想いがつないだ青春を

枦山てまり

第1話 はじまり


 ―今しかない青春を悔いなく過ごすように。


 高校二年の夏。

 夏休み開始を次の日に控えた騒がしい教室で、先生はそう言った。来年は受験生。自由に過ごせる最後の夏なのだから、当たり前かもしれない。


 仲間と切磋琢磨しながら目指す部活の大会、友情深まる夏合宿、夏祭りから始まる甘酸っぱい恋。どれもが後の人生において、光輝く思い出となるのだろう。


 だが、俺には関係のないことだ。


 なんせ、誰も俺を覚えていないのだから―


 というのも、正確には、俺と関わった時間がみんなには残らない。ある時を境に、俺はこんな体質になってしまった。


 出会ったその日以降、俺との時間は他の人に記憶されなくなる。つまり、俺はいつまで経っても話したことのない、よくわからないクラスメイトというわけだ。


 どんなに仲良くなろうとも、次の日にはさっぱり忘れさられる。それの繰り返し。関係値のリセット、とでもいうべきか。


 しかし、もうそれにも慣れてしまった。むしろこの体質は好都合だ。学校での俺の黒歴史は、誰の記憶にも残らない。静かで平穏な日々を送ることができる。


 だから、あの日、彼女と交わした約束も無かったことになるはずだった。


「佐々原くん、ちょっといいかな」


 もうほとんど人のいない放課後の教室で、彼女は話しかけてきた。文月咲空ふみづきさら。淡い栗色の、透き通るような髪を静かになびかせて、彼女は明るく笑顔を浮かべる。


「お願いしたいことがあって……」


 文月さんは、いつもクラスの中心にいるような人だ。さらにその麗しい容姿で、男女ともに人気がある。そんな彼女がなんで俺に?

 こんな得たいのしれないクラスメイトへの頼みごとなんて、きっと、ろくなことはない。


 どうせ夏休み中の掃除当番とか委員会の仕事の押し付けだろう。もういい、何でもこい。


「俺ができることなら……」


 恐る恐る答えると、彼女は一瞬驚いた後、顔をほんのり赤めらせて嬉しそうに微笑んだ。そして、俺の手をとって言った。


「佐々原くんにしかできないことなの」

「……俺にしかできないこと?」


 文月さんの顔が近い。そう思った瞬間、自分の頬が紅潮していくのを感じる。目線のやり場に困っている俺に構うことなく、彼女は続けた。


「佐々原くんの夏休みを私に下さい!」


「…え」


 夏休み……。やっぱ、宿題押し付けられるとかなのか?一段と身構えた俺を見て、文月さんは、はっ!となって己の失言を訂正した。


「あ、全部じゃないよ!もちろん!二、んー、いや三日、私に付き合ってくれないかな。どこか遊びに行かない?」


「なんで、俺……?」


 ボソッとでてしまった言葉に、彼女が反応する。


「佐々原くんと仲良くなりたいから」 


 そう言って、文月さんは真っ直ぐな目で俺を見る。

 結局、答えになってないじゃないか、と思いながらも、栗色の瞳がきらきら光るのが、俺の返答を待ちわびているようで、なんだか嬉しいような悲しいような気になる。


 しかし、俺は断らなければならない。

 この約束はいずれ無かったことになるんだ。明日になれば文月さんはこのことを覚えていない。俺との記憶は残りはしないのだから。


 いつものことだ。

 気持ちを落ち着けて、口を開こうとする。


「私は、忘れないよ」


 まるで、俺の思考を読んでいるかのように彼女は言った。


「私はみんなと違うから」


 あまりに想定外の言葉に、俺はしばらく答えることが出来なかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る