせよう。そうすれば、今日は好きなだけ遊べるから」

「あ、うん……」


 そう答える満香はどこか寂しげだったけど、私は構わずに勉強を再開し、満香もようやくやる気になったのかわからないところを私に聞き、お昼ご飯の時間をお母さんが報せに来る頃には二人とも宿題を終わらせていた。

昼食を済ませて、私達は午後からお互いのお題に応えて絵を描いたり少し外を歩いてみたりして夕方まで有意義な時間を過ごせた。

その後も一緒にお風呂に入って、夕飯も一緒に食べて、今日のお泊まりも楽しいなと思いながら部屋のベッドに腰かけていた時、ふと満香が私を見ながらボーッとしている事に気づいた。


「満香、どうかした?」

「……あ、ううん。今日も新葉ちゃんは綺麗だなぁって」

「そう? 満香もお母さん達もそう言うけど、私はそう思わないかな。それなら、いつも笑顔で男子からも人気のある満香の方が将来綺麗な人になるんじゃない?

綺麗で可愛い女性になって、結婚相手も引く手あまたでその中から本当に自分を幸せにしてくれそうな人を吟味して結婚する。そしてそのまま幸せな人生を送れば良いんだよ」

「……それじゃあ新葉ちゃんは?」

「私、かぁ……まあ、私を好きになろうなんて人も中々いないだろうし、一人でのんびりしようかな。時には満香と出掛けたりご飯食べたりするけど、結婚相手は見つからずじまいで終わりかな」

「……それは新葉ちゃんが見つけてもらいづらい新月だから?」

「そう。だから、満香は見つけてもらって幸せな人生を送るの。その明るさで相手を元気づけて、ね」


 そうだ。男子からの人気が高い満香ならこれからも色々な人から好かれて告白もされて、いずれは結婚して子供も出来て幸せな人生を過ごせる。

私はそれを羨みはしないし、祝福出来ると断言出来る。満香が自分のその容姿を利用して男子を弄んだり他の女の子を嫌な気分にさせるような子だったら、私もここまで仲良くなろうとはしなかったし、人生の成功を願いはしなかった。だから、満香には本当に幸せになってほしい。それだけはたしかだった。

けれど、私の言葉が不服だったのか満香は寂しげな顔をしながら頬を軽く膨らませ、どうしたものかと考えていたその時、満香は不意に窓に視線を向けると、その顔はぱぁっと明るくなった。


「新葉ちゃん!月が出てるよ!」

「月? あ、本当だ」


 満香の指差す先には夜空に浮かぶ青白い月があり、満香はとても嬉しそうに月を見ていた。


「月なんて晴れてたら出てるでしょ?」

「そうだけど、一人じゃなく新葉ちゃんと見てる月だから楽しいの」

「……そう」

「あ、そうだ……新葉ちゃん、ちょっと電気消して」

「電気?」

「うん、電気を消したら月の光も部屋に入ってくるでしょ?」

「ああ、そういう事。わかった、ちょっと待ってて」


 満香の言葉の意味を理解した後、私は電気を消した。その瞬間、窓から月光が部屋に入り込み、その青白い優しい光は月を見上げる私達を照らした。


「綺麗……やっぱり、月の光って綺麗だなぁ」

「そうだね。因みに、月が赤や青に見えるのは大気の影響や月の高さが関係してるみたいで、大気中のチリが月光を屈折させたり散乱させたりした時に赤い光の方が散乱の影響を受けやすいから赤く見えやすいとか月が低ければ赤く見えて高ければ青く見えるけど大気を長く通る光は散乱されて赤い光ほど通りやすいから赤く見えやすいとか聞いた事があるよ」

「へー……やっぱり、新葉ちゃんは物知りだね」

「……本で読んだだけだよ」


 満香の感心したような声に少し照れながら答えていたその時、月をボーッと眺めていた満香は何を考えたのか突然服を脱ぎ始めた。


「えっ……ちょ、何をやってるの!?」

「えへへ、ちょっと月の光を裸で浴びたらどんな感じかなと思って。せっかくだし、新葉ちゃんもやろうよ」

「え……な、なんで私も……?」

「裸で月の光を浴びる新葉ちゃんが見たいから。それに、ここは二階だし、ベランダに出なかったら誰からも見られないし一緒にやろうよ」

「で、でも……」

「お願い、新葉ちゃん……!」


 脱ぎかけの満香が上目遣いでお願いをしてくる。正直恥ずかしすぎるが、部屋にいるのは満香だけだし、なんだかんだで日中に頑張って宿題を終わらせたのはたしかだ。

だから、私はそのご褒美としてお願いを聞くなら良いという事にして、ため息をついてから同じように服を脱ぎ始め、程なくして私達は揃って裸になって窓から入ってくる月光を浴び始めた。

今日は満月では無いけれど、今の私達のように月の光を浴びる月光浴という行為は古くからリラックス効果や美容効果、良質な睡眠や気持ちを落ち着けるなど様々な物に効果があるとされ、邪気祓いにも効果があるようだった。


「……さあ、そろそろ服をき──」


 その瞬間、私は言葉を失った。月光を浴びて穏やかな表情をしている満香があまりにも美しく、月の化身が目の前に現れたのかと錯覚した。

それくらい月明かりの中の満香は美しく、艶のある瑞々しい肌は月明かりを反射してキラキラと輝き、裸のはずなのに月明かりで出来たドレスを着ているかのように満香は綺麗で目が離せなかった。


「み、満香……」

「……ねえ、新葉ちゃん」

「な、なに……?」


 あまりの美しさに返事をして良いのか迷う程だった私を前に満香はにこりと笑う。


「月が綺麗だね」

「あ……」


 普通に聞けばその言葉は何の変哲もない感想だ。だけど、満香が何の気なしに言ったその言葉は、有名なある作家さんが生み出した告白の言葉でもあるという情報を持っていた私にはそちらの意味に聞こえてしまい、神々しさを漂わせる満香からますます視線をそらせなくなってしまった。

そして、返事を言葉に出来ずに顔を赤くしながら頷くだけしか出来なかった私を見て満香はまたにこりと笑うと、再び月を見上げ始めた。


「……兎ならここにいるよ」


 私の口からそんな言葉が漏れる。因幡の白兎は実は白い兎ではないという説があり、古事記では素兎しろうさぎと書かれているらしく、その素という漢字には白という意味も含まれてはいるが、生まれたままの姿の私達のように何も他の物が含まれていないそのままの物という意味もあるため、言うなれば今の私達は素兎であり、これで満香が願っていた因幡の白兎は完成したのだ。

そして、因幡の白兎は縁結びの神様として知られていて、月には兎がいるとされている。だからだろうか。気持ち良さそうに月明かりを浴びる裸の満香に美しさを感じると同時に恋心を抱き、その身体を私の物にしてしまいたいと思ったのは。

だけど、一般的にこの国では同性愛は中々良い顔はされないし、こんなにも神々しく美しい満香に恋慕だけでなく劣情まで抱いてしまった私は不浄だと思っている。けれど、月明かりはそんな私を浄化してはくれないようだった。


「……やっぱり、私と満香は真逆。満月と新月、純粋と不純、そんな関係なんだよ私達は……」


 気持ち良さそうに月光を浴び続ける満香を前に私は呟き、その穢れ無き美しさをしばらく眺めていた。決して手が届く事はないと知りながら。

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