幕間

 追体験を終えて扉を閉めると、俺は多幸感でいっぱいになっていた。実際に好意を寄せる相手と愛し合って恋人同士になったのは扉の向こうにいた“葉梨一”だ。

しかし、追体験をした事で俺も同じような幸せや快感を味わっており、二人のこれからの幸せを願うと同時に葉梨一に対して羨ましさを感じていた。

幼い頃から幼馴染みに好意を持ち、秘めた想いを持ちながらも拒絶される恐怖に怯えていたが、それを受け入れられた上に身体を繋げ合ってお互いに幸せな時間を過ごした。

それは今の俺には無い物であり、この先ももしかしたら無い物だったため、とても羨ましかったのだ。ここに来た以上、俺も好意を寄せる相手はいるが、その相手は俺に対して好意を持っているとは思えず、それどころか俺に対して呆れや失望といった思いを持っているかもしれないと断言出来る程だった。


「……はあ、葉梨一よりも俺の方が情けないよな」


 先程まで見ていた葉梨一に関する出来事を想起し、深くため息をついていたその時、背後からコツコツと足音が聞こえ、その音を聞いて振り向くと、そこには微笑みながら俺を見るアガサさんがいた。


「どうでしたか? 他人の記憶を追体験するのは中々無い経験だったと思いますが」

「……そうですね。まるで俺が葉梨一になったような感じで葉梨一が感じた興奮や快感、感触や幸福感なども全部体験出来たのですごいと思いました」

「ふふ、そうだと思います」

「ただ……どうして俺が体験した記憶は葉梨一の物だったんですか? ここに来た人は必ず葉梨一の記憶を追体験する物なんですか?」

「いえ、貴方だったからですよ」

「え……?」


 アガサさんの言葉に俺は疑問の声を上げる。アガサさんの言葉を信じるなら、俺は葉梨一と何か関係があるから葉梨一の記憶を追体験したのだと思う。

だけど、これまでの記憶を手繰り寄せてみても葉梨一という男とは出会った事はないし、その恋人となった小山内和美とも出会った事はなく、二人の名前も聞いた事はない。

だから、俺が葉梨一の記憶を追体験したのは、たぶん俺が葉梨一と小山内和美を知っているからではなく、二人には俺とアイツにも通ずる“共通点”があるからなのかもしれない。


「……もしかして、“幼馴染み”ですか?」

「はい、その通りです。葉梨一と小山内和美は生まれた頃からの幼馴染みで、前納様も好意を持つお相手とは幼馴染みという事でその記憶を追体験したのです。

この『恋憶の館』でお客様が追体験するのは、御自身とお相手との関係性が等しい相手、そして御自身が望む恋愛の形を望む方の記憶です」

「そっか……だから、同じように幼馴染みに恋慕していた葉梨一の記憶を追体験出来たし、その経験を参考にして俺にアイツとのこれからについて考えてほしいという事ですね?」

「その通りです。ただ、前納様もご存じの通り、ここで追体験が出来る記憶の中には記憶の持ち主とその恋人が身体を繋げ合った記憶やその相手を想って自身を慰める記憶も含まれていますので、それを想起して御自身も実際にそれを行いたいという欲求に駆られる事もあります。

その際には記憶の追体験の前にお話ししたように私の身体を使って欲求を好きに発散して構いませんので、いつでもお話しください。性別も変えられますが、体格や年齢なども好きに変えられますので、前納様がどのような趣味趣向をお持ちでも問題ありませんから」

「アガサさんを好きなように……」


 その言葉を聞いて俺は喉をゴクリと鳴らす。建物に入る前から魅力的だと感じていたアガサさんだが、葉梨一の記憶を追体験した事でその性的な興奮が継続されているため、アガサさんの抜群のスタイルが更に魅力的に見えていたのだ。

アガサさんの言葉に甘え、この建物の中にあるという寝室を借りてアガサさんの身体を好きなように使わせてもらうのは魅力的な提案だし、そうしたいという気持ちもないわけじゃない。

だけど、それをするのはやはりよくない。それを我慢出来ない程に理性のタガが外れそうになっているわけじゃないし、記憶の追体験をする度にそれをしていたらここを出る頃にはきっと俺は性欲に対して無遠慮な男になっているに違いない。だから、それは止めておこう。


「だ、大丈夫です。まだそれくらい我慢出来ますし、あとどれくらいの記憶を追体験するのかわからないのに、時間を使うわけにはいきませんから」

「畏まりました。それにしても……このような方から想われるなんて、前納様が恋い焦がれていらっしゃる平良結乃へらゆいの様はとても幸せですね」

「……結乃は幼稚園の頃からの付き合いで、結構遠慮がなくて細かい事を一々注意してくる口煩い奴なんです。ただ、どんな事をしても絶対に素直な反応を返してくれて、困っている相手の事は放っておけないという困ったところがあるので、俺自身も放っておけないと思っている内に好きになっていたんです。

一応、アイツは女子の中では可愛い方ですし、わりと他の男子とも平気で話せるから男子からの人気も高くてこのまま他の誰かと付き合ってソイツがアイツの事を好きにすると思ったら胸の奥がキュッとなって……」

「それが恋という物ですよ、前納様。どのようなきっかけであれ、相手を好きになり、その相手が自分では無い誰かと恋仲になった上に自分がその相手とは出来ない事まで出来ると考えて辛さや憤りを感じるのは恋する者ならば誰でもある事です」

「アガサさん……」

「今、前納様は御自身で作り出した想いの迷宮の中で迷っている状態です。その迷宮の出口までの道筋を照らし、迷宮の外へご案内するのが私とこの『恋憶の館』の役目です。

なので、何かお聞きになりたい事やご相談なさりたい事がございましたら、ご遠慮なくお聞きください。私にお答え出来る事でしたら、しっかりと答えさせて頂きますので」

「……はい、ありがとうございます」


 アガサさんに対してお礼を言った後、俺は次のドアを選ぼうとしたが、ふとある疑問が浮かんだ。


「アガサさん、一つ聞いても良いですか?」

「はい、なんなりと」

「ここで追体験する記憶は俺と結乃の関係性に類似する人達や望む恋愛の形に類似する物だと言っていましたが、もしかしてそれに該当するならどのような恋愛でも追体験する事になるんですか?」

「はい、その通りです。葉梨一と小山内和美の両名は異性の幼馴染みでしたが、たとえ同性でも幼馴染みですし、前納様がお望みになる恋愛の形と同様の物ならばどのくらいの歳の差があっても血の繋がりがある方同士でも記憶の追体験の対象となりますし、記憶の持ち主が女性の時もございますよ」

「同性や血の繋がりがあっても……」

「前納様はそれに対して抵抗はございますか?」

「あ、いえ……別にそういうわけじゃないんですけど、俺は一人っ子な上に同性に対して魅力を感じた事もないので、その時にはどのように受け止めたら良いのかなと思って……」


 一般的には同性愛や近親愛というのはあまりよく思われていないし、そういう関係になった相手は俺にもいなくて、友達にもそういう奴は別にいない。

だからこそ、それをどう受け止めたら良いのかわからない。俺自身はそういうのに抵抗はないと思っていたけど、いざ経験をした際にそれに対して嫌悪や拒絶をしてしまう可能性を考えたら、記憶の持ち主とその相手に対して申し訳ないと思ったのだ。

記憶の持ち主とその相手からしたら、俺は勝手に自分達の記憶を覗き見ている最低な奴であり、そんな奴から自分達の恋愛を否定されて非難されるのはやはり憤りや悲しさを感じると思うし、俺が同じ立場でも同じだろう。だからこそ、俺はどう受け止めたら良いのかわからないのだ。


 この先に待っているかもしれない記憶に対して俺が迷いを感じていると、アガサさんは優しく微笑む。


「前納様のお好きなように受け取って下さい。それもまた恋愛の一つだと考えて御自身の恋愛の参考になさっても良いですし、それは自分には受け入れられないと考えてそれを省くのも前納様の自由です。

記憶の持ち主達に対して申し訳なさを感じられる前納様のお優しさは素晴らしいと思いますが、今は御自身のお気持ちに正直になって大丈夫ですので、御自身の感じた物を大事になさってください」

「自分が感じた物を……」

「はい。相手を気遣うあまり御自身を蔑ろにしてしまっては、前納様の求める答えには永遠に辿り着けませんし、いつか御自身を殺してでも相手を優先するようになってしまいます。

ですので、今だけは御自身のお気持ちに正直になってください。前納様は記憶の追体験によって感じた物や得た物を元に御自身の恋愛についてしっかりと考える時間が必要ですし、ここにいる間は現実での時間は関係ありませんので、好きなように悩んで御自身の納得出来る答えを見つけてください」

「アガサさん……はい、わかりました。ありがとうございます」

「いえ、これが私の役目ですから」


 アガサさんの優しい笑みに対して安心感を覚えながら頷いた後、俺は再びエントランスを見回した。

そして、一つのドアを選択すると、そこまでゆっくりと歩いていき、そのドアノブに手を掛けた。


「よし……それじゃあ今度はこのドアにしよう。アガサさん、行ってきます」

「はい、行ってらっしゃいませ、前納様」


 アガサさんが恭しく一礼し、それに対して微笑んでから俺はドアへ顔を戻し、ドアノブを握る手に力をこめた後、二つ目の記憶を追体験するためにドアをゆっくりと押し開けていった。

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